第五十四話 まだ当分の間は
「随分、楽しそうだな」
リラはハッとして、顔を赤くした。
「す、すみません。屍鬼になってしまった方々を救うために鎮魂の歌を覚えているというのに、不謹慎ですよね」
「あ、いや、責めてるわけじゃないんだ。むしろ、ほっとしているよ。さっき、感情的になって君に対立してしまって、口をきいてくれなくなったらどうしようかと思っていた」
苦笑するアルを見て、リラはほっと胸をなでおろした。
「そんな。私の方こそ、意地になってしまって……でも、私の身を案じて言ってくださったんですよね。いつも気にかけて頂いて、ありがとうございます」
まぁ、とアルは赤くなった頬を掻いて呟いた。
「それで、嬉しそうにしていたのは、何か理由が?」
「こんな形ではありましたけど、念願が叶ったと言いますか……私、いつかちゃんとリュートの弾き方を誰かに教わりたいな、と思っていたので」
アルは首を傾げた。彼女の演奏は、誰が聞いても一人前のレベルにあるはずだ。何をいまさら人に教わることがあるのだろう。
「その必要があるようには思えないんだが」
「そんなことありません。私、リュートは完全に独学だから、アルさんの綺麗な演奏が羨ましくて。始めたばかりの頃なんて、ラエから「睡眠妨害だから楽器の穴に詰め物をするか、みんなに耳栓を配って歩け」なんて言われたことだってあるんですよ」
憮然とするリラに、アルは声をあげて笑ってしまった。ペリスの街で散々ふたりのやりとりを見えてきているせいで、その光景が目に浮かぶ。
「わ、笑わないでくださいよ」
「いや、すまない。だが、さっきも言ったように、俺が偉そうに教える程の差はないと思うぞ」
「そうですかね……でも、だからと言って、私にアルさんの代わりが務まるわけではありませんからね。今だってこうして、アルさんが鎮魂歌を知っていたから、次善の策がとれているわけですし。いや、元々が私の我儘だっていうのは、わかっているつもりですが……」
黒髪の聖女の表情がころころと変わる。
アルは小さく笑って息を吐き、こくこくと頷いて見せた。
「ああ、分かってるよ。まだ当分の間は、ウェルサス・ポプリ音楽団のリュート弾きでいるつもりだ」
自分がロクス・ソルスの王子だと伝えるのは、まだ先でいい。
言うべきタイミングは、きっと見つかるはずだ。
少なくとも今は、この関係性を崩したくはない――アルは、自分に言い聞かせているようだと自覚を持ちながらも、目の前にいる黒髪の乙女への個人的な想いを優先することに決めた。
「さぁ、気を取り直して練習を再開するか」
「はい、お願いします」
「――聞こえた会話は、こんなところね。まったく、主君の話に聞き耳を立てるなんて、不敬もいいところだわ」
リラとアルが奥の間で練習に励んでいる間、三人は大広間に残っていた。
トリステスは、二人が練習している間に街の全体像を掴み、屍鬼の数をおおまかに把握しに行こうと提案した。だが、他の二人は別の案を提示したのだ。その結果、トリステスは鍛え上げた聴力を使って二人の奥の間での会話を盗み聞いていたのだった。
「まぁまぁ、いいじゃない、トリステス。リラちゃんが傷つくようならすぐにでもフォローしなくちゃならないし、二人の関係が進歩するってことになったら、それはそれで把握しておく必要があるわけでさ」
「そうそう。大体、お前さんだって断ろうと思えば断れたのに、そうはしなかったじゃねぇか」
「それはまぁ……気にはなるもの。我ながら妙だと思うけれど、殿下のことよりもリラの方が心配になってしまって」
トリステスの言葉に、モディは「分かる分かる」と同意を示した。
「なんていうか、放っておけない妹みたいな感じになってきちゃってるのよね、あの子」
「随分と年の離れた妹だぜェボアッ!」
「さて、と……いつまでも出歯亀してるわけにもいかないし、さっきトリステスが言ってたように、街の様子を確認してくる?」
トリステスは頷いた。
「私とモディの二人でいきましょう。日が暮れる前に終わらせるために、駆け足で回る必要があるから」
「うへぇ……えげつないのよね、貴女の『駆け足』って。ったく、留守番だからってあからさまに安心してんじゃないわよ、あんた」
もう一発小突かれたベルムは、それでも二人の身を案じて送り出した。
トリステスが先行し、モディがそれについていく。王家直属の密偵として汚れ仕事も涼しい顔でこなしてきたというトリステスは、モディから見て驚くほど身体能力が高い。自分が剣と盾で魔物相手に慎重に立ち回るのに対し、格闘術を中心に異形の怪物を叩きのめす姿を見ると、未だに感心してしまう。
そんなトリステスの俊足に遅れないようにするために、モディは愛用の丸盾を置いてきていた。彼女についていこうとすると、少しでも身軽な方がいい。
二人の偵察は二時間程で終わり、仮宿に戻ってくると、リラとアルも特訓を切り上げて広間に戻ってきたところだった。
「屍鬼は、街中あちこちにいたわ。十や二十じゃない。これをすべて浄化して回るとなると、一日では難しいと思う」
「他の魔物は?」
「なーんにも」
モディとトリステスの報告を聞いたアルは、首を傾げた。
「では、なぜ街はこんな状態になってしまったんだ? てっきり、住民を手にかけた危険な魔物が潜んでいるんじゃないかと思っていたが……」




