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第五十一話 きっと優しい人だった

「アルさんが疎ましく思っている自分の立場って、なんですか?」


 問われたアルは、表情を固まらせてしまった。会話の展開を考えれば、当然の問いだ。そして、それを言えないことこそ自分を悩ませている立場そのものなのだ。リラに対してすべき話題ではなかった。


「それは……」

「もしかして――」


 リラが、ハッとした表情になって、次第に驚愕の色を濃くしていく。アルはギュウと細く強い締め付けを感じた。彼女が真実に辿り着く材料はほぼ皆無の筈だ。だが、まさか――


「リュート弾くの、嫌なんですか?」


 泣き出しそうな顔で、リラがアルを見上げる。


「ん?」

「だって、楽団の中でアルさんの立場って、リュート奏者ですよね。話の展開からいって、実はリュートを弾くのが好きじゃない、とかそういう打ち明けを……あっ、もしかして、こうして二人になったのも、私にリュート演奏を任せようとか、そういう相談で――」


 まったくの見当違いなのだが、アルは安心しながらこの話題に乗ることにした。ひとまず、自分の軽率さが招いた小さな危機からは免れられる。


「もしもそうだと言ったら、任せていいか?」

「……嫌です」


 意外な答えだ。

 出会った頃に比べると感情を出してくれるようにはなってきたとは思うが、こうしてはっきり断りの意志を示すのは珍しい。

 見れば、リラは口を閉ざし、その勢いで頬が少し膨らんでいる。


「どうして」

「どうしてって……好きだからですよ――アルさん、の、リュートの音が」


 風が吹き抜けた。

 砂塵が舞い、沈黙が追いかけてくる。

 言いようのない緊張感がそこに生まれていた。


「そうか……」

「そうです……」

「ヴアアァァ……」


 不意に響いた鈍い声に、アルは反射的に剣に手を伸ばした。勢いそのままに抜刀しようとしたが、はたと動きを止める。右腕にリラがしがみついていたからだ。


「あっ、ご、ごめんなさい!」


 慌てて離れ、リラが腰に帯びていた戦鎚メイスを構える。アルはそれに一拍遅れて、名工の剣を鞘から抜き放った。

 ふたりは、ふたりが立つ場所からすぐそこ建物に見える古いレンガ造りの建物を見る。


「食堂……だった場所か」

「あの中から聞こえましたよね」


 リラとアルは横目で視線を合わせ、同時にこくりと頷いた。

 アルが剣を握ったまま建物にじりじりと近づく。リラはごくりと固い唾を飲んだ。アルはふーっ、と息を吐き、力を込めて、勢いよく黒木の扉に蹴りを放った。

 一歩下がり、構えなおしたアルの前に姿を現したのは、ぼろぼろのエプロンに身を包んだ人の形をしたものだった。形は人のものだが、肌は青紫一色で、目があるはずの場所はぽっかりと洞になっている。動きはまるで見えない糸で空から吊るされているようにフラフラと力無く、生気の一切が感じられない。


屍鬼グール


 リラが声を震わせる。


屍鬼グール……これが」


 アルは、その存在を話では聞いていたが、実際に目の当たりにするのは初めてだった。どういう危険性がある魔物だったか、懸命に記憶を辿りながら剣を構える。


「瘴疽に冒され、完全に憑りつかれてしまった存在です。こうなってしまっては、もう……」

「浄化できない?」


 苦しそうな顔でリラは首を横に振った。


「浄化は……体から瘴気を取り除くこと自体は出来ます。でも、人としての心や命は既に失われてしまっているので、結局、救うことは出来ません」


 リラが一歩近づき、アルは慌ててその手をとった。


「リラ――」

「大丈夫です。この状態、この時点で襲い掛かってこないということは、この人は、きっと優しい人だったんだと思います。凶悪な人物であれば凶悪な屍鬼グールになりますが、温厚な人物であれば屍鬼グールになっても人を襲ったりしません。屍鬼グールになっても、生前の人格は残るから……」


 アルの手を優しく振り払い、さらに屍鬼グールに近づき、リラはそっと左手を伸ばした。醜悪な紫色の体に、リラの手が優しく触れる。


「ごめんなさい」


 リラの手が触れていた箇所から、みるみる肌の色が白く変わっていく。瞬く間に紫色は消えてなくなり、死斑のような青黒い丸が残る骸がそこに出来上がった。同時に、リラの左手の小指の爪が、銀色の輝きを失う。力を失った体がくずおれ、リラがそれを支えながらそっと地面におろした。


「……ごめんなさい、間に合わなくて」


 骸にリラの涙が落ちる。


「リラ、一度戻ろう。ベルムとモディも、おそらく同じような光景を目にして、すぐに戻ってくるはずだ。いや、先に戻っているかもしれない」


 はい、と頷いたリラに、アルが手を差し伸べる。ぐっと引き上げると、リラの体はアルが想定していたよりもずっと軽かった。勢いよく体が浮いて、リラも驚いていた。

 二人が大通りを通って正門まで戻ると、アルの予想通り、ベルムとモディは既に戻ってきていた。


「戻って来たわね」


 トリステスがふたりを見て言った。ベルムとモディの夫婦も、ふたりを出迎える。


「よしよし、今回はちゃんと引き返してきたな」

「偉いぞ、ふたりとも――で、こんなに早々に戻ってきたってことは、屍鬼グールと遭遇したってことでいいのかしらね」


 アルは頷き、食堂の廃墟で遭遇した屍鬼グールと、リラが行った対処について説明した。

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