第五話 巡り合った縁
「ウチの旦那が考え無しでごめんね、リラちゃん」
「あっ、いえ。おふたりは、ご夫婦なんですね」
まぁね、と言ってモディがはにかむ。
「一緒になって、結構経つかな。それなのに、女心ってものが全然分からないんだ、この人は。女として生きてりゃ、秘密の一つや二つや三つや四つ、身につけるアクセサリーの数と同じよね」
モディはそう言いながら、夫の背中をバシバシと叩く。ベルムの表情は、その度に痛そうに歪んだ。音の鈍さから言って、彼女は見かけによらず相当な怪力だったりするのだろうか。
「それにしても、リラちゃんも若い割には色々と苦労してきたんじゃない? 古今東西、心無い連中ってのは「差異」を攻撃の材料にするもんだし」
モディはジョッキをぐっと煽り、さらに続けた。
「片方だけ『銀の爪』ってのも、手袋でもしてりゃ隠せるかもしれないけど、それはそれで、自分を否定してるみたいで違う気もするしねぇ」
不意に投げかけられた言葉に、リラは目を見開いた。
その通りだ。
自分は、自分が聖女であることを否定したくなかったのだ。
そして、驚いた勢いそのまま、目から熱いものがあふれ出してしまった。不思議な安心感に包まれていたせいで、緊張が緩んでしまったようだ。
「モディ」
顔を顰めてアルが言う。
「えっ、あっ、ちょっ、ご、ごめん! よ、よかれと思ってさ……でも、行きずりのあたしの言葉でそんな風になっちまうくらいなら、一度吐き出しちまった方がいいと思うよ。たまたまとは言え、こうして巡り合った縁だしさ」
「リラ」
落ち着いた声の調子で、アルが言葉を紡ぐ。
「俺達は所詮旅の身だ。だが、いや、だからこそ、義理や人情を大切にしているつもりだ。いたずらに他言することはないから、君がよければ、話してみないか?」
リラは目元をこすり、彼らの顔を見た。心配そうで、温かい視線。金鹿聖騎士団にいた頃、こんな風に案じてもらったことが一度だってあったろうか。
「……私は生来、左手の爪だけが銀色で――」
話し始めると、止め処なかった。
大聖堂で育ち、聖女としての使命に誇りを持っていたこと。
『半聖女』と揶揄されても、人々の役に立ちたかったこと。
リュートは、浄化の反動に苦しむ同僚の聖女達を慰めるために習得したこと。
聖騎士団が新設されると聞き、真っ先に立候補したこと。
団長のファルサと反りが合わず、退団を迫られたこと。
それでもなお瘴疽に苦しむ人々を助けたいと願うゆえに、大聖堂に戻る気はないこと。
生活の糧をどうしようかと考えていたところに、彼らの音楽が聞こえてきたこと。
楽団員の四人は、神妙な面持ちでリラの話に聞き入っていた。
話が終わって少しの沈黙の後、口を開いたのはアルだった。
「みんなにひとつ、提案があるんだが」
短い沈黙の間で、リラは渇いた喉に水を流し入れた。
「リラをウェルサス・ポプリ音楽団の一員として迎え入れる、というのはどうだろうか」
えっ、と声を漏らしたリラに、モディが優しく微笑みかける。
「あら、いいんじゃない? あたしは賛成。だって、この子、なんだか放っておけないもの」
「悪くないと思うわ」
トリステスが続く。
「モディの歌声も魅力的だけれど、リラの声もたくさんの人を惹きつけていたから。それに、モディが指揮を振るっていう選択肢も生まれるでしょ」
「トリステス、遠慮しなくていいんだぞ。こいつにゃはっきり、音痴だから指揮でもやっとけっつった方が分かりやすウゴォッ!」
再度強烈な打撃を喰らい、屈強なはずの楽団長はテーブルに額を預けた。勢いに心配してリラが覗き込むと、団長は親指を立てて見せた。
「お、俺も、賛成だぜ。歌もそうだが、お前さんのリュートの腕も中々のもんだった。そっちの方だけでも大歓迎よ。アルとのセッションも画になってたしな」
「……ということなんだが、どうだろうか。俺達はこのステラ・ミラ聖王国の各地方だけでなく、他国へも行く予定だ。もちろん、音楽団としての活動が目的ではあるが、その合間で、君が人々の浄化をすることは出来るだろう。君が聖女としての本懐を果たすことを望むなら、聖騎士団に所属していた頃よりも都合がいいと言えるかもしれない」
アルの、髪の色より深く濃い赤の瞳は、まっすぐリラを見つめている。突然の言葉に、リラは中途半端に口を開いたままアルを見つめ返すので精一杯だった。その様子を見て、モディが口を挟んだ。
「今すぐ決めてもらわなくてもいいんじゃない、アル。せめて、一晩考えてもらったら?」
「……それもそうだな。リラも、そういうことでいいか?」
リラはこくこくと頷いた。
遅めの夕餉はそれからも少しの時間続いたが、リラの心は上の空だった。
ほどなく食事は終わり、トリステスがリラを二階へと案内した。
「一応、鍵はかけてね」
品のある声で言われ、リラは施錠してからベッドに腰かけた。
貴族のように正式に音楽を習ったわけでもないのに、音楽団なんかに入って大丈夫なんだろうか。
褒められたとはいえ、歌声だって自慢できるほどのものではない。
旅をすることについても、聖騎士団の遠征で野営の手伝いはしていたが、あくまでも手伝い程度だ。
でも……
考えれば考えるほど、最後には、あの温かな人達の仲間に入れるのなら、勇気を出して誘いに乗るべきなんじゃないか、という思いが根を張った。
自分を誘ってくれたアルの顔を思い浮かべる。驚くほど上手なリュート弾き。背が高くて、物腰には上品さがあって、これまでに出会ったことのないタイプの男性だった。思考を進めると、急に彼と背中合わせでリュートを弾き鳴らした感覚が思い出され、急に恥ずかしくなって固いベッドに顔をうずめた。
一階では、テーブルに残っていたベルムとモディが、アルを見ていた。宿の主人夫婦も自宅へ姿を消したのを確かめ、ベルムが声を落として言った。
「……では、そろそろ説明してもらえますかな、アルドール殿下。何故、わざわざ金鹿聖騎士団専属の聖女などを引き入れたのか」
問われた赤い髪の青年は、手元に残っていたナッツをひとつ取り、口に放った。