第四十八話 このままでいいんだ
部屋に戻ったリラは、ベッドに腰かけて、ドキドキと早く鼓動を打っている胸に手を当てた。
夕食の後、部屋で旅立ちの準備をし終えて早めに眠ろうと思ったものの、トリステスのことが心配で眠れなかった。
彼女は立派な大人で、自分よりもしっかりしている。
そもそも、自分が力になれることなんてたかが知れてる。
そう言い聞かせても、それでも何かできることはあるかもしれないと思考が右往左往して、ついに意を結して部屋を出たのが少し前のことだ。
彼女の部屋を訪ねたが、留守だった。
他の部屋にいるかもと、モディとベルムの部屋の前まで行くと、ベッドが軋む音を聞いてしまった。モディのもののような嬌声が聞こえた気がして、慌てて離れた。その直後、アルの部屋の前まで来たものの、ついさっきの音と声が耳に返ってきて、ノックをするのが躊躇われた。
ふたりが男女の関係でないことが分かって、ホッとした。
ホッとしてしまった。
考えてみれば、そうであってもおかしくはなかったのに。
自分が加入する前は、男女二組の四人の集団だった。ベルムとモディは夫婦で、アルとトリステスが恋人――という関係性だったとしても、なんら不思議はない。
美男と美女だから、絵になる。
身長も、ほとんど差がない。
お似合いと言えばお似合いなのだ。
それなのに、そうであっては嫌だと思ってしまった。
「はぁ……」
大きく息を吐いて、背中をベッドに預け、天井を仰ぎ見る。
もやもやするのは、ラエティティアがしきりに、自分とアルの関係性を恋愛に結び付けて話してきたせいだ。あくまでも音楽団の仲間なんだから、そういう関係にはなり得ないと言い聞かせて来たのに。
でも、意識しないようにすると、ますます意識してしまう。
桃熊聖騎士団の駐屯地に通うとなったとき、アルが護衛として隣を歩いてくれるのが嬉しかった。帰りに露店でも見て帰ろうかと誘ってもらったときは、喜びで思わず返事が大きくなってしまった。
「そういえば、何を贈り物として選ぶか、決めてもらえました?」
「いや、もう少し保留にさせてくれ。もしかすると、テラ・メリタに行けば何かあるかもしれないし」
「そうやって、ずっと決めないまま有耶無耶にして終わるのはナシですよ」
「おっと、モディやトリステスの影響かな。たしなめる口調がよく似てきた」
「からかってごまかさないでください!」
リラはそう言いながら、アルが品物を選ばない限りは、ふたりの話題がひとつ残り続けるのだと思った。ああでもない、こうでもない、と笑って言い合える時間の、なんと甘美なことだったろう。
今の自分の中の感情は、とてもシンプルな言葉で表されてしまう。
でも、それを伝えたとして、受け入れてもらえなかったら?
ぎくしゃくして、せっかく見つけた居場所を失うことになるかもしれない。
それは嫌だ。
だから、このままでいいんだ。
別に、恋人という名前がつかなくたって、一緒に居られたらそれだけで嬉しいんだから。
でも、もしも旅先で良い人に巡り合って、彼が他の女性と結ばれるようなことになったら?
自分はそれを受け入れられるだろうか。
悶々としながら、リラは強めに目をつぶって眠りに落ちる努力を始めた。
だが、さっきしたばかりのアルとの会話が目に浮かんでくる。
「恩人であるアルさんに嘘をつくようなことはしたくない」
目いっぱいの勇気を振り絞って言った言葉だった。
あれ以上の気持ちの表現は、今の自分には出来そうにない。
両手を天井にかざすと、これまでに何百回と見た左右の爪が見える。
左手の爪は銀色で、右手の爪は肌の色。
男性に見初められて、大聖堂を出て行く聖女はこれまでに何人か見た。
婚姻を結ぶことは権利として認められているから、おかしな話ではない。
でも、聖女としての使命を果たすことが絶対的な是とされている大聖堂で恋愛にうつつを抜かすのは、何か罪深い行いのような気に感じられて、心から祝福の言葉を伝えることは出来なかったのを覚えている。
「恋人にするとしたら、どんな人がいい?」
ラエとそんな話をしたこともある。
でも、真剣に、現実的に考えたことはなかったような気がする。
大聖堂に居た頃は、聖騎士団として東奔西走する生活はイメージできなかった。金鹿聖騎士団に籍を置いていた頃は、音楽団の一員として地方を巡ることになるとは想像もしなかった。それらと同じように、周囲に男性がほとんどいないような環境では、恋人という存在を具体的に思い描くことは出来ていなかった。
アル。
北の小国、ロクス・ソルスからやって来た、赤い髪の青年。
品があって、剣の達人で、リュートが上手な、どこか貴族的な人。
一方で、はにかみ屋で、気さくで、優しくて、頼りになる人。
夢の中でくらいなら、もう少し進んだ関係を望んでも大丈夫かな。
リラは毛布を引っ張って、うとうとまどろんだ。




