第四十六話 間違いなく本物
ウェルサス・ポプリ音楽団がペリスの街を訪れてからふた月程が経っていた。
瘴疽で苦しむ者はもう既にいなくなっていたが、団員それぞれの事情によって滞在が長引いていた。
リラは旧交を温めながらラエティティアとともに鍛錬に励み、アルはそれに同行して桃熊聖騎士団の訓練に顔を出すようになっていた。
ベルムは街中を素顔で歩くことを避け、頭巾をかぶって生活していたが、稀に見る巨漢に頭巾の姿という出で立ちが噂を呼び、「三歩の間合いまで近づけたら勇敢」という、歩く度胸試しスポットになっていた。
モディは公演で得た資金を増やすべく、巧みな交渉術と怪しい取引で忙しくしていた。
だが、音楽団の滞在期間を最も引き延ばしていたのはトリステスだった。朝早く出かけ、夕方の公演頃になってようやく戻り、公演が終わってからも宿から出て行くことすらあった。
「トリステスさん、何かお手伝いできませんか?」
「ありがとう、リラ。でも、貴女も疲れているだろうから、しっかり休んで。私の要件は、大したものではないから」
何度かリラが手助けを申し出ても、なしのつぶてである。
モディは「行きずりの恋を楽しんでるのよ、きっと」とケラケラ笑っていたが、リラとしては面倒事に巻き込まれていなければと心配になった。
結局、ペリスの街全体の浄化が終わってから一週間経って、ようやくトリステスは「用事が済んだ」と仲間達に伝えた。それを受けたベルムが街を出ることを宣言し、夜、アルの部屋をトリステスが訪れた。
「分かっているだろうが、リラはずっと心配していたぞ」
「そのようですね。何か適当に話をつくって、安心させてあげるべきでした。ただ、最悪のケースを考えると、彼女を遠ざけている方が良策だと思ったので」
アルドールは表情にこそ出さなかったが、内心では微笑みを浮かべていた。
姉姫のアイテールの下で働くトリステスは、昔から沈着冷静で、歯車で動いているように緻密だ。だが、それだけに人間味がないと感じるような瞬間があり、小さかった頃は不気味にすら思えていたものだ。それが、共に旅をするようになってから、もっと言えばリラが楽団に加わってから、雰囲気そのものが柔らかくなったように思う。
「それで、何を調べていたんだ? 今の口ぶりからして、真っ当な者を相手にしていたわけではなさそうだが」
「これです」
トリステスが懐から取り出したのは、青白く光る鉱物だった。大きさは子供の親指ほどだろうか。まだ月は片鱗しか輝いていないのに、まるでそれ自体が光を放っているかのように不思議な光彩を示している。
「これは――まさか、霊銀か?」
「はい。テラ・メリタ共和国で産出される、瘴気に対する浄化の力を持つ希少鉱物。ご存じの通り、霊銀そのものの取引は禁じられています。テラ・メリタにおいて霊銀薬として精製されたものだけが流通するはずですが、ここに実物が」
アルドールは驚きながら、それを慎重に手に取った。
「初めて見る。間違いなく本物なのか?」
「はい。その確証を得るために時間がかかったのです」
触り心地はまさに石のようだが、重い。想像していたよりも、腕に力がこもる。
「そのサイズは、一般的な霊銀薬なら百はつくれるもののようです」
「凄まじいな。こんな大きさの石で、百人を救えるのか」
トリステスに石を返しながら、アルは話を進める。
「ここペリスの街は、テラ・メリタとステラ・ミラを繋ぐ交易の要衝だ。だが、霊銀そのものは輸出入の対象ではない。つまり、これは密輸ということになる。当然、その先までも、ある程度の調べが付いているんだろう?」
「はい。売り手はテラ・メリタ四大都市の内の一つ、中央都市ゲンマに本拠地を構えるフォルミード商会です」
アルドールは記憶を辿った。
テラ・メリタ共和国は、経済的に力のある四つの都市がそれぞれ代表を出して政治を取り仕切っている国だ。中でも、ゲンマという街は最大の鉱山に隣する大都市で、事実上の都といって差し支えない所のはずだ。
「そのフォルミード商会というのは?」
「モディ曰く、かなり新しい商会だそうです。あまり詳しい事情は分からないとのことでした」
「ふむ……売り手は分かったが、買い手は?」
「大聖堂です」
「なんだと? 聖女を擁する大聖堂が、なぜ霊銀を求める必要がある」
顔色を変えたアルの問いは、トリステスに対するものというよりも、思考を進めるための呟きだった。
瘴気が肉体を侵し、瘴疽となった場合、浄化、治療する術はふたつしかない。ステラ・ミラでは聖女が、テラ・メリタでは霊銀がそれを担っている。それぞれ、聖女がテラ・メリタに生まれることや霊銀がステラ・ミラで産出することはなくはないそうだが、ステラ・ミラの大聖堂は霊銀および霊銀薬の使用を制限している。
建前の理由は、瘴気に関する一切を大聖堂が管理することで、国全体に公正かつ適切な処置を施すためだ。一方、実の理由としては、聖女を信仰の対象とすることで自らの権威を保つためだろう。
だから、大聖堂にとっては霊銀という存在そのものが好ましくないはずなのだ。わざわざ密輸という禁を犯してまで手に入れる必要がどこに在るというのだろう。
「大聖堂の誰か、というところまでは分からなかったのか?」
「そこまでは。運び屋は末端の犬に過ぎないでしょうし、締め上げたとしても真相までは知らないでしょう。それに、そういった動きをとるのはかなりのリスクがあります」
そうだな、とアルドールは小さく頷いた。




