第四十五話 脅迫しておこう
さてと、と振り返り、ラエティティアが赤毛の青年をまっすぐ見据える。さっきまでのにこやかな笑みは消え、真剣な面持ちだ。
「ごめんね、引き留めちゃって。でも、大切なことだから」
「心して聞こう」
ラエティティアは一拍置いて、息を大きく吸い、あらためて口を開いた。
「貴方を、脅迫しておこうと思って」
「剣呑だな」
アルが苦笑すると、ラエティティアも表情を緩める。だが、彼女はまた顔を引き締めた。
「リラの歌には、浄化の力が宿るんだってね」
アルは深く頷いた。
リラの『聖歌』の力を、ラエティティアが知っている。その事実には、アルは驚かなかった。
リラが彼女に真実を伝えたであろうことを、直接聞いてはいなかったが、薄々感付いてはいたからだ。ラエティティアが宿を来訪した日が、そうだったのだろう。あの日、二人がリラの部屋に入ったきり、長い時間出てこなかったのは、これまでの経緯を伝えあっていたからに違いなかった。
「聞いたときはびっくりしたけど、納得もした。ああ、それがリラの本当の姿だったんだな、って。そして、リラが望まない以上は、どれだけ重大なことであっても大聖堂に伝えるべきではないな、とも思ってる。だから、貴方達の旅に支障はないから安心して」
だけど、とラエティティアは続ける。
「リラを護るためになるなら、話は別。ここ最近、大陸中で瘴気絡みの異変が増えてるのは知ってるよね。大聖堂に真実を伝えることでリラが安全になるなら、ボクはそうする。あの人達は偉大な聖女の誕生をずっと心待ちにしているから、総力を挙げてリラの身柄を確保するのは間違いない。事実、少しでも強い力を持った聖女が現れると『聖母』とか『光の娘』とか肩書を付けて囲い込んできた歴史があるし――」
ラエティティアはそう言うと、きゅっと唇を噛んで黙った。そして、ふぅ、と息を吐いてあらためて口を開いた。
「今回、ワリスの谷で起きた大発生の規模は前代未聞だった。もしも何か、リラの身に危険が及ぶようなことが西で起きたと聞こえたら、ボクはすぐに大聖堂にチクるよ。たとえ、それが彼女の自由を束縛することに繋がると分かってても」
なるほど、これが「脅迫」の中身か。
大陸を二分する大国の片翼、ステラ・ミラの大聖堂が保有する力は絶大だ。彼らがその気になれば、大陸が広かろうが他国にいようが、ひと一人の身柄を確保することは難しくないだろう。
リラの為だから、大聖堂には力を秘匿する。
リラの為なら、大聖堂でも利用する。
それが、このラエティティアという聖女なのだ。
「分かった。彼女が笑顔で居続けられるように、この身を賭して彼女を護ろう」
「任せるからね。ひとまず」
付け加えられた言葉にアルは思わず笑ってしまった。人の想いには色々な形があるものだが、彼女からリラに対する想いは、友情というべきか愛情というべきか、言葉にしにくいもののように感じる。
「ボクの話はそれだけ。引き留めてごめんね。あと、順番がちぐはぐだけど、ありがとうね、リラの力に気付いてくれて。本当は、ボクが気付きたかったけど――一番気付けるところにいたはずだったのに」
「近くにいるほど見えなくなるものもあるだろう。だが、少なくとも、リラがあんな風に前向きでいられるのは、間違いなく君のおかげだ。こちらこそ、ありがとうと言わなければ」
アルとラエティティアは互いに笑みを返した。
「そう言えば、楽団はここから西へ向かってテラ・メリタに入るんでしょ?」
「ああ、その予定だ。大橋を通って谷を抜けるか、旧道をぐるっと回るかはまだ決まっていないが」
「その後は? ロクス・ソルスから来たってことは、北へ?」
「そうなるだろうな」
ラエティティアが口を尖らせる。
「それじゃ、次にリラに会えるのがいつになるか、分かったもんじゃないなぁ。大体、ロクス・ソルスに行ってそのまま帰ってこない可能性だってあるだろうし……ねぇ、アルさん。実際のところ、どうなの?」
「どうなの、とは?」
「ボクはロクス・ソルスの現状を詳しく知らないけど、異変は北より始まる、なんて古い言葉もあるくらいだから、リラの力が必要な状況ではあるんでしょ? そうしたら、浄化のために長く留まることになるだろうし、長く留まれば情も沸くだろうし、情が沸いたら――」
聖女の目がキラキラ輝いている。
「……君の言う通り、ロクス・ソルスの状況は数年前から悪くなりどおしだ。霊銀も聖女もない国では瘴気に対抗する術がそもそも少ない。騎士団が我が身を犠牲にして魔物を討伐し、瘴気を分散させはしているが、何もなくても百年は持たないだろうと言われている。だから、彼女が我が国に来てくれるのは望むべくもないことだ。だが――」
視線を落として、アルは呟くように言葉を続けた。
「決めるのは彼女自身だ」
「そっか。ごめんね、長く引き留めちゃって。リラが待ってるだろうから、早く帰ってあげて」
アルの背中が見えなくなるまで見送ってから、ラエティティアはふっと表情を曇らせた。
「……『我が国』ねぇ。やっぱり、ただの旅芸人の集団ってワケじゃなさそうだ」




