第四十一話 よかった
「ラエ、あのね――」
リラは拳をきゅっと握り、それからぱっと離した。いつも通りの手がそこにある。左手の爪は五本とも美しく銀色に輝き、右手の爪はどれもただのピンク色。
かつては、この銀色の爪が嫌いだった。すべてが銀色でなければ、『半聖女』でなくただの人でいられたはずだから。でも……
「私、昔は腕を組んだり指を包んだりするときに、銀の爪の方を隠すようにしてたの、覚えてる?」
「うん」
「半分しかないっていうこと自体が嫌だったからなの。いっそ、なくなっちゃえばいいのに、って思ったこともあった。でも、ラエが言ってくれたよね。半分しかないことは罪じゃないって。可能性なんだって。あの日から、指の組み方が変わったの」
そうだ。
自分が前を向いてこられたのは、あの日、ラエが勇気をくれたからだ。太陽色の髪の聖女が、その髪の色の通り、自分を明るく照らして暖めてくれた優しい思い出をくれたからだ。
この人に嘘をついたり、誤魔化したり、隠し事をしたりするのは、その恩を仇で返すことだ。許されることじゃない。
「その可能性がね、分かったのかもしれないの」
リラを、ラエティティアの太陽色の瞳がまっすぐ見据えている。
「私の歌声には、浄化の力が宿るみたい」
リラは、金鹿聖騎士団を抜けてからこれまでの出来事を、包み隠さず話した。コルヌの都でアルの腕を癒したこと、デンスの街で人々の瘴疽を治したこと、沿岸を浄化してまわったこと、カウム洞窟で瘴気そのものを晴らしたこと。そして、桃熊聖騎士団の瘴疽が癒えたのは、おそらく後方で自分が歌った効果であろうこと。
ラエティティアは終始真剣な表情で耳を傾け、時折頷き、途中からは目に涙を浮かべていた。そして、リラの話が終わると、優しく親友を抱きしめた。
「よかった……よかったね、リラ」
「ラエ……?」
「誰よりも頑張ってきたリラが、ちゃんと報われてよかった……」
消え行ってしまいそうな細い声が震えて落ちて、リラの目からも涙が溢れた。
ああ、話してよかった。
自分が『半聖女』であることを、もしかしたら自分以上に、この可愛らしい聖女は気にしてくれていたのかもしれない。
涙を流しながら抱き合い、小一時間ほど経ってようやく二人は離れた。
「えへへ……リラ、ひどい顔」
「ラエだって」
同じように笑い、同じように鼻をすする。
ラエティティアが視線を横に向け、あらためてリラに向き直って口を開く。
「音楽団の人達は、全部知ってるの?」
「うん。私の力に気付いてくれたのが皆さんだったから。コルヌの都を出てからずっと、今日までやってこられたのはあの人たちのおかげだし」
ふぅん、と漏らして、ラエティティアは声を落とした。
「ロクス・ソルスの人達なんでしょ。最後は自分達の国に落ち着くんだろうけど、リラはずっと一緒についていくの?」
ついていく、という言葉を聞いて、リラは胸の奥にずしりと重い物を放り込まれた気がした。自分はすっかりウェルサス・ポプリ音楽団の一員だと思っていた。ついていくもなにも、行動を共にするのは当たり前のことだと思っていた。
「それは――」
リラがふっと表情を曇らせた瞬間、反対にラエティティアは表情を砕いた。
「って、まだ分かるわけないか。聖騎士団が新設されるってなって、真っ先に手を挙げたときだって、先のことなんて考えてなかっただろうしね」
「それはっ……そうだけど」
ラエティティアの言う通りだ。
三年前に金鹿聖騎士団が出来ると聞いて、専属に立候補したときは、ずっとそこで聖女としての使命を果たしていくものだと思っていた。まさかたったの三年で退団して、音楽団として生活しているなんて当時は夢にも思わなかった。
「それにしても、またリラに置いてきぼり食らうとは思わなかったな」
「また?」
親友が寂しそうに笑う。
「ヴィア姉のこと、覚えてる?」
「もちろん。未だにその呼び方をしてるのは、ラエくらいだと思うけど」
今でこそヴィアの名は、銀狼聖騎士団の専属の聖女として広く知られているが、かつてはリラら聖女達のよきまとめ役として大聖堂に勤めていた。リラの歌声を認めてくれ、レパートリーが増えたことを伝えるたびに喜んでくれた。現在、団長のウィルトゥスとは誰もが認める良きパートナーで、公式に婚姻関係を結ぶのも時間の問題だろうと言われている。
「銀狼聖騎士団の先代聖女が引退して、ヴィア姉が後釜に入ったとき、ボクもいつかは聖騎士団の専属になるぞって思った。でも、いざ聖騎士団が新設される話が出たとき、ボクは身動きとれなかった。都から出て、野に出て、辺境まで旅をするっていうことが途方もないことに思えて。ボクにとって専属聖女は、憧れであって夢ではなかったんだ」
でも、とラエティティアは続けた。
「リラは違ったよね。みんなが尻込みする中、あっという間に手を挙げて、さっさと聖騎士団に入っちゃった。すごいなぁ、って思った。リラのことはずっと、たくさん努力していてすごい人なとは思ってたけど、あらためてかっこいいなって思った。大聖堂を出て行ったあの日だって、すごく表情が輝いてたもん」
口元が緩む。
リラが逆境に耐えるために、どれだけラエティティアの言葉や笑顔に支えられたか分からない。そんな彼女にここまで思ってもらっていたとは、考えもしなかった。
「だからボク、桃熊聖騎士団に入ったんだ」
「えっ?」




