第四話 すまんかった
「えっと、あの……はい。御覧の通り、『銀の爪』です。だから一応、聖女ではあるんですが、大聖堂に勤めてもいないし、聖騎士団にも所属していないんです」
今はもう、という言葉を心の中で付け加える。
アルは興味深そうに頷いた。
「なるほど、いわゆる『はぐれ』というやつか。大聖堂に属さない聖女はそう呼ばれていると聞いた。なんにせよ、素晴らしい才能であることは間違いないが。それで、郷里は?」
「え、えっと――」
「アル」
前を歩いていた女性が、半分だけ振り向き、咎めるような響きの声で言った。
「さっきから、まるで尋問しているようよ。女性に対してあれこれ詮索するものではない――と、お姉さんに教わらなかったかしら?」
「っと……聖女にお目にかかる機会なんて滅多にないから、つい、な。すまなかった、リラ」
「いえ、大丈夫です」
助け舟をもらったリラは、ほっと胸をなでおろした。そんなリラの横に、歩調を緩めたトリステスが並ぶ。アルは入れ替わるように前を歩く形になった。
「リラ、と呼んでいいかしら。もしも今日の宿が決まっていないのなら、空いている部屋を使っていいわ」
「えっ」
「さっき、根無し草だと言っていたでしょう? 私達は、街に滞在するときは小さな安宿を貸切るから、部屋には余裕があるの。もっとも、旅の音楽団を易々と信用するのは難しいかもしれないけれど」
深い青い瞳が、和やかな光をたたえた。優しげな光だった。邪な思いがあるようには見えない。リラは快く頷いた。
楽団の定宿は、大通りを随分外れた場末にあった。厩舎には彼らのものだという馬と馬車があり、中には騎士団が備えていたような野営のための道具類が整頓されて置かれていた。
「このままにして、盗まれたりしませんか」
「盗んだところでたいして金にならんからなぁ。実際、一週間ほどこの街に滞在しているが、ロープひとつなくなりゃせん。さすがは大国ステラ・ミラ聖王国だ、こんな路地裏でも治安がいい」
豪快に笑ったベルムに続いて宿に入ると、一階が食堂に、二階が宿泊用の部屋になっている造りになっていた。食堂には四人掛けのテーブルが六セットあり、二セットが繋げられていた。その上には、既に何品もの料理が並べられている。
「遅かったね、団長さん。簡単なものはつくっておいたが、追加は必要そうかね」
「そりゃあ大将、腕によりをかけて持ってきてくれよ。旅の楽団の帰りが遅いってことは、それだけ稼いできたってことなんだからよ」
「そうかい。俺ゃ、てっきり稼ぎが悪くて帰るに帰れないんだろうと思ってたが」
軽口をたたき合う二人を横目に、楽団員達はそれぞれ座席についていく。どうしたものかと迷うリラを、アルが隣へ誘った。
「お邪魔します」
「そんなにかしこまらなくていいさ。俺達だって、そんなに品格のある人間には見えないだろう?」
リラは苦笑しながら、内心では首を傾げていた。確かに、旅の音楽団という言葉尻だけをとれば、上品な集団ではなさそうに聞こえる。しかし、アルのお辞儀の美しさやトリステスの口調は、どこか貴族的に思えるのだ。
「それじゃあ、この街での最高の稼ぎと、月明かりの巡り合わせに、乾杯だッ!」
ベルムの掛け声で、皆が盃を打ち合っていく。リラも遠慮がちに、小さく音を鳴らした。飲み慣れない葡萄酒を一口だけ含み、その後は水をお願いした。
「あら、リラってば、あんまりいけないクチ? もったいないわね」
胡桃色の髪の女性――モディがウインクをしながら笑う。申し訳なさそうに頷くと、隣にいたアルがリラの持っていたグラスをひょいと取り上げ、そのまま勢いよくあおった。
「苦手なものを無理に呑む必要はないさ。楽に過ごしてくれればいい」
助けてくれたアルにホッとしながらも、リラは咄嗟に右手の爪を隠した。だが、その動作はかえって皆の注目を集めたらしかった。
「そういや公演の終わりごろに気付いたが、お前さん『銀の爪』なんだな。聖女自体、随分久しぶりに見たが、『銀の爪』が片方だけってのは初めて見たかもしれんなぁ」
ぎくりとして、リラが視線を落とす。すると、ドゴォ、と鈍い打擲音が宿に響いた。ハッとして顔を上げると、さっき発言したベルムが苦悶の表情を浮かべ、その横でモディが鋭いまなざしを投げかけている。
「デリカシーのないこと言うんじゃないっての。この子の顔見て、何か特別な事情があるっぽいことくらい、鈍いアンタにだって察しがついたはずでしょ」
「お、おぉ……まことにすまんかった……だが、飲んだ瞬間の脇腹にお前のパンチは効きすぎるぞ……家庭内暴力反対……」
二人のやりとりを見て、アルが声をあげて笑う。その向かいのトリステスも、声こそ出していないが楽しそうに口角を上げていた。つられて、リラの口元も緩む。