第三十六話 昔からそう
桃熊聖騎士団が谷底に着くころには、坂道にも谷底にも周囲の藪にも、瘴気によって実体を持った怪物達の屍が転がっていた。
その数たるや、魔物の遺骸が塵となって消えなければ山となって大地を穢すだろうと思われるほどだった。魔物の骸を見慣れているはずの聖騎士達ですら、数人は顔を顰めた。
「これまでに見たことのない規模の大発生だぜ、こいつぁ」
「同時多発的に沸いてるな。まぁ、一体一体はたいしたことないが」
聖騎士の一人が言った言葉に、他の面々は大きく頷いた。
リラも、これだけの規模の魔物の群れを見たのは初めてだった。もっとも、一体一体が強力なわけではないから、体力的に消耗するというだけで、命の危険はさほどないのだが。
「団長、どうしますか。このまま全員で谷底を進むか、それとも――」
「時間を置けば置くほど数も増えるでしょう。分散して各個撃破も視野に入れては」
「悩ましいわね。この感じだと、最悪、三ヶ所すべてで爆発が起きて魔物が発生しているかもしれない。戦力の分散は戦術の愚策のひとつかもだけど、場合にもよる、か……」
「リラ」
自分にだけ聞こえる声で、アルが呟くのが聞こえた。少しかがんで、彼が言葉を続ける。
「君の歌があれば、瘴気そのものを晴らすことが出来る。この災害を解決するためには、そうするべきだ」
「そう、ですね」
「だが、彼らと同行している内は、力を隠さなければならない。だから、二人で行くぞ」
「ふ、ふたりで、ですか?」
驚きながらも、リラは思考を巡らせて小さく頷いた。
自分でも問題なく立ち回れる程度の魔物しか発生していないのだ。アルが後れを取るはずはない。それに、ムスケルに見せてもらった地図の縮尺を思い出した感じでは、この谷底自体がそれほど広くはない。いざとなれば合流することも出来るだろう。
「わかりました」
「よし――ムスケル聖騎士団長! ひとつ、提案がある」
アルの提案を聞いたムスケルは、初めこそ驚いていたものの、彼の実力を目の当たりにしたこともあって次第に頷き始めた。
「分かったわ。貴方の技量なら、問題はなさそう。私の方も、部隊を半分にしましょ。私とラエティティア嬢、それに二人を加えた四人編成がひとつ。その他八人編成をひとつ。これで、谷底の三ヶ所を一気に制圧するわよ。ただ――」
ムスケルがアルを見つめる。
「無理しちゃ駄目よ、ふたりとも。立場的に貴方達は民間人、こうして前線に立ってもらうべきじゃないんだから。相手が悪いと感じたら、迷わず退却して」
「承知した。今、この討伐部隊の頭目は貴方だ。従おう」
ムスケルが団員一人一人の名前を呼び、編成を決めていく。指示を受けた全員が満足そうに、そして自信にあふれた表情をしていた。その様子を見てアルは、ムスケルはおそらく全員の得手・不得手を完全に把握しており、誰も文句のつけようがない程適切な分担なのだろうと感心した。
その間を見て、リラの傍にラエティティアが駆け寄った。
「ムスケル様が言ってたけど、リラ達は本来的には戦わなくていい立場なんだから、無理しちゃ駄目だからね」
「ありがとう。でも――」
「自分に出来ることがあると分かっているのに何もしないなんて有り得ない、でしょ。リラは昔からそう。ボクよりずっと向こう見ずで無茶しがちだよ」
そう言われたリラは笑って言葉を紡ぐ。
「でも、今日の私は無理しても大丈夫でしょ? 頼りになる聖女様が他にいらっしゃるんだもん」
「お互い様。聖騎士団の瘴疽は責任をもってボクが浄化するけど、ボクが罹ったらリラが浄化してよね」
「うん。だけど、そうならないのが一番だからね」
「準備は出来たわね。さぁ、行くわよ!!」
ムスケルの野太い号令が谷底に響いた。その場にいた全員が気を引き締め直す。
アルがリラに目で合図をし、リラは頷いて応えた。親友同士は視線を合わせて会話を済ませ、各々が進むべき道へと入って行った。
藪から飛び出してくる蛇の魔物や、木から滑空してくる虫の魔物を一刀で切り伏せながら、アルはぐんぐん進む。リラもいつでも戦鎚を振るえるよう準備をしていたが、構えて駆けるだけの形になった。
「近いな」
アルの呟きを聞き取って、リラが驚きの声を上げる。
「瘴気の出所を感じたんですか? これだけ立ち込めていると、私でも分からないのに」
「瘴気を感じているわけではないんだ。危険な気配、というか、感覚的に分かる」
赤い髪の剣士の言葉が正しかったことは、それからほどなく証明された。
勢いよく水が噴出する音が聞こえ始め、さらにそこに向かって近づくと、黒い靄が一帯に広がっている。そして、アルとリラの真正面、ちょうど靄の真ん前に立ちはだかる魔物の姿があった。
巨大な水牛のような体躯に、一つ目の頭部が重そうにうなだれてくっついている。
「カトブレパス!」
リラがその名を呼ぶと、魔物はぐぐぅと顔をもたげた。大聖堂で学び得た知識を瞬間的に掘り起こし、リラは叫んだ。




