第三十四話 渡りに船
「今のは……爆発音でしょうか?」
「そんな感じだったな。炭酸性の水が湧くということは、地中にガスがあるということだろうから、ありえないことではないんだろうが……少なくとも昨日は、こんな音は聞こえなかったな」
楽器店の扉があき、中からエプロンをつけた壮年の男性が飛び出してきた。開く勢いが強く、リラにぶつかりそうになったところを寸前でアルが手で止めた。
「おっと、すまない――と、昨日来てくれたあんちゃんか。そういや、改めて来るって言ってたな」
「ああ、二台お願いしたい。俺の物と、こちらの彼女の物だ」
「悪いが、今日は引き受けかねる。今の音、聞こえただろう?」
店主の言葉に、リラとアルは同時に頷いて応える。
「あの音が、どうかしたのか?」
「知らないのか? あれは、谷底でガスが爆発した音さ。あれが起きると、直後に魔物が大量に発生するんだ。これまでにも羽虫みたいな魔物が一斉に街に大挙してきて、とんでもないことになったことがある。ウチはもう店じまいだ。あんたらも悪いことは言わないから、今日は宿に戻っておとなしくしておいたほうがいいぞ」
口早にそう言って、店主はさっさと看板を「休業」の表示にして扉を閉めてしまった。
振り返ると、大通りではたくさんの人が足早になっている。その表情は明らかに危機感を持っていた。
「魔物が大量に発生……リラ、心当たりは?」
「あります。大聖堂で『大発生』と呼ばれている現象です。瘴気が満ちている地に落雷などの自然現象が重なると起きると言われています。ある時などは、五十体もの小型翼竜が飛び立ったという記録があるほどです。確かに、ガスによる爆発というのもきっかけにはなると思います」
でも、とリラは首を傾げる。
「騎士団に在籍していた頃、何度かこの街に駐在しましたが、ガスによる爆発というのはなかったように記憶しています。もっとも、金鹿聖騎士団が要請を受けて来たときには既に爆発が起きた後だった、ということかもしれませんが」
「桃熊聖騎士団は定期的に訪れているということだったな。彼らが基本的にこの街の平和を維持しているというのなら、ほかの聖騎士団が事情に疎いのも頷ける」
「どうしますか?」
「この街には民間の自警団が組織されていて、ステラ・ミラの騎士団の中隊も駐屯している。それに加えて、今は桃熊聖騎士団も居る――」
アルが腰の剣の柄に手をかける。
「――が、誰かに任せられるものを、俺達がやってはならないという法はない。街の市井を守るための剣は一振りでも多い方がいいだろう。ましてや、ここにおわすのは奇跡の歌声を持つ唯一無二の聖女様だ。俺にどうするかを聞くまでもなく、リラの心づもりは定まっているんじゃないか」
にやりと笑う赤毛の剣士に、リラはにっと笑って応える。
「モディさんに怒られるかもしれませんね」
「謝り方を考えておくか。だが、まずは、桃熊聖騎士団の詰め所に行ってみよう」
ふたりは楽器店にリュートを置いて駆け出し、昨日も通った道を抜け、人波を掻き分け、顔見知りのいる敷地に向かった。
正門にあたる場所に、陽光に頭を輝かせた屈強な聖騎士団長が立っていた。彼は鎧の違う騎士達にも次々と指示を出し、せわしなく働いていた。
その視線が、駆け付けたふたりに気付いた。
「アルちゃん! リラ嬢! どうしてこんなところに?」
「助太刀だ。一大事だと聞いたのでな」
ふたりの自信ありげな笑みに、ムスケルは深く頷いた。
「本来なら部外者お断りってトコだけど……今は人手が欲しいわね。グラディウスの剣を持つ剣士に、実績のある聖女。渡りに船だわ。これを見て」
そう言ってムスケルが広げたのは、広い羊皮紙製の地図だった。ペリスの街とワリスの谷が描かれているのが一目で分かる。谷の地図の数か所に赤で印がつけられていて、その中のいくつかにムスケルが武骨な指を当てた。
「ここと、ここと、ここ。この三つの内のどれか、あるいは複数が、さっきの爆発の現場よ」
「確かなのか?」
「谷で炭酸水が湧出するスポットで、かつ、瘴気も噴き溜まる場所がこの三つだけなの。炭酸水が沸く場所は他にもあるんだけど、この三ヶ所のどこかに瘴気が溜まると他の場所の湧出もピタッと止まっちゃうのよ。そしてそれが十日ほど続くと、土の中にガスが溜まって爆発が起きてしまい、魔物が大量発生しちゃうってメカニズムなのね。そうならないよう、アタシ達桃熊聖騎士団は定期的に谷を巡回して瘴気をチェックしてるんだけど――」
ムスケルが空を見上げる。
「どうやら、いつもとは違う何かが起きているようね。前兆もなかったし、スパン的にはまだ猶予があったはずなのに、爆発が起きてしまった。ただ、今、谷には魔物がわんさかいるのは確かな事実よ」
「では、これから魔物の群れを分け入って、その瘴気の根本を埋めてしまうか、霊銀薬を撒くかしなければならない、ということだな」
「どちらの作業をするにせよ、谷底の魔物を一掃するのが先よ。爆発の直後には強めの魔物が発生するのが常だから、腕利きは一人でも多い方がいい。桃熊聖騎士団の団長として、この場で正式に二人に依頼するわ。街を守るために、力を貸してちょうだい」




