第三十二話 聞こえはいいけど
「トリステスには、明日の昼までを目途に、二人からうまく伝えてくれ。桃熊聖騎士団についてだ」
「団長のムスケルって奴のことですか」
ベルムの問いに、王子は頷いて応える。
「時期的に考えて、彼が対峙したというのはベルム、お前で間違いないだろう。」
「あぁ、そのようで。見た目の特徴は忘れようにも忘れられねぇし、同じような奴が二人といるはずもねぇし」
「お互いにな。向こうはベルムの名を失念してはいたが、今はもう思い出しているかもしれないし、そうでなくとも顔を合わせれば何かしらの反応をするだろう」
「オレとしても名前は忘れちまってたしなぁ。だが、名工グラディウスの話を教えてやった記憶もあるし、随分と戦術談義もした。まさか、こんなところでニアミスするとはな」
ああ、とアルは小さく頷く。
「確認するが、リラは、俺がロクス・ソルスの王家の人間であること、そしてお前達がその家臣だということをまだ知らない。いつまでも欺き続けるつもりはないにせよ、伝えるタイミングと伝え方は慎重を期したい。だから、それが明らかになる可能性のある桃熊聖騎士団との接触は避けるに越したことはない。面識があることを悟られるような口の滑りも、厳に慎んでくれ」
ベルムが苦笑し、アルがモディに視線を送ると、胡桃色の髪の女丈夫は思わず頭を抱えていた。
「……すみません。あたしが言った、ラエティティアちゃんっていう子に会ってみたい、っていうのは悪手でしたね」
「いや、俺が先に注意を促しておくべきところだったのに、気が回らなかっただけだ。どうも、気になることが多くてな」
「気になること?」
「気になること?」
夫婦が同時に同じ問いを口にして、アルドールはハッとして顔を上げた。
「いや、なんでもない。とにかく、話はこれだけだ」
「殿下」
立ち上がったアルドールに声をかけたのは、モディだった。
「リラちゃんと、何かありました?」
「……いや。食事中に話した以上のことはないよ。それじゃあふたりとも、おやすみ」
主君が出て行った扉をしばらく見つめた夫婦は、どちらからともなく目を合わせた。
「わざわざあんなこと聞くってこたぁ、何か感づいたのか?」
「まぁ、ね……っていうか、ずっと気にはなってるのよね。出会いの場面から、ずっと」
大きく息を吐いて、モディがベルムの厚い胸板に頭を預ける。
「何度かあなたには話したけど、お互いに惹かれ合ってはいると思うのよねー。年が近くて、それなりに時間を共有して、いくつも同じ思い出が出来て、その気持ちが深まるのは自然なことではあるんだろうけど……」
はぁ、とモディがため息をつく。
「かたや小国の未来を背負った王子、かたや世界の在り方を変える力を持つ聖女。運命の出会いと言えば聞こえはいいけど……どっちも肩書が大きすぎて、ハッピーな展開が見えてこないのよね」
「そうとも限らねぇさ。いい男といい女が惚れ合った、ならやることはひとつだろ?」
「ちょっと、まだ話の途中――」
「途中なのは、話じゃない方もだったろ?」
「あっ、もう! ……――」
「俺は今日こそリュートの点検整備に行く。昨日、都合のいい楽器店を見つけてな。それで、よければリラも――」
「是非!」
リラが前のめりになった拍子に、テーブルと、その上に並べられていた質素な朝食がガタンと揺れた。
その様子を見て、モディがクスクス笑う。
「リラちゃん、そんなにアルとお出掛けしたかったの?」
「ちっ、違います。私もリュート奏者の端くれですから、きちんと手入れをしたいと思っていたんです」
「あら。残念だったわね、アル」
「何が残念なんだ。リュート弾きが共だってリュートの整備に行く、ただそれだけのことだろう」
「二人だけで大丈夫? 昨日街を散策していて、あまり真っ当でない輩も多かったようだけれど――」
トリステスが二人を交互に見てから言葉を続けた。
「……でも、まぁ、アルがいれば大丈夫かしらね。それじゃあ、私は今日も街中を見て回るわ。武具の類以外にも、色々と面白そうなものがあったから」
それを聞いた夫婦が、自分達はどうしようかと互いに言葉を交わす。彼らは消耗品の調達や公演の許可、当面の公演場所の品定めなど一通りのことを昨日の内に済ませてしまったらしい。
「オレは宿でのんびりしてるかな。昨日散々連れまわされて、大事な細足がすっかりイデデデデデ!」
「誰のどこが細いってのよ。あんたの体のパーツは、血管の一本に至るまでぶっといでしょうが。まぁいいわ、ねぇ、トリステス。あたしも一緒に行っていい? せっかくのオフなのに、ずっと髭面見て過ごすのももったいないしさ」
「ええ、構わないわ」
こうして二日目の休日の動き方がそれぞれに決まった。
リラは出かける準備が出来次第、一階の食堂でアルと待ち合わせることになり、部屋に戻って急いで用意をした。用意といっても、特別にすることはほとんどない。貴族の子女ならば時間をかけて化粧をするのだろうが、リラはコルセットのひとつも持っていない。ただ、戦鎚は今日は持って行こう、と腰に帯びて、リュートを抱え、部屋を出た。




