第二十四話 着いていっていいですか
「リラはどうする?」
「私は……」
聖騎士団に在籍していた頃は、基本的に宿舎に缶詰だった。聖女様に何かあっては申し訳が立たない、という理由で護衛がつけられ、自由に出歩くことも許されなかった。でも、今は違う。自分の意志で街を歩き回っていいのだ。
かと言って行く当てがあるわけではないし……と思った矢先、リラはアルがリュートの手入れをする予定なのだと思い出した。そこに同行させてもらえないだろうか。だが、いきなりそれを口にするのは不躾な気もするし。それに、先日の海での会話を思い出すと、あの時の顔の熱さが蘇ってきてしまい、一緒に行動させてもらうのが恥ずかしく感じてしまう。
「……私は、ちょっと、ぶらぶら歩いてみます」
「……そうか。気を付けてな」
そう言って、アルもさっさと宿を出て行ってしまった。リュートは持たず、剣だけ帯びていったところを見ると、まずは店の品定めに行ったのだろうか。
「アルさんがリュートの修繕に行くなら、一緒についていっていいですか」
誰も居なくなった宿の玄関で、ぽつりと言葉を床に落とす。勇気を出して伝えたら、断られることはなかったんじゃないだろうか。いや、でも、アルに何か目的があったとしたら、邪魔になってしまったかもしれないし。いやいや、あんな風に言ってくれたんだから、無下にはされないような。いやいやいや、旅の仲間という関係に、別の感情を持ち込むわけには……
思考があちこちを巡り、妙な疲労を感じたリラは、はぁ、とため息を一つついてとりあえず宿を出た。
モディが配ってくれたお金はそれなりの額だから、大切に持ち歩かなければと、リラはショルダーバッグに大切にしまい込み、往来へ一歩踏み出した。
考えてみれば、長年過ごしたコルヌの都ですら、一人で歩いたことなどほとんどない。必要なものがあれば大聖堂の、あるいは聖騎士団の従者に伝えて事足りた。ウェルサス・ポプリ音楽団に入ってからは、常に誰かが一緒に行動してくれていた。
「とりあえず、迷子にならないようにしなくちゃ」
体に力が入るのを自覚しながら、リラは大通りを歩く。
何度も後ろを振り返り、宿の看板が見えるのを確認する。
前を見ると、壁からぶら下がる看板に目移りしてしまう。武具の店――は、トリステスがもう入った店だろうか。飲み物の看板――は、ベルムとモディが中にいるかもしれない。また飲み物の店、その奥も――なるほど、確かに、飲料の取り扱いが多い街のようだ。
試しにどこかの店に入ってみようかと思っても、出入りする人達の多さに圧倒されるだけで、リラはただ大通りをまっすぐ歩いた。横道に逸れたら宿に帰るまでの道を忘れてしまいそうで、それも出来ない。
「そこの方ぁ~」
行き交う雑踏と声の中で、自分に向けられたように聞こえた一声。声は、意識すれば対象にまっすぐ届く。それを大聖堂の生活の中で経験していたリラは、その場に留まってきょろきょろと声の主を探した。
若い男性の声だったけど、と見渡すと、くすんだ金髪を後ろに束ねた男が小さく手を振っているのが目に入った。彼で間違いなさそうだ。ほっと息をついて、リラにまっすぐ近づいてくる。年齢は、自分よりも、あるいはアルよりも上に見える。
「いやぁ、よかった。ぶしつけなことを聞くんですけどね、お姉さん、聖女様だったりしますかね?」
リラは反射的に左手で右手を覆った。
「はい。えっと、何かお困りですか」
「こいつぁ助かったかもしれん。実は、俺の連れが瘴疽で病んじまってて。もしも可能でしたら、ちょっと力を貸していただけないかと。お代はもちろんお支払いします」
「お代はいただきません。ただ、土地勘がないので、帰りに道を教えていただけるとありがたいのですが」
それはもちろん、と男が笑ったので、リラはそれならと頷いて応えた。
男が慣れた様子で大通りから路地に入り、リラは慌てて彼に続いた。くねくねと入り組んだ細い道が続く。途中までは道順を覚えていたが、もう分からなくなってしまった。
暗い道が続く。
まだ昼前だったはずだが、建物の陰が多く、妙に空気がひやりとしている。
「ここです」
男が指したのは、扉が腐食した古びた一軒家だった。
ここに至ってようやく、リラは自分が危険な状況に陥っていることを自覚した。
何も疑問を持たずにホイホイ着いてきてしまったが、気付けば周りには人気が無く、大通りからも随分離れてしまっている。
あらためて男を見ると、ベルムほどではないにせよ、大柄だ。組み敷かれたら抵抗できそうにない、と思いながらリラはゆっくり腰元に手を当てた。だが、期待していたものはそこには無かった。戦鎚は、宿に置いてきてしまっていた。街中で持ち歩くのは物騒だと、置きっぱなしにしたのだった。
「……何か?」
「あっ、えっと……そう、浄化のために必要なものを、宿に忘れてきてしまったみたいで」
ほう、と男が首を傾げる。
「なんでしょうか。もしかしたら、こちらで用意できるものかもしれない」




