第二十三話 逆よ
山間の都市ペリス――
ステラ・ミラ聖王国の南西部に位置し、近くにワリスの谷と呼ばれる深い峡谷を臨む街。深い谷には瘴気が立ち込めるのが常で、ワリスの谷もまた凶悪な魔物が度々出現する危険な土地である。しかし、谷底に湧出する天然の炭酸水に魅入られた人々が危険を顧みずに集い、歴史を成し、今では王国内でも有数の大都市となっている。
「すごく活気のある街ね。南のデンスの街も賑わってはいたけれど、質が違う感じがするわ。うまく言えないけれど」
石造りの家々に囲まれ、トリステスが感嘆の声を漏らす。見える範囲の往来はどこも人がひしめき合い、市場と思しき通りからは賑やかな声を跳ね返って聞こえてくる。
「この街は、テラ・メリタとステラ・ミラを行き交う商人の中継点になってるからね。どの国もそうだけど、人と物が動く街っていうのは栄えるもんなのよ。何か、珍しい物も見つかるかもね」
なるほど、と感心するリラに、モディが得意気な顔をして見せた。
「ま、そうは言っても、この街の発展はここ五十年ほどのことだけど」
「どうしてですか?」
「飛躍的に架橋技術が発展したからよ。それによってワリスの谷にいくつもの大橋が架けられるようになり、商人達が行き交えるようになったの。橋の通行料はかなりのものなんだけど、それを払うだけのメリットの方が大きいんでしょうね。以前まで使われていた迂回路の途中にあるウングラの街なんて、閑古鳥が鳴いて久しいってもっぱらの噂だもの」
「……モディさんって、ロクス・ソルスの人ですよね。それなのにステラ・ミラのことをそんなに知ってるなんて、すごいです」
モディがふふんと鼻を鳴らして言う。
「えっへっへ~。ま、小さい頃から、嫌々ながらも流通やら経済やら歴史やら、商売に必要そうな知識は叩き込まれたからね。リラちゃんが聖女として修行していた時期を、あたしの場合はそっくりそのままお勉強に使ってたって感じかな」
「嘘つけ。黙って座ってられなくて、家を飛び出しては棒切れ振り回してばかりだったくせにイデデデデ!」
いつもの展開に笑いながら、一同はいつものように細い通りに入り、賃料の安い宿を借り上げた。
「この街には、どれくらい滞在するんですか?」
「ん~? そうだなぁ……」
ベルムがちらと視線を横に向けた。視線の先に立っているのは、アルだ。
「そういや、アル。リュートの手入れをしたいとか言ってなかったか?」
「ああ。潮風の受ける日々が続いたせいか、少し音が悪くなっている気がしてな。可能であれば専門家に一度見てもらいたいとは思っていた」
アルの旋律は初めて聞いたときから何も変わっていない、むしろ上達しているような気さえしていたリラは、驚いた。もしかして、自分では気づいていないだけで自分のリュートも相当調子っぱずれになっているのではないだろうか。もっとも、最近は歌に集中して弦に触れないことも増えてきてはいるのだが。
「それじゃあ、今日明日、公演しないでゆっくりしてみる? 考えてみれば、半日休みはあったけど、まるっきりオフっていうのはなかったもんね。リラちゃんの喉も休ませてあげたいし」
モディの提案に真っ先に賛成したのは、トリステスだった。
「ちょうどいいわ。一人でゆっくり動く時間が欲しかったの。多頭蛇と戦ったときに結構な数の短剣が毒液で痛んでしまったから、一通り装備を新調したいと思っていて」
「それじゃあ、とっとと荷物を置いて、各自、自由に時間を過ごすとしようぜ。コルヌとデンスでひと稼ぎして、財布にはこの通り、たっぷりと余裕があるしな」
「その余裕がある財布をあんたに預けっぱなしにするわけないでしょ」
ベルムが取り出した大きな革袋を、モディが目にも止まらぬ速度で横から取り、手早く団員に分け与えていく。
「はい、これがリラちゃんの分。こっちがアル。トリステスは、これくらいかな」
各々が自分の財布袋にそれを受け取り、ベルム以外は満足そうに笑った。
「……おい、モディ。俺の分は?」
「アンタを一人で別行動させるわけないでしょ。さっ、アタシ達は楽団として必要なものを先に買い揃えに行くわよ! ここに来るまでにもらった手紙を見せて、活動の認証もしてもらわなくちゃならないし」
不満をぶちぶち言い続けるベルムを引っ張って、モディはさっさと宿から出て行ってしまった。そんなふたりを見送って、その姿が見えなくなってからリラは不安げに口を開いた。
「大丈夫なんでしょうか。ちょっと、ベルムさんがかわいそうな気が……」
「逆よ、リラ」
トリステスが優しく微笑む。その表情にリラはハッとして、小さくなるほどと呟いた。
「そっか、そうですよね。ご夫婦なんですもんね。二人きりの時間も、必要ですよね」
「そういうこと。それじゃ、私も出かけてくるわ。随分広い街のようだから、しっかり吟味して整えたいし」
そう言って、トリステスは颯爽と出かけて行った。凛とした佇まい、歩き方に、あらためて感心する。それなりに年が離れてはいるのだろうが、同じ年の頃になったとしても自分があんな風になっているとは到底思えない。
ふたり残されたリラとアルは、互いに見合って目を合わせた。




