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第二話 この良き出会いに感謝を

 暗く冷たい廊下を歩きながら、こぼれそうになる涙は前を向いて堪える。悔しさ、虚しさ、切なさ、申し訳なさ。渦巻く感情を必死に制御する。

 負の感情も『瘴気』の発生源になると言われている。曲がりなりにも聖女の自分が瘴気を発生させでもしたら、笑い話にもならない。


『瘴気』――世界中のあらゆる暗がりや澱みに発生するとされる、邪悪の具体。それ自体が形を成せば恐ろしい異形の『魔物』となり、動植物に取り付けば『瘴疽』を引き起こす。肉を腐らせ、痛みと膿を広げる悪疫に対する有効な手立ては、世界に二つしかないとされる。

 ひとつは、希少金属の『霊銀』から生み出される霊薬。地方によって様々な呼び名を持つそれは、瘴疽の症状を和らげ、快癒させることが出来た。

 もうひとつは、『銀の爪』を持って生まれる『聖女』の存在。痛みと引き換えに瘴疽を癒す神秘的な行為は『浄化』と呼ばれた。


 鉱山資源に乏しいステラ・ミラ聖王国だったが、『銀の爪』をもって生まれる女児が少ないながらもおり、国はその保護を国是としてきた。生まれてすぐに親元から引き離し、大聖堂で大切に育てるのだ。片側にしか銀色の無かったリラですら、貴重な聖女の雛だった。

 どこで生まれたのか、両親がどんな人なのか、リラ自身知らない。物心がついた頃には大聖堂に居た。病む人を癒し、痛む人を慰め、苦しむ人に寄り添った。心無い人達から『半聖女』と揶揄されても、リラは挫けなかった。安寧の大聖堂を出て、危険な野を往き、辺境の人々を癒し、早三年。達成感は、ない。


 聖騎士団の施設内にあてがわれた聖女の居室も、出ていかなければならない。返却すべき団服を脱ぎ、一張羅の白いローブをまとう。手早く支度を終えたリラは、最後にリュートを抱えて部屋を出た。

 この古い弦楽器は、まだ大聖堂に居た頃に取り寄せたものだ。浄化の反動による痛みに心を落ち込ませる同輩達の慰めになればと、独学で学び、習得した。聖騎士団に所属してからも、遠征中は騎士達の疲れを癒そうとしめやかに弾き、来訪先では人々の不安を紛らわせようと民謡を奏でた。団長のファルサにしてみれば、どれもどうでもいいことだったのだろうが。

 正門まで行くと、番に詰めていたのはマエロルとラティオという、二人の若い聖騎士だった。どちらも沈痛な面持ちをしている。どうやら、自分が退団することは既に、いや、前もって知れ渡っていたらしい。まったく、根回しの早いことだ。


「今までお世話になりました。他の皆さんにも、よろしくお伝えください」

「あっ、あの……」

「はい?」

「……お達者で!」


 叫ぶように言って、マエロルは栗色の髪が跳ねるほど勢いよく敬礼をした。

 隣のラティオも、くすんだ金色の髪を靡かせて静かに敬礼をする。


「事情があって団を離れるとのことで、残念な限りです。どうぞ、お元気で」


 リラは深々と頭を下げてその場を後にし、城下をとぼとぼ当て所なく歩き始めた。

 これからどうしたらいいのだろう。

 大聖堂の門を敲けば、きっと帰還を歓迎される。そうすれば、真新しい純白の法衣を渡され、荘厳な寺院の中で浄化を求める人々を待つ日々が始まるだろう。

だが、年々理由をつけて高額化する寄進を納められるのは、基本的に都に所縁のある富裕層ばかりになってきている。瘴疽の痛みに苦しむ人は、貧しい暮らしをしている人々の中にも、この都から遠く離れた辺境にも大勢いるというのに。

 聖騎士団を追い出されたとはいえ、あらゆる人の力になりたいという志は変わってはいない。貧富の差無く、自分の浄化の力を役立てたい――とは言っても、志だけではご飯を食べていけない。個人で浄化して回り、報酬を受け取るような生き方をしたいとは思うが、騎士団の力なしで自分に野営や辺境遠征が出来るとも思えない。

 はぁ、とため息を一つついてから、リラはどこからか、楽しげな音楽と歓声が聞こえてくるのに気づいた。太鼓の音、横笛の音、そして、聞き慣れた弦楽器の音。


「リュートだ」


 巧い。

 独学と真似事で曲を奏でている自分とはまるで違う、心地よい旋律。糊口を凌ぐ術を探すのが先決だと分かっていながら、リラの足は美しい音色が聞こえてくる方へと吸い寄せられていった。

 都にいくつもある大路の、またいくつもある広場の内のひとつに、人だかりが出来ている。


「ありがとう、ありがとう! たくさんの拍手を、どうもありがとう!」


 旅の音楽団だろうか。団長らしい出で立ちの、豊かな髭をたくわえた大柄な男性が両手を広げると、広場はさらに喝采に包まれた。


 楽団は四人組だった。

 団長と思しき、髭を生やした男性は打楽器の担当なのだろう。両手に二本のバチを持っている。

 胡桃色のミディアムボブの女性は歌唱担当だろうか、何も手にしていないようだ。

 青いポニーテールの女性は、短い横笛を持ってる。

 そして、もっとも若そうな、赤い髪の男性が手にしているのが、紛れもなくリュートだった。見慣れた丸々とした胴部分、太く短い棹、そこに張られている十三本の弦。彼がさっきの美しい旋律を奏でていたのだと思うと、胸が不思議と高鳴った。

 じっと見ていると、不意に目が合った。目鼻立がくっきりとした、端正な顔立ち。ドキン、とたじろいだリラに向かって、彼は手招きをした。聴衆の視線がリラに集まり、ざぁっと音が立つ。


「この良き出会いに感謝を! 次の曲は、北方に伝わる夜想曲『月影』。通りがかった夜色の髪の乙女を招いて、合奏といきましょう!」


 期待に満ちた拍手によって、リラは広場の中央へと押し流された。手招きをした赤い髪の青年が、にっこり笑って口を開く。


「弾ける?」


 通りの良い精悍な声に、リラはまたドキンとした。


「ゆ、有名な曲ですから」

「よかった。それじゃ、いってみようか」

「でも私、あんまり上手じゃ――」


 トン、トン、トン、トンと静かに太鼓の響きが始まってしまった。

 リラは慌ててケースからリュートを出し、ベルトを肩にかけた。

 甲高くも美しい笛の音が加わった。すぐにリュートの出番が来る。急がないと。

 調律を確かめるために、小さく、ポロンと弦を弾く。うん、大丈夫。リラはこれまでに何度も奏でてきた旋律を奏で始めた。


「いい音だ」


 赤い髪の青年がそっと呟き、爪弾き始めた。

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