第十八話 陽が当たらない場所
デンスの街から西、徒歩なら二週間ほどかかる漁村に歌声が響いていた。
ウェルサス・ポプリ音楽団の演奏の中心に居たのは、リラだった――とは言っても、いつもの五人が揃っているわけではなく、リラの他にはアルとモディがいるだけだ。
リラの歌声に聞き入っているのは、数日前まで瘴疽で歩くこともままならなかった壮年の男性をはじめ、数人の村人だった。瘴気による体の蝕みは落ち着いて、純粋に音楽を求めて足を運んでいた。
「あんた方が来てくれたおかげで、村は救われたよ」
「まさか、歌で瘴疽を癒すなんてことが出来るとはなぁ」
「出来ればずっと留まってほしいくらいだが、そういうわけにもいかないんだろう? 何やら荷物をまとめていたようだが、もしかして、今日明日にでも村を出て行っちまうのか?」
リラは首をふるふると横に振った。
「いえ、まだ数日は。ただ、今日は午後から南西にあるカウム洞窟の調査に行きます」
男達が驚きの表情を浮かべ、互いに顔を見合わせた。
「ほ、本当に行くのかい? あそこは忌み地だぞ。昔から、近くに行くだけで具合が悪くなる」
「瘴気の根源が存在する可能性が高いからな」
アルが続ける。
「陽が当たらない場所には魔物が棲みつく。そして、その力が強ければ強い程、周囲に瘴気を撒き散らし、被害を拡大させる。デンスから西に来るほどに瘴気の被害が大きくなっていたこと、この辺りは特にひどいこと、そしてカウム洞窟が昔から魔物が巣食う魔境として恐れられていたこと。これらの情報を突き合わせると、今回の沿岸に広がる被害の元凶がカウム洞窟にあると考えて間違いない」
そこまで言って、アルの視線は和やかになり、リラに注がれた。
「――という話だったな、リラ」
「はい。大聖堂は瘴気の発生原因について長年研究をしてきました。すべてがつまびらかになっているわけではありませんが、谷底や沼地、洞窟といったところに発生した巨大な魔物が、周囲に瘴疽を広げた原因となっていたケースは多いです。経験的にも、カウム洞窟に何かがいるのは間違いないと思います」
自分に注がれる視線が不安や心配に満ちているのを感じ、リラは笑顔を繕った。痛みや恐怖を打ち消す方法として、笑顔は大きな力を発揮する。これも、大聖堂で学び、身につけたことだ。
「大丈夫ですよ。団長を始め、楽団の皆さんが一騎当千の強者でもありますから」
私はそうでもないですけど、とリラがはにかむと、男達は困ったような笑顔で返した。
「くれぐれも、無理はしないでくれよ」
「瘴疽を癒してくれただけで充分なんだ。無事に帰ってきてくれ」
「今日も、あんたらの宿にごちそう届けるからな」
激励を丁重に受け取って、リラは彼らを見送った。
会話には入らずに見守っていたモディが、あらためてリラの傍に立つ。
「たいしたもんよねー、リラちゃんって。浄化の力や歌声はさることながら、ああやって人を安心させたり笑顔にさせたりできるんだから。大聖堂の聖女って肩書は伊達じゃないわ」
「モディさん達のおかげです。正直、聖騎士団に居た頃は、こんな風には出来ませんでした。皆さんがいつも私を笑顔にさせてくれるので……言ってみれば、そのおすそ分けなんです」
「あらあら、可愛いこと言ってくれちゃって」
モディがリラの頭に手をのせて、わしわしとかき撫でる。子供扱いされ、リラはまた笑顔になった。
「どうしたの、アル? 熱心に見つめちゃって。撫でたいなら代わってあげてもいいけど」
「ば、馬鹿を言うな。男が、やすやすと女性の頭に触れていいはずがないだろう」
「リラちゃんがいいなら、いいんじゃない。ねぇ?」
「ね、ねぇと言われましても……」
目のやり場に困ったリラは、腰につけていた木製の水筒を手に取り、喉を潤した。
海辺の漁村に吹く風は勢いがある。それに負けじと喉を開いて歌ったせいか、渇きも疲労感も強い。
「デンスの街からこっち、ずっと歌いっぱなしだけど大丈夫?」
「はい。疲れはもちろんありますけど、歌えば歌うほど自分でも力が沸いてくるというか、不思議な感じなんです。リュートを演奏しないで歌に集中できているおかげもあるかもしれません」
「言うことがいよいよ歌姫って感じになってきたわねー。立派、立派」
ぎゅむっと抱き寄せられ、モディの体の温かさが伝わってきて、リラは思わず顔をほころばせた。大聖堂に、あるいは聖騎士団に居た頃には味わわなかった感覚だ。
「それにしても、ベルムとトリステス、遅いわね。行く前は、午前の公演の途中には戻ってくるぜ、なんて言ってたくせに」
「心配ですね。何事もなければいいんですが……」
「何事もなかったようだ」
アルが指さした先に、馬に乗った人影がふたつ見えた。ベルムとトリステスだ。
「お疲れさまでした。どうでしたか」
「踏み入るまでもなく、中に危険が潜んでいるのが分かったぜ。周囲の空気がじっとり湿っていたから、中にいるのは蛇や蜥蜴、そういった類の魔物の可能性が高いんじゃねぇかな」
「入口付近の植物は黒ずんで枯れ、虫の死骸も山のようになっていたわ。それに、妙な水たまりがあちこちに出来ていた」
妙な水たまり、という言葉に首をかしげたリラに、トリステスが答えを紡ぐ。
「黒ずみの混じった黄色い液体だったわ」
あっ、とリラは小さく声を上げた。
トリステスの言葉を聞いて思い出したことがあった。
過去に一度だけ、銀狼聖騎士団が討伐したという、多頭の蛇。ひとつの巨大な胴体から五本の首が伸び、それぞれの頭が自在に動き、毒液を吐き出す。毒液は瘴気を含み、当たった箇所は瘴疽に蝕まれる上、浄化しても予後の回復には時間がかかったそうだ。そのせいで二名の団員が除籍したはずだ。
その怪物が棲み処としていたのが沼地の洞窟だった。周囲の植物は黒ずんで枯れ果て、辺り一帯で虫という虫が亡骸となっていたという記録も見た。そして決定的な共通項は、黒く濁った黄色い毒液溜まりだ。
リラがその情報を伝えると、楽団の四人は表情をあらためて引き締めた。