第十六話 課された役割
むしろ、とリラは言葉を続ける。
「私の浄化のために、皆さんをひとつところに留めてしまうことが申し訳ないです」
「決まりだな。ベルムの提案通り、今後は、その街や村で瘴疽に苦しむ人がいる限りは留まり、それがなくなってから次へ進もう」
「となると、必然的にアクア・ヴィテには行かないということになるわね。かの国は常夏の楽園、瘴気が湧きおこらない奇跡の地と言われているから――」
「お待たせしましたぁ! デンス名物、イカのフライでっす」
給仕の女性が勢い込んで大皿をテーブルに置く。
ふわっと漂う揚げ物の香りに、誰かの腹の虫が勢いづいた。
モディが早速、手にしたフォークを皿に伸ばす。
「方針はいいとして、具体的にどうするの? 今日のおこちゃま達みたいに、自分の足で公演を聞きに来れる人はともかく、そうじゃない人だっているんじゃない?」
「俺達の音楽を聞けば体の調子が良くなるらしい、と噂が立ってくれればいいんだがな。それまでは、あちこち広場を変えながら演奏していくのがいいんじゃないか」
「マーチよろしく、行進しながらやってみるか? お役所から文句を言われない限りなら、それもありっちゃありだろ」
「リラの体力や喉の調子も考慮にいれなくてはならないわ。日がな一日、全力で歌いっぱなしというわけにはいかないでしょうし。リラ自身はどう思う?」
「私は――」
皆が対等に意見を出し合い、自分のことにも配慮してくれている。答えながら、リラの脳裏にはかつての聖騎士団での会話が思い起こされた。
「聖女サマが意見を出す必要はありませーん」
かつて、ファルサと話した場面が記憶に蘇る。
「聖騎士団は聖騎士団長が指針を定める組織でーす。それに聖騎士は従い、聖女は属している。属するっていうのも、従うっていうこと。アナタはただウチの指示に従っていればいいんでーす。わかった?」
「でも――」
「マジだるい。同じこと言わせんな。意見を出す必要はない。課された役割をこなせ。分かった、『半聖女』?」
「はい」と返事をするしかなかった、苦い思い出のひとつだ。
「リラはどう思う?」
「……」
「リラ?」
「はっ、はい!?」
モディが噴き出した。
「リラちゃん、今のアルの話、聞いてた?」
「えっ?」
「リラちゃんが無理をして喉をつぶさないように、午前は通りでマーチを、午後は夕方の広場で一時間程度の公演をするのはどうか、って提案」
視線を移すと、アルが柔和な表情で苦笑している。呆れさせてしまっただろうか。
「……是非、その形でお願いします!」
らんらんと目を輝かせる新入団員に、先輩四人は力強く頷いて見せた。
彼らの活動は休みなく連日展開され、半月の後には、街中から瘴疽に苦しむ声がピタリと消え失せていた。
「マジだるい!」
デンスの街の中心部、領主の館に怒号が響いた。
「浄化対象がいないって、どういうことよ!」
「お静まりくだされ、金鹿聖騎士団団長ファルサ殿。これからきちんとご説明させていただきます故」
瘦身の領主がパイプを咥えて言った。応接間には領主と秘書、ファルサ、そして先日専属になったばかりの聖女インソニアの姿があった。
「わたくしとしても、十人の聖騎士、それを率いる団長殿、そして大聖堂肝いりの聖女殿をお招きするとあって、丁重に準備をしておってはいたのですよ。街中に触れを出し、瘴疽に苦しむ者よ来たれ、とね」
ふぅ、と口からパイプを離し、領主が続けて言葉を紡ぐ。
「二週間もの長い期間を」
「なにそれ、皮肉ってワケ? 確かに、要請から到着まで時間はかかったけど。でも、デンスの街として聖騎士団の派遣を要請しておきながら、いざ来てみたら瘴疽の患者がいないっていうのは馬鹿にしすぎじゃない? たった二週間で街全体から瘴疽の患者が消えるなんて、天地がひっくり返ってもあり得ないじゃん。そもそもの要請が虚偽だったってことなら、只じゃ済まさないから」
今にも腰の剣を引き抜きそうな剣幕で睨むファルサに対峙して、領主は涼しい顔を崩さない。
それを見たインソニアが、無感情な顔のまま小さく口を開く。癖のあるロングヘアは鈍い金色を放ち、いかにも聖女らしい純白のローブには折り目がない。それは、都を出て数日もの間、彼女が毎日新しいローブに着替えていることが理由だった。浄化の際には衛生面に細心の注意を払わなければならないから、という彼女の申し出を、団長のファルサはそのまま了承した。洗濯をするのはどうせ部下の誰かで、団長の自分ではない。
「霊銀薬の配布でもしたのではありませんの?」
「まさか。それが出来るような財政状況であれば、そもそも聖騎士団の派遣要請などしませぬよ。身分の低い者、特に港の業務にまつわる者に瘴疽患者が急増し、このままでは街全体の活動が硬直してしまうという状況に陥ったがために、緊急で聖騎士団にお越し願ったわけですからな」
しかし、と領主は続けた。
「数日前になりますか。部下から、どうやら瘴疽の患者が次々と癒えていっているらしいという報告を受けました。指示を出して詳細を調べさせたところ、はっきりとした理由は分かりませんが、確認されていた患者はみな完治しているようでした」
「確かなの?」
「確かです」
「全員?」
「全員です」
訝しむファルサの視線を、領主は真正面から受け止め、静かに深く頷くだけだった。