最終話 リュートつまびく半聖女
ロクス・ソルス王国の都セーメンの城下、民衆の憩いの場として知られる中央広場に、特設ステージが組み上げられていた。壇上には大小様々な種類の太鼓が並び、数種類の横笛が設置され、竪琴、リュートなどの楽器も置かれている。
街の人々はその経緯と期待を、口々に言い合っていた。
「王の快復を祝して、王子自ら立案してくださった演奏会だそうだ」
「私は、婚約者の方が発案したと聞いたわよ」
「噂の聖女様なら、あり得る話ね」
「ああ。何せ、この都の瘴疽患者をみな浄化してくださった御人だからな」
「聞けば、一時的にではあるが、大地の裂け目の瘴気すら晴らしたらしいぞ」
「あの不気味な谷の瘴気まで……そりゃ、前代未聞じゃないか」
「それじゃあ、今回はさしずめ、新たな時代の到来を祝しての演奏会ってとこか」
「開演は、何時からだって?」
「真昼だそうだ」
広場のすぐそばに用意された控室ならぬ控え小屋で、ベルムが窓から外を覗く。
「おいおい、すげぇ人数が集まってきてるぜ」
「目当てはアルドール王子殿下か、はたまた聖女リラか」
トリステスはそう言ってから、おっとと口を抑えて言い直した。
「未来の王妃リラ、の方が適切だったかしら」
「もう、からかわないでください、トリステスさん」
顔を赤くしながら、リラはリュートの弦を弾いた。愛用のリュートの音は、以前と変わらないどころか、少しクリアになったような気がする。
「あら、本当のことでしょう? 婚礼の儀に向けた準備も開始したと、アイテール様から聞いたわよ」
「おっ、いよいよか! ってこたぁ、我らが殿下もついに男になァブホッ! ――りょ、両脇から同時にどつくんじゃねぇっての!!」
顔を歪めるベルムの横で、キィ、と扉が開いた。赤毛を揺らして、アルが姿を現した。
「アルさん」
「すまない、遅くなった。今朝になって急ぎの書類が上がってきてな」
コートを脱ぎながらアルが言葉を紡ぐ。その下には、既にウェルサス・ポプリ音楽団の衣装が纏われていた。
「久しぶりですね、その格好」
「お互いにな。よく似合っているぞ」
顔を赤くしたリラを見て、トリステスが微笑む。
「ようやく褒めてもらえたわね、リラ」
「初めてお披露目したときは、服の評価だけだったもんね」
アルが大きな咳払いをして、窓から外を見る。
「準備は整っているようだな」
「調律もしておきました」
リラから自分のリュートを受け取り、ポロン、と弦を鳴らし、アルは満足そうに頷いた。
「それにしても、一日限りの再結成とは、面白いことを考えたものだ」
「我儘を言ってすみませんでした。でも、どうしてももう一度、みんなで演奏をしたかったんです」
「同じ思いを抱いていた者ばかりの場合は、我儘とは言わないさ。なぁ?」
モディ、ベルム、トリステスが大きく頷いて応えた。
「だが、リラ。約束は約束だぞ」
「う……」
「約束? なんだなんだ、この期に及んで二人だけの秘密だなんだと言わねぇだろうな」
ニヤリと笑うベルムに、アルが答える。
「俺達は出会って以降、ずっと一緒に曲を奏でてきただろう」
「あぁ。そりゃ、もちろんな」
「リラ一人の弾き語りを聞いたことがなかった、と思わないか」
アルの言葉に、三人が顔を見合わせる。
「言われてみりゃあ、まぁ……」
「ウングラの街で独唱は聞いたけど……」
「なかった、かもしれないわね……」
三人の視線を受け止めて、アルが言葉を紡ぐ。
「そこで、だ。特別な公演をやるからには、特別なオープニングが必要だろう。だから、開幕一曲目はリラに任せようと思ってな」
「面白れぇじゃねぇか。新たな王女様のお披露目としてもばっちりってワケだ」
「一度、お腹の子にリラちゃんの歌をゆっくり聞かせてあげたいと思ってから、嬉しいわね」
「まぁ、一番は、殿下がリラの弾き語りを聞いてみたかった、というだけなんでしょうけれど。夫婦になるのだから、二人きりの場でじっくり歌ってもらえばよかったではありませんか」
トリステスの指摘に、王子が顔を赤くしながら言葉を次ぐ。
「そ、そういうわけにもいかないだろう。自分の為だけに演奏してくれなどと――」
赤毛の王子がしどろもどろになるのをよそに、面々はリラへと視線を移す。
「それで、リラちゃん。なんの曲を歌うの?」
「えっと――せっかくの機会だと思って、その――書いてきました」
「書いた、って――作曲したってこと?」
「詞も?」
仲間達が驚きの声を上げる中で、リラは続けた。
「自分なりにひとつの形にしたかったんです。みんなと一緒に旅をしてきた、大切な時間を」
「皆様、そろそろ真昼時です」
係の者が扉越しに呼びかけた。
音楽団の面々は、互いを見て大きく頷き、これから始まる公演に向けての気持ちを高め合った。
ステージに一人、また一人と上がるたびに、都の人々が大きな喝采で出迎え、場の雰囲気が盛り上がる。
太陽の柔らかな光が、広場を包んだ。
聖女が一歩歩み出ると、その場にいたすべての人が、彼女に注目した。
すぅ、と息を吸う音が響く。
リラの指が、リュートの細い弦をつまびいた。
その場に居合わせていた幸運な画家が、後年、始まりの光景を一枚の絵に仕上げ、王室に献上した。破顔して喜ぶ王の傍らで、妃は照れ笑いを浮かべた後、恭しく注文を付けた。それを受けた画家は快く、表題の文字を一つ加えたという。