第百五十三話 深雪の村祭
睨みあう広場中央の面々をよそに、その様子を見守っていた人々が口を開き始めた。
「何言ってんだ、あのボロボロの金髪女は」
「リラ様が、浄化をろくに出来ないって」
「あの方の歌の力を知らないんじゃないか」
「聞けば、セーメンの都の住人もすべて浄化してきたらしいってのに」
「それだけじゃない。旅をしながら、立ち寄ったすべての街で瘴気を晴らしてきたそうだぜ」
「そんな人を、自分から追い出したって? 只の馬鹿だろ」
嘲笑に始まった民の声は、憤慨を過ぎて、さらに大きくなっていった。やがてそれらは、彼らが感謝と敬意を表してやまない人物の名の唱和へと転じていった。
「リラ!」
「「リラ!」」
「「「リラ!」」」
群衆の熱気に圧倒されて、ファルサは我知らず身を竦めていた。
「な、なによ。なんなのよ。どういうこと……?」
「ファルサ団長」
カッ、と具足を鳴らして、ラティオが歩み出た。
「あんた、たしかウチの――ラティオとかいったっけ……」
「リラ殿の歌声に浄化の力を宿ることを、ご存じなかったでしょう」
「歌声に、浄化の力? 一体、なんの――」
「かつて、金鹿聖騎士団が一人の瘴疽傷病者も出すことなく戦い続けていられたのは、ひとえにリラ殿の歌によるものだったのです。この人の浄化の力が、常に私達を守ってくれていた。だからこそ、彼女が去って以降、団員の誰もが力を損ない、瘴疽に苦しみ、金鹿聖騎士団は瓦解していったのです」
ファルサはうわごとのように嘘、嘘、と繰り返す。
「此度の遠征は失敗です」
「嘘よ」
「法王様との共謀もとうに潰えました」
「嘘よ!」
「終わりです。金鹿聖騎士団そのものも」
「嘘よっ!」
「いえ、とっくに終わっていたんです。貴女が、リラ殿を追放したあの日に」
「嘘よぉっ!!」
ファルサが言葉にならない奇声を上げ、手に持っていた杖代わりの剣を振りかぶった。うつろな目は、ただひとり、リラだけを捉えていた。
アルが反射的に、左腕を盾として伸ばす。
だが、その斬撃が真銀の腕甲に届くことはなかった。
不意にファルサが力を失い、前のめりに倒れたからだ。
その後ろでは、リラが小さな筒を咥えていた。それはかつて彼女がトリステスから譲り受け、ゲンマの街の戦士を昏倒させた必倒の吹き矢だった。
「リラ……」
振り向き驚くアルに、リラは勇ましく笑って見せた。
自分が、ファルサの逆上をはっきりと予感できたのは、奇しくも三年もの間、行動を共にしていたからだったのだろう。ラティオと問答をしている隙に吹き矢を構えるのは、難しいことではなかった。
「言ったじゃないですか。アルさんは、私が守るって」
自信満面の聖女を見て、王子は微笑みを返す。
「ふんじばって牢に突っ込んどけ!」
ベルムの檄と同時に四人もの騎士がファルサをとりかこみ、四肢を掴んで連れて行く。糸の切れた操り人形のようになった令嬢が、ぶつぶつとうわごとを言いながら、醜態をさらして建物の中へと入っていく。
「さて――」
アルが視線を落とした先には、膝から崩れ落ちたままのインユリアがいた。
「責め苦は、責め苦だけはご容赦を!」
「霊銀薬に頼りきりの聖女というのは、貴女だな。手段はどうあれ人々を救っているのなら、それ自体は罪とは言えないのかもしれないが、国に帰って然るべき罰を受けるがいい」
王子の言葉に、ぼろぼろの顔の聖女は何度も何度も頷いた。二人の騎士が彼女の脇を抱え、ファルサが連れられて行った建物へと連行していく。
広場から闖入者は去ったものの、場の空気は妙に重苦しく、誰もが互いに目配せをしていた。
「ったく、どうすんだよ、この空気。せっかく祝福ムードだったってのに、台無しだぜ」
「まったくね。せっかく殿下が言うべきことを言えたというのに」
憮然とするふたりの声を聴いて、リラは、よし、と心を固めた。スゥ、と深く息を吸う。
「白銀の野に降り積もる雪――静寂の夜に灯る火の輪――」
「これって――『深雪の村祭』?」
「いい選曲じゃねぇか。俺らがリラに出会った日に演った歌だぜ」
リラに並んで、アルが大きく口を開く。
「村人集いて喜びの歌――深雪の中で 祭りが始まる――」
「殿下が歌うとなりゃ、オレ達もこうしてはいられねぇな。おい! 太鼓を準備してくれ!」
「何言ってるのよ、ベルム。モディがいない分、貴方も歌いなさい」
「マ、マジかよ……」
――
白銀の野に 降り積もる雪
静寂の夜に 灯る火の輪
村人集いて 喜びの歌
深雪の中で 祭りが始まる
深雪の村祭り 心をひとつに
響け太鼓の音 夜空に舞い上がれ
深雪の村祭り 温もり感じて
手を取り合って踊ろう 永遠に続くこの瞬間
凍てつく風が 頬を撫でても
温かい手が 繋がりをくれる
焚き火を囲んで 笑顔の輪が広がり
星空の下で 願いを捧げる
深雪の村祭り 心をひとつに
響け笛の音 天まで届け
深雪の村祭り 夢を分かち合い
この夜が終わらぬように ずっと共にいよう
朝日が昇り 雪が輝く
村の笑顔が またひとつになる
冬を乗り越え 新たな春を迎え
深雪の村祭り 終わらぬ夢の中
深雪の村祭り 心をひとつに
響け歌の声 未来へ繋げ
深雪の村祭り 絆を強くして
また来る冬の夜まで 共に生きよう
――
広場に響き始めた歌声は、あっという間に街全体に渡っていった。広場から通りへ、通りから長城へ、長城から谷へ。いつしか家々の中からも歌声が聞こえてくるようになり、老若男女がそれぞれに声を発していた。
「ん?」
リビングでお茶を飲んでいた手を止めて、モディが顔をあげた。それを見て、横に座っていたアイテールが首を傾げる。
「どうかした?」
「今、リラちゃんの歌が聞こえたような気がして――そんなわけありませんよね、今はまだ、スピーナの街にいるはずなんだから」
「そうね。さすがにまだ、事態を収拾させて帰ってくるには早すぎるわ。でも、歌が聞こえた気がする、というのは、近々帰ってくる、という予感の表れかもしれないわよ」
「それはそうと、アイテール様。連日連夜宮殿を抜け出してきて、本当に大丈夫なんですか? もう三日連続ですよ」
モディが呆れ顔で見つめると、王女は肩を竦めて応えた。
「仕方ないでしょ。ベルムが戻ってくるまでの間、貴女の身を守る人間が必要なんだから」
「そのために騎士の警邏を増やした、っておっしゃってませんでした? それに、殿下が認めた腕利きも護衛に当たらせてくれた、とも」
「細かいことはいいの。だって、こうでもしないと、お父様が隙あらば縁談の話をしてきて、気が休まる暇がないんだもの」
頬を膨らませる王女を横目に、モディは窓から見える四角い夜空を見上げた。
「でも、本当に聞こえた気がしたな、リラちゃんの声――」
モディは独り言ちて微笑み、大きくなり始めたお腹を優しくさすった。