第百五十話 希望の光
きゅっと口を結んでから、リラがぽつりと言った。
「帰還しなかった人達は、本当に皆さん、命を落としてしまったんでしょうか」
「帰り際、骸の数を数えはしなかったが――トリステス、どうだ?」
「おおよそ三十に近かったとは思いますが、正確にはわかりませんね」
あのファルサも、谷底のどこかで命を落としたのだろうか。
リラは、自分の中で悲哀が広がるのを感じた。恨みこそあれ、感謝や親愛の情などないと思っていた。でも――
「リラ。こう言ってはなんだが、谷の下に残った者が生き延びている可能性はほとんどないと思うぞ。霊銀薬を所持でもしていれば話は変わるかもしれないが、ラティオの話ではそんな装備はないとのことだっただろう」
「……はい」
「騎士達の疲労は大きいし、もうじき日も暮れる。どう考えても、これからすぐに確かめに行くのは難しい。すまないが、ここは堪えてくれ」
苦しそうな赤毛の王子の言葉に、リラは小さく頷くしかなかった。そんなリラの苦し気な表情を見て、トリステスが首を傾げる。
「もしかして、ファルサ=ストゥルティの身も案じているの? 長年、貴女を苦しめていた張本人でしょう」
「あの人のせいで嫌な思いをたくさんしたのは事実です。立派な人だとは思いません。でも、だからといって、命を散らしていいことにはならないと思うんです」
それに、とリラが続ける。
「谷底で亡くなってしまっていた人達は遠からず、瘴気に憑りつかれて屍鬼に変貌してしまうと思います。出来るなら、ちゃんと浄化して、人として――もっと言えば、国に帰してあげたいんです」
アルとトリステスは目を合わせて同時に苦笑した。
「リラらしいわね」
「ああ。では、明朝、夜明けとともに小隊を連れて谷へ下ろう」
パッと瞳を輝かせたリラに、アルが笑う。
「そうでもしないと、君ひとりで谷底に駆けていきそうだからな。さっきラエティティアの名を聞いて思い出したが、君の身に何かあれば、俺の命が危ないんだった」
「ラエが、そんなことを?」
「ああ、ペリスの街でしっかり脅迫されたよ。だから、俺の身もちゃんと案じて、今日の所は引き下がってくれ。しっかり英気を養って、日の出とともに聖騎士達の亡骸を回収しに行こう」
方針が決まり、一行は一度割り当てられた部屋に戻ると、それぞれに汗を拭いた。それから街の人々が用意してくれたという北国の伝統衣装を身に纏って再度集まると、新鮮な互いの容姿に笑い合った。
「おっ、リラの伝統衣装姿なんて貴重だな。殿下、眼福ですぜ、が・ん・ぷ・く」
「やかましい。鼻の下が伸びていたことを奥方に言いつけるぞ」
「でも、本当に似合ってるわ、リラ。すっかりロクス・ソルスの人間ね」
えへへとリラが頭を掻いたところへ、拍手と共に一人の男が姿を現した。
「たいへんお似合いですね、英雄の皆々様」
「カストル町長。騎士団の世話のみならず、ステラ・ミラの聖騎士達の面倒まで任せてしまって申し訳なかったな」
「何を仰います。貴方様は、テネブラエに起因する魔物の発生を退けてくださっただけでなく、長年禁忌とされていた谷底の状況の調査までなさってくださった。眼下にわだかまる闇に怯えていた我々に、希望の光を見せてくださったのです。その恩に報いるのは、この街の者ならば当然のことですとも」
それに、と町長は続けた。
「どこか鬱屈としていた街の雰囲気が雨上がりのように明るくなったのも、ひとえに、殿下のおかげですよ。歴代の王族の誰もなしえなかったことを、貴方は成し遂げた。貴方様はまぎれもなく、ロクス・ソルス史上もっとも優れた傑物の一人です」
流れるように紡がれた誉め言葉だったが、アルは微笑みながら首を横に振った。
「それは違う。讃えられるべきは、長年の闇の恐怖に立ち向かい続けたこの街の人々、彼らの盾となって長城に立ち続けた騎士達の方だ。さらにいえば、谷底の瘴気を打ち払ったのは、ここにいる聖女リラの歌声に他ならない。俺はただ、それらをもっとも間近な所で見届けさせてもらっただけだ」
アルの言葉は、その場に居た者達全員の表情を和ませた。満足そうに笑顔を浮かべた町長が、さて、と口火を切る。
「テネブラエそのものはこれからも発生するでしょうが、今回については一段落したと見ていいでしょう。そこで、街の者達が広場で宴を始めているのですが、殿下はじめ、皆様も顔を出してくださいませんか。ささやかながら、酒の類も用意出来ましたので」
「先に上等な伝統衣装を着させておいてよく言ったものだ。これでは断りようがない」
カストル町長はまた大きく笑みを浮かべて、それではと立ち去った。
「モディの奴には悪いが、今日くらいは飲んだって構わねぇだろ」
「そうね。明日のことは明日に委ねて、今日はお言葉に甘えましょう」
ふたりは言いながら、視線をリラへと移した。
「だが、主賓はお前さんだぜ、リラ。なんたって、一番の功労者なんだからよ」
「そうね。殿下には申し訳ないけれど、貴女がいなければ始まらないわ」
笑顔の二人に続いて、アルもリラに笑いかける。
「行こう、リラ。俺としても、せっかくロクス・ソルスに来てもらったというのに、父の浄化に谷底の調査と、君に苦労をかけてばかりだ。少しくらいは、この国の明るい部分も見せたい」
「――はいっ」
自然な流れでアルがリラの手をとったのを見て、ベルムとトリステスは目を合わせてニッと笑った。
リラ達が広場に向かい、その姿が見えると、街の人々は歓声を響かせた。夕日は山の稜線にかかって朱色の輝きを強め、オレンジ色の照明が街全体を照らしている。
英雄達は広場の真ん中の方へと招かれ、あっという間に歓迎の笑顔に囲まれた。