第十五話 立つ鳥跡を濁さず
少年達の背中を見送った後、驚いた表情で見上げるリラに気付いて、アルが首を傾げる。
「随分驚いてるな」
「ロクス・ソルス王国には他国では見ない珍しい植物が数多い、と学びました。中には薬効に優れたものもあると。ただ、それらはどれも、希少さに比して高価だと聞いた気がして……それをポンと渡していたので」
聞いていたベルムが後頭部をぼりぼり掻いて口を開く。
「俺達が貧乏している理由がわかったろ、リラ。こいつときたら、いつもこんな感じよ。さっき俺がアルに渡し、アルがあのガキんちょ共に譲ってやったのは、かなり貴重なもんだ。アン……アンチョビ……なんつったっけ?」
「『アンティビオティクス』だ。瘴疽そのものには効果がないが、瘴疽によって広がる化膿を抑え、治癒を助ける。さらに言うと『レヴァーメン』という鎮痛作用のある薬草も入れてあるから、瘴疽の予後には最適なんだ。値は張るが、彼らには必要なものだろう」
満足そうに笑うアルに、リラがつられて微笑む。彼に驚かされることは何度もあったが、今また、薬草の知識が深いことにも感心させられた。一体、どういう人生を歩んでくればこんな風になるのだろう。
でも、とリラは口を開いた。
「あの日、実は霊銀薬を買う路銀が無くて私に浄化を頼むつもりだった、と後で教えてくれましたよね。お金で困るのは、お金になるはずのものをこうして配ってしまっているからなのでは?」
「まぁ、その可能性は無きにしも非ずだな。だが、金も薬も、本当に必要とする人の手に渡るのが一番だ。それに、自分の痛みは耐えられても、他者の痛みは耐えがたいということもあるだろう――と、こんなことを聖女様に言うのは、生意気すぎたか」
目を細めるアルの言葉に、嘘偽りがないのが見て取れた。リラは心の奥の方がじんわりと温かくなるのを感じた。これまでの自分も優しく肯定してもらえたような気がした。
「おーい、そろそろ宿に帰るわよー」
モディの声が夕暮れの広場に響いた。
ウェルサス・ポプリ音楽団の五人は、広場から撤収して宿へ向かい、各自寝床の確認をして食堂スペースに集合した。コルヌの都で世話になった宿と同様、一階が食堂、二階が寝室という造りだ。
各々が一旦部屋に入り、あらためて食堂に集まる。最初に口を開いたのは、モディだった。
「瘴気が増えてるとか魔物が強くなってるって話はあちこちで聞くけど、こんなに大きな街の、あんな小さな子供が瘴疽で苦しんでるなんてねー。リラちゃん、聖騎士団って、ああいう子供達を救うためにあちこち出かけてるんじゃなかったの?」
「私自身はそういう意識ではいましたが、不足しているという認識はありました。そもそも、ここ、デンスくらいの規模の街には聖女を数人常駐させた方がいい、ということはずっと以前から言われてきたんです。でも、大聖堂はそういったことには消極的で。それで、止むに止まれぬような形で、三年前に金鹿聖騎士団が新設されたわけですが、それでも足りていたかというと……」
「法王サマなりのお考えというものがあるんだろう、きっと。なぁ、リラ」
アルが揶揄するような笑みを浮かべ、リラは苦笑で返すしかなかった。
ロクス・ソルスから来たというモディ達がどういう話を聞いているのか定かではないが、少なくとも、法王プドルの評判は大聖堂内でも芳しくなかった。清貧を謳いながら肥え、救済を叫びながら活動拡大には二の足を踏む。その方針に疑義を口にしたのはリラだけではない。序列がもっとも高い銀狼聖騎士団の専属聖女ヴィアをはじめ、心ある聖女のほとんどがそうだった。だが、状況は大きくは変わらなかったし、これから変わる気配もなかった。
「よっしゃ、決めたぜ」
ベルムが木製のジョッキをテーブルに叩きつけるように置いた。
「今後はよ、滞在した街や村で瘴疽に苦しんでる連中を全員治してから次に行くってことにしようぜ。発つ鳥跡を濁さず、ってやつだ」
「ストップ」
ベルムが言い終わるよりも早く、モディが静かに言った。
「んだよ、モディ。リラの『聖歌』なら反動無しで瘴疽を浄化できるってのが明らかになったんだろ? だったら――」
「力を行使するかどうかは、あくまでも本人の意志を尊重すべきでしょ。ウェルサス・ポプリ音楽団としても、あくまでもリラちゃんを勧誘したのであって、聖女を組み入れたかったわけじゃない。少なくとも、あたしはそういう認識だったけど」
モディの言葉に、アルが同意を示す。
「身分や立場に追われ、背負わされた責任を果たす。そういう生き方もあるだろうが、ここでは、必ずしもそうする必要はない。リラは聖女であってもいいし、歌姫であってもいいし、奏者であってもいい。俺は、そう思う」
アルの目に不思議な光が宿っていた。リラはきゅっと唇を結び、ちらと横を見た。トリステス、モディ、そしてベルムの視線が、自分ではなくアルの方に注がれているのに気づく。何か、彼の発言に思うところがあるのだろうか。
「私、やります。やらせてください」
リラはまっすぐ、アルを見据えて言った。
「どういう風に呼ばれるかは、人に任せます。私はただ、私を必要としてくれる人の力になりたい。ベルムさんが言ったように、その街や村で苦しんでいる人が一人でもいるなら、浄化して、癒してあげたいです」