第百四十七話 帰るまでが遠征
「見ろ。あそこの植物――ウィンクトゥーラの木だ。だが、地表に生えているものとは明らかに違う」
首を傾げながら、トリステスが言葉を紡ぐ。
「ウィンクトゥーラ……確か、樹皮を剥いで幹から得られる良質な繊維が、包帯の原料に出来る樹木、だったかしら」
「よく勉強しているようだな、トリステス」
「旅の中で殿下にお叱りを受けて以来、時間を見つけて書を読んでいますから。しかし、私が挿絵で見たものは、あのような瘤はなく、スラっと直線的だったような気がしますが」
「ああ。本来はそうだ。ウィンクトゥーラの木は内側がもろく、幹の奥まで傷つけてしまうとそこから大きな瘤をつくってしまう。そうなると、繊維は獲得しづらくなってしまう」
リラは同じような葉を生やしている木を探して見ていった。おそらく同じ品種であろう樹木はたくさんあるが、どれもこれも表面がボコボコと泡立っているような感じで、不気味だ。あんなに瘤ばかりでは、その繊維を獲得することは相当難しそうだ。
「ウィンクトゥーラだけじゃない。どの植物も、奇形と言って差し支えない形のものばかりだ。おそらく、谷底の瘴気が、その種のもつ弱い部分に作用し、あるべき姿を変容させてしまっているのだと思う」
「おいおい、マジかよ。ってことは、リラの歌声がなかったらオレ達も――」
「人間も同様の影響を受けるのだとしたら、古傷や、元々弱さのある箇所に瘴気がこびりつき、異変をもたらす可能性は高いな。眼前に広がる光景こそが、大地の裂け目の実態ということだ」
言いながら、アルは左腕をさすった。腕甲の下の汗が冷たい気がした。
「少し、リラの力に胡坐をかいて進みすぎたな。リラ、帰り道、もうひと頑張りしてくれるか」
もちろんです、という言葉の代わりにリラは大きく深く頷いた。
弱い部分に瘴気が憑りつくのだとしたら、自分の場合は、銀色でない方の爪かもしれない。あの木の瘤みたいに指がぼこぼこに腫れてしまったらと思うと、ゾッとする。
「よし、みんな! 調査はここまでとする! リラの歌声による加護を得られてはいるが、帰りにまだ見ぬ魔物と遭遇する可能性は残っている。心して帰着するぞ!!」
通りの良い声で号令がかけられると、騎士達の勇猛な返事が谷底に響いた。その勢いで、周囲の瘴気がサァッと引くのをリラははっきりと見た。
「おい、見たか。俺達の声で、瘴気が――」
「リラ様のおかげだ。あの方の歌が、俺達の声にまで力を宿してくださったんだ」
「じゃあ、帰り道は俺の歌でもイケるんじゃないか?」
「やめとけ、やめとけ。お前さんは元々音痴だから、聞けたもんじゃない」
恐ろしい谷底にいるというのに、騎士達の顔は自信にあふれ、笑みさえ浮かんでいる。
「オラオラ、無事に長城に戻るまで気を抜くんじゃねぇぞ! 殿下の言葉を忘れんな!」
「愛する人のもとへ帰るまでが遠征よね」
「そうだ! 愛する人のもとへ帰るまでが遠征!! ――だ?」
トリステスに導かれたベルムの檄に、騎士団は先程よりもさらに声を上げて返事をした。
「何言わせてんだ、トリステス!?」
「あら、士気が高まってよかったじゃない」
ふたりのやりとりにクスクス笑ってから、リラは姿勢を正した。
「いきます」
喉を開いて、リラは『陽はまた昇る』という曲を歌い始めた。
――
夜の静けさに包まれて
心が凍えるその時も
星が照らす小さな光
希望の予感を運んでくる
陽はまた昇る、どんな暗闇も
新たな朝がすぐそこに
辛い日々も過ぎ去っていく
強く生きる力になるから
過去の傷がまだ癒えなくても
流れる涙が乾くまで
信じて待つその先に
必ず晴れ渡る日が来る
陽はまた昇る、どんな暗闇も
新たな朝がすぐそこに
辛い日々も過ぎ去っていく
強く生きる力になるから
冷たい風が吹き抜けても
心の中に燃える炎
消えない希望の火を抱きしめ
一歩一歩踏み出して行こう
――
来た道を戻るアル達一行の足が止まったのは、予期せぬ集団との邂逅によってだった。
「何者だっ!」
前列の騎士達が一斉に剣を構え、全体に緊張が走る。
「私はラティオ=アミクス。ステラ・ミラの聖騎士です」
「ステラ・ミラの? なぜ、こんなところに――」
「ラティオさん?」
リラの歌声が止まった。
「リラ殿――なぜ、このようなところに……」
「おっ、なんだ、なんだ? 運命の再会かバハァッ!?」
「あら、また強すぎた? 帰ったら、モディにコツを聞かなくちゃ」
「ラティオ殿。私はアルドール=シレクス=ロクス=ソルス。この調査団を率いている者だ。色々と聞きたいことはあるが、まずはこの谷を出て安全を確保するのを優先したい。決断は貴殿らに任せるが、猶予はない。どうする」
紅玉の瞳と高貴な雰囲気に、ラティオは我知らず姿勢を正し、胸に手を当てていた。それはファルサに対してするような形式的な敬礼ではなく、心からのものだった。
「お供させていただきます」
「わかった。その様子では、ここに来るまでにかなり疲弊しているようだ。リラの歌を近くで聞きながら移動した方がいい」