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第百三十四話 異国の地で

 アルの口が開きかけて、ほどなく閉じられた。

 深い赤の眼差しが、聖女を見据える。

 静謐が通り過ぎた。

 それに終わりを告げたのは、見つめ合う二人の言葉ではなく、廊下から聞こえてきた喧騒だった。アルが鼻から息を吐いて天井を見上げる


「リラ、すまないが――」

「はい。何かあったみたいですから、行きましょう、王子様」


 悪戯っ子のように笑うリラに釣られて、アルも口元をほころばせた。

 二人が部屋を出ると、数人の甲冑姿が駆けまわっている。


「何があった」

「殿下! 今しがた、南東のスピーナから急使が参りまして、長城付近に魔物増加の気配有りとのことです」

「ゆっくり作戦を立てている暇は無かったか」


 小さく息を吐いて、アルが騎士に命じる。


「俺の名で西のラームスへ遣いを出せ。必要最低限の兵力を残し、こちらへ騎士を回せと」

「はっ」

「東のニクス雪原については、何か変わりはあるか」

「いえ! スティーリア氷山一帯の地震以降も、東側では魔物の増加は観測されていません」

「わかった。では、行け」


 勢いよく敬礼を示し、騎士は走り去っていった。


「リラ、君の力を貸してくれ」

「喜んで。すぐに向かうんですか?」

「いや、まずは姉上を含めて軍議だ。形式的にでもやらなければ、後で面倒だ」


 アルがリラを連れて宮殿内を進み、大部屋へと辿り着く。

 そこには既に、赤毛の王女を含めて十人ほどが集まっていた。

 アイテール以外の全員が、アルの姿を見て深々とお辞儀をする。


「よくぞお戻りになられました、アルドール王子殿下」

「首尾は聞いているか、スクリーバ大臣」


 病的なまでに痩せた初老の男がゆっくり頷いた。薄くなった髪を隠すようにかぶっている丸帽子がずれ落ちそうになり、彼はそれを両手で抑えた。


「トリステス殿より報告を受けました。旅の目的であった外交材料については、ステラ・ミラとテラ・メリタ間の霊銀の裏取引、聖騎士団の内部事情、大商同士の因縁詳細など、有効活用できそうな情報ばかりで感服いたしました」

「各国の弱みをどうつつくかについては、父上と臣下団に任せる。うまく使ってくれ。それよりも――」

「テネブラエの話は聞いた、アル?」


 姉の言葉に王子は頷く。


「長城に常駐している騎士達だけでは不安があると思い、西から援軍を募る遣いを出しました。独断で申し訳ありません」

「いえ、貴方の判断を尊重するわ。それで足りそうな見立てなの?」


 アルは首を横に振った。


「近衛騎士団の半数を率いて、俺も出ます」


 その言葉に重臣達が安堵の表情を浮かべたのをリラは見た。アルドール王子の戦力が絶大な信頼を得ている証左だった。


「アルドール殿下自ら指揮を執られるのですか」

「父上は病み上がりの身で、戦場に赴くのは無理だ。それに、旅から戻ったら国内の対瘴気作戦の指揮権は俺に譲渡されることになっていたしな」

「御身に何かあればどうなさいます」


 大臣の言葉に、アルが笑う。


「旅の前にも同じことを言ったな、スクリーバ大臣。だが、今、こうして無事に戻ってきた。そして、それを可能にした奇跡の業、聖女の加護は、いまだここにある」


 その場の視線が一斉にリラに集まる。緊張した面持ちで、黒髪の聖女はとりあえず頷いておいた。


「宮廷内のことについては、姉上が居れば問題ないでしょう」

「ええ。旅から戻って間もない弟をまた駆り出すのは気が引けるけれど、止めても飛び出していくでしょうから止めないわ。ただ、その前にひとつ」


 そう言ったアイテールは、リラに視線を移した。


「今、この都の中にも瘴疽に苦しむ民が大勢いるの。可能なら、貴女達には彼らの浄化をした後で、スピーナの街に向かってもらいたいんだけど、どうかしら?」

「近衛騎士達を先行させれば、当面の間はもつでしょうから、リラがよければ――」

「やります!」

「ありがとう。トリステスが言っていた通りの子ね――そうだわ。トリステスも随行させる?」


 問われたアルは、横のリラを一瞥した。


「親しい姉上の元から引き離すのは心苦しいですが、慣れない異国の地でリラにかかる負担を思うと、彼女に傍にいてもらいたいのが正直なところです」

「わかったわ。では――」


 それからアイテールは、臣下達に遠征の支度を進めるように指示を出し、アルとリラに対しては、まずはゆっくり休むように言った。

 夕食の会場は、王族三人の中にリラが加わるというものだった。リラは大いに緊張していたが、アンゴール王やアイテール王女が穏やかな口調で話しかけてくれたおかげで、終わりごろには料理の味が分かるほどにはなっていた。


「ナトゥラのところの方が豪勢で、失望させてしまっただろう」


 食事が終わって部屋に戻る途中、アルは苦笑しながらそう言った。食事自体は質素で、肉は少なく、少しの穀物とたくさんの野菜で構成されていた。それは、一般に王様が食べるものとして思い描かれるものとはかけ離れていたのは事実だった。


「意外だったのは確かですけれど、安心しました」

「安心?」

「聖女は慎ましく清貧であれと言われてきましたから。サクスムの街でたくさんの料理が目の前に並ぶと、それだけで罪悪感がすごくて。その点、さっきのお食事は私にとってはちょうどよかったというか、懐かしかったというか」


 微笑むリラに釣られて、アルも表情をほころばせる。彼女の言葉が遠慮や皮肉、あるいはお世辞によるものではなく、本心からのものであることがはっきりと伝わってきたからだった。


「慣れない部屋に古いベッドだが、ゆっくり休んでくれ。明日の朝、君の部屋に使いをやるから」


 わかりました、と言ってリラとアルはおやすみを言って、それぞれの部屋へと入っていった。

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