第十三話 善行を担保に
港湾都市デンス――
ステラ・ミラ聖王国の南部に位置し、西のラクス湖と南のマル海、双方の水の幸の恩恵を授かる大都市。船に乗ってマル海を南下すれば、瘴気を遠ざけ続けている恵みの国アクア・ヴィテ連邦がある。それらの立地状況から、ここで財を成している者の多くは海運業に携わる者達である。
「皆様の慈悲に多謝を。お返しにというわけではありませんが、こちらの認証書をどうぞ。この街、および近隣の村々での興行は自由になさってくださって結構です」
「ありがと、お役人さん。早速夕方にでも演奏をお披露目するかもしれないから、そのときはよろしくね」
襲撃してきた小鬼達の所有物――元を正せばこの街の住人達の財産だったものを役場に届けたウェルサス・ポプリ音楽団の面々は、認証印の施された書状を受け取った。文面には、辺り一帯でのあらゆる興行を認めると簡潔に書かれてある。
「覚えておくといいわ、リラ」
トリステスが少し身を屈めて言った。リラの身長が彼女よりも幾分低いためだ。
「私達のような旅の身は、善行を担保にしなければ破落戸と変わらない。善意を質に入れて自由を得るのよ。こうやってね」
「世知辛いわよねー。見た目明らかな破落戸だっていうなら別だけど、あたしらはどこからどう見たって善良な音楽団でしょうに」
「それは言っても仕方のないことだろう」
アルが苦笑して続ける。
「遺跡荒らしの冒険者も、野盗も山賊も、街を追い出された罪人だろうと、着飾ってしまえば皆一緒だ。俺達だって、リラをはじめ衣装が小綺麗だからまだいいものの、旅が続いて汚れてくれば衛兵に槍を向けられかねないさ」
曖昧に笑って頷くリラだったが、アルの顔を見ると、話に納得できるのは半分だった。
リラは立場上、これまでに貴族の長男や大商の御曹司なども見てきた。だからこそ、服装を煌びやかにした程度では、内側から出る気品までは取り繕えないことをよく知っている。
その点、アルは違った。顔かたちが整っているということもさることながら、口調も物腰も、着飾った野盗などには到底出すことのできない高貴な雰囲気があるのだ。彼ならボロを纏っても絵になってしまいそうな気がする。貧しい国の平民の出自であってもこうして品のある雰囲気を身に纏えるというのは、純粋に驚きで、アルが実はどこぞの貴族を出奔した身でした、という方が合点がいく気がする。
「どうかしたか?」
「あ、いえ……」
アルの顔に見とれてました、などと言えるはずもない。
「こういった街の公演場所は、どうやって決めているのかなぁ、と」
思い付きで口走った質問に答えたのは、ベルムだった。
「オレの『勘』だ」
「勘、ですか」
「適当、ってことよ。この人がアレコレ計算して行動するわけないじゃない。そんなの、コルムの都を出てこっちの数日で、リラにもよく分かったでしょ?」
モディに言われて、パッと食事の準備場面が思い出される。調味の際、モディは細かく指示を出すのだが、それを聞いてベルムが計っている姿は一度も見たことがない。
「……そう、ですね」
「だっはっは! 早くも新入団員に慕われているとは、我ながら素晴らしい団長ぶりだウボァッ!」
「褒めてないっつーの」
いつもの流れを終えて、楽団は一旦宿を求めて歩き回り、当面の寝床を定めると、すぐに移動して団長の勘に従ってひとつの広場に陣取った。
賑わいのある街だけに、既に大道芸を披露している者が何人もいる。街の住人達、あるいは交易のために滞在している者達、さらには旅の装束を纏う者達で、広場は混雑していた。
おもむろに、ベルムが太鼓を鳴らした。
ドン、ドドン、ドン、ドドン――と、小さく、周囲に存在を少しずつ知らしめていく。
そこに、アルのリュートの音色が加わった。
覚えのあるメロディにハッとして見ると、赤髪の青年はウインクをして見せた。
歌え、ということだろう。
昨夜、ちょうどこの曲――『海鳥の伝言』について彼と話をしたばかりだった。
――
遠くの海原 風に揺れる
孤独なる海鳥が 空を舞う
波の音が響く 夕暮れの岸辺
夢見る心に 静かなる歌が聞こえる
空よ 青く澄み渡り その翼を広げて
風よ やさしく包み込んで その旅路を照らせ
海鳥よ 遠くへと飛び立ち
この言葉を伝えて 彼方の空に届けて
夜の闇を越えて 星の光へと導いて
さざ波のざわめき 月が照らす
寂しき心に 希望の灯をともす
――
リラはリュートを持たず、胸の前で指を組んで歌い始めた。
この曲は、漁に出たまま帰らない恋人の無事を祈る女性を描いた歌だと言われている。忘れ得ぬ強い思いを声に乗せるには、歌うことに集中したいと思った。
モディがコーラスを重ね、トリステスの横笛がいつもよりも高い音階で旋律を響かせる。
気が付けば、広場中の人がこちらを見ていた。
歌い終わる頃には、前で聞いていた人達が膝を折り、余韻が残る中で喝采が起きた。
「ありがとう、ありがとう! 我らウェルサス・ポプリ音楽団の演奏を、今宵はどうぞお楽しみください!」
しっとりと始まった初公演は、軽快で小気味よい曲へ続いた。
コルムの都でもそうだったように、リラは彼らの奏でる曲がどれも、既に自分が習得しているものばかりだったことを嬉しく思った。金鹿聖騎士団に所属していた頃は無駄な努力かもしれないと不安になったこともあったが、今に繋がっていたと思えば、あの日々そのものが誇りだ。
公演は好評の内に終わり、おひねりは都のそれよりも多いように思われた。
「いやいや、なんともいい街じゃないか、デンス!」
「食べ物が美味しいって話を都で散々聞かされたし、今日から一週間は留まってもいいかもね!」
喜色ばむ夫婦の横では、まんざらでもないトリステスの姿もある。
リラもほっと胸をなでおろしながら、アルの姿を探した。
赤髪の青年は、楽団から離れて路地の方に視線を送っていた。
「……アルさん?」
リラの声に一度振り向き、再びさっきと同じ方を見る。
「君に客人のようだ」
「客?」
物陰から姿を現したのは、まだ十歳を過ぎたくらいの少年だった。