第百二十九話 これまでの旅
「なんだ、アルドール。みなに話を聞かずに来たのか。余は既に霊銀薬を飲み、体内の瘴疽はとっくに――」
「貴方のことです。そう喧伝しておきながら、実際には服薬していないのでしょう。体の奥底に巣食った瘴疽は、霊銀薬でも消えない。それを聞き知っている貴方は、民のためにと蓄えた霊銀薬を自分のために消費するのを厭い、そのままにしてあるはずだ」
似てる、とリラはまた思った。
図星を突かれたときのアルの表情とそっくりだ。
「リラの聖歌による浄化ならば、霊銀薬を使わずに済みますし、彼女自身も反動を受けません。よろしいですね」
「いやはや、随分と有意義な旅だったようだな。大きな成長を感じるよ。では、ひとつ浄化を頼むとするか――」
そうだ、と王は続けた。
「せっかくの機会だ。アルドール、お前がリュートを弾きなさい。そして、彼女にはこれまでの旅について吟じてもらうとしよう」
「これはまた――」
上を向いてため息をつき、アルドールはリラに顔を寄せた。
「すまないが、付き合ってくれ。父上はいつも思い付きで物事を始めるんだ。それでうまくいくことが多いために周囲は何も言えないんだが、俺も姉上もいつも振り回されている」
「吟じる、って、メロディに乗せて語るっていうことですよね。それで浄化の力が宿るかどうか、自信がないんですけど」
「宿るさ。父の先見の明の確かさもあるが、それ以上に、君の力を俺は信じている」
アルドールはそう言うと、家臣に命じてリュートを取りに行かせた。旅の中で使っていた愛用品は、音楽団の荷物一式と一緒にラームスの街に置いてきてしまっていたからだ。
用意が終わると、アルドールはしめやかにリュートを爪弾き始めた。
初めて彼のリュートを聞いたのは、ステラ・ミラの都コルヌの広場だった。傷心で途方に暮れていた自分に未来への道筋を示してくれたのは、この音だ。
「アルさんは、どうやって伴奏を?」
「君の歌に合わせるよ。自由に歌ってみてくれ」
ふたりのやり取りを、瘦身の国王はにこにこと満足そうに見守っていた。
――
さぁ、語ろう、旅の物語を。
赤い髪の王子が、聖なる力を宿す乙女に出会った。
乙女は騎士団の栄光から転落し、悲しみに打ちひしがれていた。
街の広場にて旅の音楽団が奏でるリュートの音色が、乙女の心に深く響いた。
星の光が闇を照らすかのように、傷心に温かな光をもたらした。
リュートを奏でる若者、その姿は、寒い夜に温かい陽だまりをもたらした。
乙女はその音楽に引かれ、若者のもとへと進み出た。
笑みは春の訪れを告げ、調べが二人の間に流れ始めた。
……………………
…………
――
パチパチパチパチ、とあたたかな拍手が送られた。
「素晴らしい歌、素晴らしい声、素晴らしい力だ。嘘偽りなく、体の中に在った不快なわだかまりが失せたよ。まさに奇跡の業だな」
誰か、と王が呼びかけると、一人の騎士が部屋に入り跪いた。
「アイテールの奴に、父の瘴疽が完全に癒えたと教えてやってくれ。それと、スクリーバ大臣にもな」
「はっ!」
騎士が満面に喜色を讃えて部屋を出て行くと、父王はあらためて二人を交互に見た。
「ありがとう、リラ殿」
「いえ、当然のことをし――」
「これからも末永く、愚息をよろしく頼むよ」
えっ、と声が漏れる。
「アルドールは昔からあらゆることに高い才能を示してはいたが、そのせいか、謙虚の精神や慈悲の心に欠ける部分があってね。本来ならば母親からそれらを教わるのだろうが、出産直後に病を患い、帰らぬ人となってしまった。いつか、アルドールの心の空隙を埋めてくれるような素晴らしい女性が巡り合ってくれればと思っていたところだったんだよ」
「あ、あの――」
「姉のアイテールに先駆けて婚礼の儀を行うというのも面白いかもしれんな。あやつは何かと理由をつけて縁談そのものから逃げてきておったが、弟に先を越されたとあっては――」
「父上」
ため息交じりにアルドールが言葉を挟む。
「ご存じの通り、瘴疽そのものが言えても傷口の損傷は残ります。侍医に命じて薬湯を持ってこさせますので、安静にしていてください」
「うむ、そうしよう。それでアルドール、婚礼の日取りについてだが――」
「失礼します。リラ、行くぞ」
「は、はいっ」
名残惜しそうな父王を置いて二人は部屋を出た。そして、互いに顔を見合わせて苦笑しあう。
「すまないな、話が飛躍してしまって」
「お元気になられたようで、何よりです」
アルドールは騎士に、先程父に言った通りのことを命じ、使いに走らせた。
リラは感心しながらそれを見ていた。本当の本当に、王子様なんだ。しかも生まれて初めて王様にも会ってしまった。今度ラエに会ったら自慢してやろう。
「ひとまず一段落だな」
呟いてから、アルドールがリラをちらりと見た。リラは、その視線に首を傾げて応える。
「疲れただろう。せっかく初めてロクス・ソルスに来てもらったというのに、矢継ぎ早に街から街へ移動して、すぐに浄化までしてもらって――すまなかったな」
「謝らないでください」
リラはそう言ってから、以前、親友に言われた言葉をそのまま紡ぐことにした。
「こういうときは、ありがとうの方がいいですよ」
「ああ、そうだな。ありがとう、聖女殿」
赤い髪の王子は、安堵の微笑みを聖女に向けた。