第百二十四話 聖女として生きる
「リラさん」
「はっ、はい」
「少し、貴女の時間を頂けないかしら」
「私の、ですか?」
リラが視線を送ると、アルは小さく何度か頷いて応えた。
「わかりました」
「では、俺達は先に宿に戻っていよう」
二人が深々と頭を下げて応接間を出ていくと、ネニアはあらためて自らの執務室へとリラを招いた。長い時の流れを感じさせるテーブルセットに、二人は向かい合わせに腰を下ろす。
ネニアの瞳の光の中に、何か寂し気なものを感じながら、リラは何も言わずにそれを受け止める。
小さく息をついてから、ネニアは小さく口を開いた。
「聖女として生きるのは、大変じゃない?」
予想だにしなかった質問に戸惑いながら、リラは心に浮かんだ想いをそのまま言葉にする。
「大変なことは多いです。でも、嬉しいことの方が多いです」
「嬉しいこと? 例えば?」
「たくさんある気がしますけど……例えば、浄化した人と思わぬところで再会すること、とかですかね。浄化した直後は、やっぱり痛みも強くてあまり元気な顔は見られませんが、時間が立って再会すると、すごく幸せそうな顔になっていることが多くて。あぁ、聖女でよかったなぁ、って思う瞬間です」
リラは他にも、これまでに自分が聖女として果たしてきたことを語った。
大聖堂で育ち、親友と巡り合い、競うように浄化の力を高め合った。
その力で、大富豪、貴族、他国の大商人を浄化し、命を救い、感謝され、その度に葛藤があった。
大市や祈願祭で、特別な計らいとして一般の市民に浄化を施し、心からの感謝の言葉を伝えられると、こちらの方が心が震えて涙が出て、逆に感謝の言葉を伝えていた。
聖女としての務めは他にもたくさんあったが、とにかく苦しんでいる人達の力になりたいと願い、その願いが自分を聖騎士団、そして音楽団へと導いていった。
ネニアはリラの話に興味深そうに聞き入り、時折、質問もした。
そうして一時間程も経った頃、リラの話がちょうど一段落ついたところで、女性市長はおもむろに手袋を外した。その指先を見て、リラは思わず息を呑む。
「銀の爪……それも、ちゃんと両手全部が。それじゃあ、貴女は――」
自らの『銀の爪』を見つめながら、ネニアはゆっくりと語り出した。
「私は、ステラ・ミラで生まれた。聖女になるはずの人間としてね。でも、両親が隠したの。生まれてすぐに大火傷を負ったことにし、常に包帯や手袋をつけ続ける人生を送ってきた。正体がバレそうになっては街を離れ、またバレそうになっては離れを繰り返している内に、ステラ・ミラを離れ、テラ・メリタの北の街にまで流れ着いた」
「はぐれ」という言葉がリラの頭の中に浮かんだ。
聖女として生まれながら、大聖堂には属さずに生きている聖女達を指す言葉だ。もっとも、大聖堂においては許されざる生き方として、蔑みの言葉として使われている。
しかし、今目の前にいる女性は、聖女として生まれながら、聖女としては生きてこなかったということになるから、「はぐれ」という言葉もそぐわない。でも、それを以って責める気にはまったくならなかった。
「人に恵まれ、市民の意見をまとめる立場になったけれど、自分の爪の色を見るたびに、何かしなければならないような焦燥感に駆られたわ。ずっと――そう、ずっとね。それで、霊銀薬の元となる魔晶石を安定供給させられるように、魔物狩りを組織化した。そうすることで、自分が生まれながらの使命を果たしていないことの罪が許されるような気がして」
リラはどう言葉を紡いでいいか迷いながら、純粋に浮かんだ疑問を口にした。
「どうして、そのことを、私に……」
「懺悔――誰かに聞いてほしかった。この罪を打ち明けることで、自分の心を救われるような気がして。そして、その相手として、貴女は相応しく思えた。聖女としては不完全でありながら、誰よりも聖女らしい。そんな貴女がここを訪れたのは、運命だと感じたわ。貴女には、迷惑だったかもしれないけれど」
リラはふるふると首を横に振った。
「迷惑だなんて、そんな――……」
ネニアの瞳は悲しみに彩られている。
聖女として生まれたことの意味を、きっと誰よりも考え続けてきたのだろう。
『銀の爪』を見るたびに胸が締め付けられるようになる気持ちが、リラにはよく分かった。果たすべき使命を全うできていないという罪悪感。
それに向き合った結果、どんな道を選んだか。
自分は、半分でも聖女として出来ることをしようと、鍛練を積み、聖騎士団に入り、抜け、音楽団に入った。でも、所属するものが違っても、聖女として浄化に勤しんできたことは一貫している。
ネニアは違う。聖女としての浄化には背を向けてきた。でも、彼女がたくさんの人を救ってきたことには変わりない。手段が違うだけで、創りあげた結果は素晴らしい。
手段という視点で言えば、歌声で浄化をしている自分だって、まっとうな聖女とは違うのだし。
「私は、ネニアさんの生き方、とても立派だと思います。だって、もしかしたら、史上最も多くの瘴疽を癒した女性になるわけじゃないですか」
「直接癒したわけではないわ」
「間接も直接も一緒です。だって、人が救われた結果は変わらないんですから」
自信満々に言ってのけたリラに、ネニアは微笑みながら一筋の涙を光らせた。安堵の色がそこにはあった。
「ありがとう。リラさん、貴女に会えてよかったわ」