第百二十二話 寝起きが悪い
「氷冠巨人?」
「はい。寒冷地帯にごくまれに出現する、氷を操る力を持った邪悪な巨人です。火山地帯に出現する火箭巨人と対を成す存在と言われていて、人を生きたまま食らうことを好むそうです。両者もたいへん仲が悪く、顔を合わせると互いの体が消滅するまで体をぶつけあったと――」
リラは言いながら、自分の知識の出処を思い出し、声を抑えていく。
「……絵本で見ました」
「絵本かい!」
「リラにしては、随分可愛らしい出典だったわね」
顔を真っ赤にするリラの横で、アルが口を開く。
「だが、トリステスとテスタに聞こえている音からすると、当たりだろう。リラ、戦闘に役立ちそうな情報はあるか?」
「えっと――え、絵本ではありましたけど、後ろのページには解説が載っていて……確か、そこには両者ともに皮膚が極めて頑丈で、並大抵の武器では歯が立たないと。ただ、氷冠巨人の方は熱によってその硬さがやわらぐと書かれていた気がします」
あ、とサギッタが口を開く。
「思い出した。それに似たような話ならウチにも残ってるぞ。氷柱を組み合わせたような冠をかぶった巨人が出たことがあって、そいつの爪に割かれると一瞬で瘴疽に罹っちまったとか。確か、俺の聞いた話でも、爪を全部燃やしてやっつけたって終わり方だったはずだ」
「とにかく、火が有効だってことだな。でも、この雪山で、火って言われてもな。小屋まで戻って薪を持ってくるか?」
「いや――」
アルがトリステスを見る。
「どうだ、トリステス」
「任せて」
「待て。まさか、儂と戦ったときのように火薬を使うつもりか? それなりに積雪があるこの山で爆発を起こせば、雪崩を引き起こしかねんぞ」
テスタの指摘に、トリステスは不敵に笑って応えた。
「安心しなさいな、おじいさん。手段は様々に用意してあるものだから」
トリステスは全員が見えるように立ち、ケープの中から小瓶を出した。
「この瓶の中身は、質の良い油よ。特殊な製法でつくられていて、一度火がつくとちょっとやそっとでは消えないの。これを氷冠巨人の体表に広範囲にかけて、燃やすわ」
「火付けは手伝おう」
「近接戦闘は、俺とテスタが請け合う。トリステス、ランケア、サギッタ、そしてリラは距離をとって支援してくれ。この洞穴の中が狭くて間合いが取れないようなら、外に出てしまって構わない」
アルの指示に全員が頷く。
一行が武器を構えて山の穴へ入って行くと、外からは想像も出来ないほど、中は開けた空間が続いていた。
数分も中へ進むと、まさにその名にふさわしい巨体が姿を表した。濃い青緑の体表に、隆々とした骨格、そして成人が縦に二人連なったよりも大きな体。その頭には、氷で出来ていると思しき冠がめりこむように嵌められている。
不規則ないびきを大きく鳴らして、胸が上下している。どうやら、寝入っているらしい。
トリステスが先程披露した瓶と同じものを三つ取り出し、器用にコルクの蓋を同時に開ける。
そして、それらが回転するように放り投げると、中身はぴしゃ、ぴしゃと周囲に撒き散らされ、巨人のあちこちを濡らした。
向こう側に辿り着いた瓶が、ガシャンと小さな音を立てて割れる。
グォ、と巨人の息の仕方が変わった。
「合わせて」
「任せろ」
トリステスとテスタは、先端に燐が塗られた投げ矢を擦り、ゴオッと焔を立たせ、勢いよく巨人へと投射した。
瞬く間に巨人の体表を火が包む。
「グガァァッ!?」
「氷冠巨人というのは、寝起きが悪いらしいな」
「起きた瞬間火だるまになっていたら、誰だって焦ると思いますけど……」
「軽口叩いてないで、下がるわよ、リラ!」
巨人の足元にアルとテスタが張り付き、注意を引きつける。
大木の幹ほどもある腕を振り回し、人間に痛手を与えようとするものの、その二人の剣士は流麗な動きでまるでものともしていない。
「サギッタ、目を狙って!」
「了解だ、姐さん!」
トリステスの短剣とサギッタの矢が氷冠巨人の顔へと鋭く空を進む。
「リラさん、おいらとあんたは後詰だ。余計なのが入ってこないように、入り口固めよう」
「わかりました!」
アルの剣とテスタの双剣が、青緑の肌を容赦なく切り裂く。
赤というよりは黒い血を流しながら、巨人が悶える。
すると、巨人はぐっと頭を上げ、勢いよく倒れ込んだ。
「やったか!?」
「いや、違う!」
巨人は力尽きて倒れたのではなく、頭を地面へと叩きつけたのだった。その衝撃で氷の冠がけたたましい音を立てて割れ散る。
一瞬の油断、構えを解いてしまっていたテスタの双剣の間をくぐって、氷の冠の破片が矢となって襲い掛かる。
「むぅっ!」
「引け、テスタ!!」
テスタは痛みの中、赤い髪の剣士が飛散した氷の破片をすべて回避していたことに驚嘆した。はるか昔、偉大な古代の王に飛来した一万の矢が、すべて彼を避けていったという逸話が頭をよぎった。