第百十八話 氷山の異変
ネニアは、ウェルサス・ポプリ音楽団の面々を順番に見ていき、最後にまた、アルへと視線を戻した。
「魔晶石について詳しく知りたいということだったわね」
「ああ」
「具体的には、あの透明な結晶が、どのようにして生成されるのかを知りたい、という望みだと受け取って構わないかしら」
アルが頷くと、女性市長は秘書に頼み、大きな羊皮紙を持ってこさせた。それを受け取り、テーブルに広げると、それは地図だった。ただ、前に見た街の全容を表すものではなく、このギプスムの街を含めた周辺一帯を示している。
地図には国境線が描かれていて、東の方に目をやるとロクス・ソルス王国という記述が見えた。いよいよアルの祖国の近くまで来たのだと、今更ながら実感する。
「ふた月ほど前に、ここ、スティーリア氷山が大きく揺れたのを多くの人が目撃したの。私はその時、この館で執務に当たっていたのだけれど、急に建物が揺れてかなり驚いたわ」
「局所的な地震、ということか」
それを聞いたリラの脳裏に蘇ったのは、ワリスの谷から聞こえた爆発音だった。あそこではガスが爆発し、それから魔物の大発生が起きた。
「それを境に、街の近くで瘴気が確認される回数が増え、比例して霊銀薬を撒くことも増えた。自然な成り行きというべきか、魔物が街の近くまで来ることも増えた」
横目で見ると、アルの顔が険しい。
「ロクス・ソルスの者にとっては他人事ではないわよね。この地図の通り、氷山は両国に跨って裾野を広げている。察するに、ロクス・ソルス側にも同様の被害は広がっていると思うわ」
ネニアは続ける。
「話を戻すわね。貴方達のおかげで瘴疽患者が大きく減った今を好機と捉えて、私は魔物狩りの皆さんに、氷山付近の魔物一層と、氷山の異変の調査を要請する。この街を拠点にしている魔物狩りは、ほぼすべて参加してくれるはず。そこに貴方達が加わることを、市長として許可、いえ、依頼するわ」
「意図はなんだ?」
「魔物狩りは、魔晶石を得て売ることで生計を立てている。でも、彼らがどのように魔晶石を獲得しているかは、それぞれの一族に伝えられていくだけで、基本的には門外不出の知識。実は、私も詳細は知らないの。だけど、行動を共にすれば――」
「入手方法を観察し、学ぶことが出来る、ということか」
女性市長は頷きながら微笑む。
「もっとも、狩人達は用心深く、その手法については上手に秘匿すると思うけれど。望み通りの結果を得られるかどうかは、貴方達次第ね。心情的にはもっと協力してあげたい部分もあるけれど、この辺りで了承してくれると助かるわ」
「貴女には貴女の立場があるだろう。十分すぎるほどの報酬に感謝する」
それぞれが感謝の弁を述べて、アル達四人は市庁舎を出た。
「トリステスさんとテスタさんが居てよかったですね」
「ああ。誰かの秘密を探るのに、二人の隠密の技術は最適だ」
だが、とアルは続ける。
「俺は、氷山の異変そのものを止めることを目標にしたい。ロクス・ソルスの西側にも被害が及んでいることは明らかだ。地図で見た通り、ラームスの町はここよりも氷山に近いが、あそこに配備している騎士団は多くない」
「そうね。しかも、私達がロクス・ソルスを離れてから一年近くが経ち、状況が悪化していた可能性は高い。弱り目に祟り目で魔物に襲撃されているのだとしたら、急いだほうがいいわ」
トリステスが同調すると、隣のテスタが大きく頷いて言葉を継いだ。
「では、今からでも氷山に向かおうではないか。魔物狩り達と合流するのを待つ必要はなかろう。こちらが先陣を切れば、腕の立つ者は急ぎ追ってくるだろうし、そういった者の動きからの方が目当ての情報は得やすかろう」
「そうだな……リラ、まともに休みをとれていないが、大丈夫か?」
「大丈夫です。聖女の体力を甘く見ないでください」
リラがぐっと力こぶをつくるポーズを示すと、三人の顔に笑みがこぼれた。
一行は一度宿に戻り、戦闘と野営の準備を整えて、すぐに街を出た。
街から見て北東方向に広がるニクス雪原からは寒風が吹きすさぶ――が、彼らは痛いほどの冷気をほとんど感じずに歩みを進めていった。
「これも聖女の歌の力なのか」
感嘆するテスタの言葉に、リラよりもアルとトリステスが自慢げに笑った。
スティーリア氷山の麓を目指す内に、魔物の数も増えた。
小鬼、犬鬼、獣鬼、群れで襲い掛かってくる魔物が多かった。戦いそのものは余裕をもって終わらせられたものの、数が多いために時間がかかってしまい、しかも、これまでと同様、魔晶石も得られなかった。
「生息地域というか、発生地域というか、場所によるものではなさそうですね」
「そうだな。もしもそうなら、谷底のドラゴンを倒したときに、カトブレパスや他の魔物達も魔晶石を残していただろうからな」
「なに、時間がかかったからこそ魔物狩り達もそろそろ近くに来るだろう。あわよくばコンタクトをとって、行動を共にせぬかと誘ってみようではないか」