第百十話 人柄を見込んで
ただ、と聖女は言葉を次いだ。
「プドル様がテラ・メリタの誰と繋がりをお持ちなのか、わたくしも詳細は存じません。定期的にわたくしに『銀の爪』を提供するよう申し付けられるだけで、後のことはお話しになりませんし、わたくしからも尋ねたことはありません」
「切った『銀の爪』を欲しがるような物好きが取引の相手ってことなんでしょ。何が目的か知らないけど、気味悪くて、そんなのウチだって知りたくないわよ」
パチ、パチと暖炉が爆ぜる。
ファルサはその揺らめきを見ながら思考を巡らせた。
霊銀を利用する聖女が居て、その裏に法王が居る。インユリアの話は驚くべき内容だったが、疑いようがないのもまた事実だ。辻褄はしっかりと合っている。
だが、新たに疑問が生じたことにファルサは気付いた。
「ちょっと待って。そもそも、アンタはなんで、法王という立場の人間とそれほど近しいワケ? あの『半聖女』は、たしか法王と顔を合わせたことは一度か二度しかないって言ってた気がするわ」
フフ、とインユリアが笑う。
「少し、長話になりますけれど、よろしいですか」
「構わないわ」
「わたくしは、痛いのが苦手なのです。生まれて初めて浄化の力を行使したときなどは、あまりの激痛に涙しました。反動を抑える術はないのかと人に尋ね、書に頼りましたが、求めた答えは得られずじまい」
静かに語り出したインユリアを、ファルサはじっと見つめる。
「霊銀薬に興味を持つのは当然の流れでしたわ。痛まずに浄化できるのなら、それに越したことはありませんもの。聖女の喜びなどと謳い、甘んじて痛みを享受している他の聖女達は、感覚が狂っているか、感覚そのものが欠落しているか、あるいは痛みを快楽に転じる素養を持っているに違いないのです」
「そうかもしれないわね」
「わたくしは霊銀薬を求めました。少なくとも、貴族に見初められて大聖堂を出るまでは聖女の務めを果たし続けなければならないわけですから。そうして色々と方策を練っている内に、わたくしはプドル猊下の噂を耳にしたのです」
それを聞いて、ファルサは小さく眉を顰めた。
貴族に生まれた子女ならば、誰もが彼の名を、悪しき噂と共に知る。
「女漁りのプドル」
「ええ。権力を笠に着て、礼拝に訪れた信者や貴族の婦女を相手に放埓な日々を送っているという、まことしやかな噂。それが本当だとすれば、この身を差し出せば、見返りとして必要な物を手に入れられるのではないか、とそう考えました」
ファルサの表情が曇った。
この身を差し出せば――とインユリアは口にした。
俗物法王、女漁りのプドルの姿は、これまでに何度か目にしたことがある。でっぷりと肥え、顎は輪郭が無く、顔は脂にまみれている。とてもではないが、触れたいとは思わないし、触れられたいとも思わない。少なくとも、ファルサが考える理想の男性像とはかけ離れた見た目をしている。
「わたくしは、ある夜、彼の元を訪ねました。通常、大聖堂の最高権力者と会うとなればそれなりに煩雑な手続きを踏まねばならないものですが、聖女という立場はそれをいとも簡略化してくれました。相談事がある、と伝えると、彼は部屋へと招き入れてくれました」
そして、とインユリアが続ける。
「わたくしは、純潔を彼に捧げたのです」
「な――」
「汚らわしい、とお思いですか?」
ファルサはそこで、インユリアの顔から微笑が消えていたことに気付いた。感情の無い視線が自分に向けられている。
少し前、彼女が「持って生まれた能力をもって、よりよい人生を送りたい」と言っていたことを思い出す。あれは、聖女としての浄化の力を指しての言葉だと思っていたが、それ以前に、女であるということをも意味していたのかもしれない。
「彼もかねてより聖女を手籠めにしたいと考えていたらしく、わたくしが見返りを求めるとなんなりと応えてくださいました。なんでも、してはならぬことに手を染めているという背徳感の虜なのだそうですわ」
「……それは、今でも?」
「ええ。ただ、信じて頂けないかもしれませんが、決して色に狂っているわけではございません。そういうフリをしてはいても。わたくしは街角に立つ淫売とは違い、褥を共にすることについて、今でも苦痛はあるのです」
「それなら、どうして――」
「浄化の反動に比べればどうということはございませんので」
さらりと言ってのけるインユリアに対して、ファルサは自分でも驚くほど負の感情を感じていなかった。軽蔑の念も、侮蔑の情も、失望の心もない。むしろ、ある種の清々しさをさえ覚えていた。なるほど、確かに自分と彼女は似ているらしい。
「話は理解したわ。そして今、ウチの手元には、その法王猊下からの召喚の書状がある。コレ、アンタも一枚噛んでるの?」
「いいえ。わたくしとプドル様は、あくまでもギブアンドテイクの関係に過ぎません。お互いに必要な物を与える代わりに受け取り、受け取る代わりに与えるだけです。法王という役職に関するお話をされたこともなければ、こちらから聞いたこともございません」
ただ、とインユリアは言葉を次いだ。
「わたくしとファルサ様が懇意にしているという情報は耳になさっているはず。その上でわざわざ書状を寄越すということは、貴女様の人柄を見込んで、何か秘密のお話をしたいのでしょう」
まさか体を差し出せってんじゃないでしょうね、とファルサは内心で苦笑しながら、のし上がる糸口を掴めるのではないかと喜びも感じていた。