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第百七話 ちょっとした土産

 剣を構えたアルが先陣を切って、つい先刻前までは倒れ伏す人々だらけだった広間へと降りる。しかし、三人の予想に反して、その光景には何の変化も見られなかった。


「もしかして、ただ逃げただけ?」

「いや、それは考えにくい。奴は逃げる際に捨て台詞を吐いていった。それに、密かに身を隠せるような性格でもないだろう。何かしら、俺達への逆襲を考えて逃げたはずだ」


 リラの脳裏に、モディの顔が浮かんだ。

 嫌な予感がする。


「まさか――」

「どうした?」

「モディさんのところに向かったんじゃ――だって、商人は情報の早さが勝負だって、ナトゥラさんが言ってたじゃないですか。もしかしたら、モディさんが妊娠していることを既に知っていて、あの瘴毒薬を浴びせに行ったとしたら――」

「リラの歌を聞いているから、ふたりは大丈夫だと思うけど……リラ、念のために聞くけれど、妊婦が瘴疽に罹った場合、お腹の中の子供はどうなるの?」


 リラが顔を伏せる。


「わかりません。前例がないような気がします……でも、まだ会話も出来ないくらいの赤ちゃんが瘴疽に罹ってすぐに命を落としてしまったという話は聞いたことがあって、小さい子供は瘴気への抵抗力が少ない可能性があるって……」

「急ぐぞ!!」


 血の気が引く、というのはこういうことなのだろうと、リラは走りながら思った。

 ナトゥラが周囲の防護を引き受けてくれているから、きっと大丈夫。

 ベルムが待ち構えているから、絶対大丈夫。

 言い聞かせながら、拭いきれない不安に必死に蓋をして、リラは二人と共に走った。




「よぉ、ナトゥラ」

「……メトゥス。久しぶりだな」


 ウェルサス・ポプリ音楽団に貸してある一軒家の前に腰を下ろしていたナトゥラの眼前に、メトゥスが姿を見せていた。いつも通りの半裸に、いつも通りの悪趣味な装飾品の数々を見て、ナトゥラが冷ややかな視線を送る。


「数ヶ月ぶりだってのに、随分な顔だな、親友」

「急いでサクスムから来たもので、少々、疲れていてな。それに聞いているかもしれないが、サクスムの大市で剣劇に参加して、大恥を掻いたものでね」

「ああ、うっすらと聞いてるぜ。旅の赤い髪の男にやられた、ってな。旅の音楽団の一員だって? 昔から学者肌の俺とは違い、武芸百般で名を馳せたお前が一本取られるとは、まさかまさかって感じだぜ」


 白々しい態度のメトゥスに対して、ナトゥラは最大限に警戒心を働かせる。

 なぜ、こいつは今、この場に来ているんだ。

 リラはどうなった。

 アルはどうした。

 トリステスは救出されたのか。

 ロクス・ソルスの王家に伝わるえげつない秘薬の話を聞いて、なんとかなるかもしれないと送り出したが、まさか、失敗したのだろうか。

 周辺に集められるだけの男達を集めて配置したが、まさか単身でこの家を訪れるとは。


「なぁ、この家に泊ってる客に渡してもらいたいものがあるんだが、頼んでいいか?」

「誰が泊っているのか、知っているのか?」

「あぁ、もちろんだぜ。旅の音楽団のメンバーだろ。商人ってのは、いかに早く情報を手に入れ、利用するかが勝負だろ?」


 昔から変わらない邪悪な笑みを浮かべる旧友に、ナトゥラは疑念を込めて問うことにした。


「何を渡せばいいんだ?」

「なぁに、ちょっとした土産さ」


 そう言ってメトゥスが取り出したのは、くすんだガラス瓶だった。中には、見たことのない赤黒い液体が入っている。


「葡萄酒ではなさそうだな。なんだ、それは?」

「ショウドク薬さ」

「とてもそうは見えないが」

「いやいや、効果は覿面だぜ。なにせ、葡萄酒に数滴垂らしただけで、俺とお前の親をそれぞれ重篤な瘴疽に陥らせた優れモノだからな」

「な――」


 ナトゥラが言葉を続けようと開いた口に、メトゥスが瓶の中身を素早く放った。

 いいようのない嫌悪感と寒気がナトゥラの全身を包む。


「ぐっ――」

「吐き出すなら早い方がいいぜ! 手伝ってやるよ!!」


 身をかがめたナトゥラに、メトゥスが強烈な蹴りを見舞った。

 うめき声を漏らしながらくずおれたナトゥラの頭部に、さらにメトゥスが蹴りを放つ。

 企みが成功した喜びをかみしめ、メトゥスは家の扉を開けた。

 入った瞬間、この街では見たことのない髭面の巨漢が、仏頂面で仁王立ちしていた。かなりの力自慢ではあるのだろう。だが、どんなに勇壮な戦士であっても、体中を瘴疽に侵されればなすすべもなく苦しむしかないのだ。


「よ、よぉ、デカイの。おたくも旅の音楽団の一人か?」


 巨漢はギンとして見下ろしたまま、何も言わない。


「実は、おたくの仲間――アル、リラ、そしてトリステスから話を聞いていてな。病にかかって大変だってんで、いい薬を持ってきてやったんだ」


 メトゥスが瓶をかざし、蓋を取って見せる。中の赤黒い液体がトプンと泡立つ。


「こいつだ。飲めばどんな病気にも効果覿面、滋養強壮、無病息災の万能薬だ。さぁ、あんたも一口呑んドゲブゥッッ!?」


 瓶を構えるよりも早く、ベルムの鉄拳がメトゥスの顔面にめり込んだ。無様に尻もちをつき、手に持っていた革袋を離してしまったことに気付いたメトゥスは、憎悪の視線を上にあげる。


「なっ、なにをしやがる!!」

「そりゃ、こっちのセリフだぜ。白々しい言葉ばかり並べやがって、殺気が駄々洩れなんだよ、ド素人が」


 ドスドスと恐ろし気な足音を立てて、ベルムが悠然とメトゥスに近づき、見下ろす。


「トリステスはどうした?」


 ベルムの大きく広い足を包む金属製の具足が、ガスッ、とメトゥスの露出した胸部を蹴る。痛みに顔を顰めるメトゥスとは対照的に、ベルムは表情を変えない。


「アルはどうした?」


 ガッ。


「リラはどうした?」


 ガッ。


「オラ。商人は口の滑りが命だろうが。なんか言えよ」


 ガッ。

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