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第百二話 静謐な視線

 何度も足を踏み入れた本館の一階も、倒れ伏した体があちこちに横たわっていた。


「すごい効き目ですね……」

「ロクス・ソルスでも滅多に手に入らない、極めて貴重なソムニウムという植物からしか精製できない毒だからな。こんなこともあろうかと持ってきておいて正解だった」


 感心するやら呆れるやら、ため息交じりにアルを見上げたリラだったが、ハッとあることに気付いて声を上げた。


「ト、トリステスさんは? この薬品の影響を受けてしまっているんじゃ――」

「それは大丈夫だ。風に乗せて飛ばした以上、彼女が囚われているであろう地下へは届かない」


 それに、とアルは表情を曇らせて続けた。


「彼女は影の組織に属すに当たって、特殊な訓練を受けている。そのひとつが、あらゆる毒に対する耐性を強引に体に染みつけることだ。大きな代償を支払ってな」

「代償?」

「彼女は子供を宿せない」


 唐突に明かされた真実に、リラは言葉を失った。

 そして、同時に、トリステスがモディの妊娠を聞いて喜んだ瞬間を思い出した。

 喜んでいた。

 心から。


「姉には、凌辱を受けても妊娠しないから気が楽だ、と言ったそうだ。だが――」


 アルが音を立てて剣を握りしめる。


「だからといって、彼女の尊厳を踏みにじることは許されない。もとい、俺が許さん」

「ようこそ、と言うべきかな。招かれざる客よ」


 音もなく、ひとりの老人が広間に姿を表した。


「この一帯に撒かれた珍妙な薬品も、そなたの仕業と見て間違いないな。確か、名はアルと言ったか」

「覚えていてくれて光栄だ。この毒霧の中で平然としているとは、貴様がトリステスの言っていた影の者だな」

「テスタだ」


 老人が、カツ、カツと靴を鳴らして広間を歩く。


「まさか、これほど早く訪ねて来るとは、まったく恐れ入る。しかも、見事な手際だ」

「トリステスさんは、ここにいるんですね?」


 リラの問いに対して、テスタは殺気を込めた眼光で応えた。

 ぎくり、として心臓が痛む。

 二の句を告げない。

 瘴気を至近距離で目の当たりにしているような気持ち悪さが胸にこもる。


「リラ」

「はっ――はい」

「トリステスを頼む。もしも彼女が地下で虜囚になっているとしたら、俺には姿を見られたくないはずだ」

「でも――」

「行け。俺はこいつの相手をする。そして、二階にいるであろうメトゥスに話をつける」


 リラはこくりと頷き、視界の端に見えていた階段へと走った。

 テスタが二刀を抜き放つ。


「彼女一人で行かせてよかったのか?」

「心配ない。彼女は強い」


 それに、とアルは剣を構えた。


「凄惨な現場を、心優しい彼女に見せるのは忍びない」


 死屍が横たわっているかのような異様な光景の広間で、二人の剣士が相対した。かたや二刀を構え、かたや切っ先を上げて愛刀を構えている。

 二刀を握るテスタは、静かに驚愕していた。

 長い人生の中で、これほどまでに隙の無い剣士を見たことが無かった。

 この赤い髪の若者は、怒りに囚われていたはずだ。怒りは心から安定を損なわせ、揺らいだ精神は致命的な隙をつくる。だが、それにも関わらず、今この瞬間において青年は盤石の構えを保っている。

 末恐ろしい、という言葉が浮かび、テスタはすぐにかぶりを振った。

 違う。

 この若者は、既に恐るべき力を有している。


「見事な技量だな」


 静謐な視線を向けられたまま、テスタは続けた。


「ロクス・ソルスには、そなたのような剣士が何人もいるのか?」

「どうかな」


 言葉を交わしても、青年の表情も構えも微動だにしない。

 洗練され、完成されている。

 単純な剣の技が互角であるとすれば、勝敗を分けるのは体そのものの力と、心の強さだ。

 最盛期に向けて隆々と力を漲らせる彼の体と、衰え始めて久しい枯れた己の肉体。

 守るべきものと愛するもののために滾る彼の心と、空虚で忠誠心とも呼べない己の義務感。

 勝敗は既に決しているようなものだ。

 だが――


「――参る」


 テスタが猛然とアルに飛び掛かった。

 交差した二刀が振り下ろされる。

 アルはほんのわずか後ろに引いてそれを鼻先でかわした。

 構えていた剣に二刀の内のひとつが触れた一瞬、アルが剣を振り上げると、当たった剣は弾き飛ばされ、天井に深く突き刺さった。

 残った一本を背に構え、テスタが蹴りを繰り出す。

 アルの剣の柄がその脛を打ち、アルはさらに刃を腹部へと滑り込ませた。

 テスタは体を翻してそれを避けるが、追撃に出たアルが老人の足を強く払う。バランスを崩したテスタは無様に転倒し、その勢いに負けて剣から手を離した。


「ガハッ――」

「勝負あったな」


 アルは、名工の剣を相手の首元に突き付けた。


「見事だ。とどめを刺すがいい」

「ひとつ聞こう。それだけの技量がありながら、なぜ、メトゥス=フォルミードなどに仕えている? もっと別の生き方もあったはずだ」

「あのトリステスという娘にも同じことを聞かれたな。彼女には一言だけで応えたが、完膚なきまでに負かされた相手となれば、確かに答えねばなるまいな」


 テスタは短く息を吐いて、あらためて口を開いた。


「儂は元々、ステラ・ミラの貴族だった」

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