第十話 さらばふるさと
「名残惜しい?」
ガラガラと車輪を回す馬車の荷台で、隣に座るモディに聞かれ、リラははっとして小さく頷いた。幌のついていない安い荷車の上からは、まだはっきりと都コルムを囲う石壁が見える。リラは、遠ざかるそれをずっと見続けていたのだった。
「少しだけ」
「さらばふるさと、いざ新天地へ! ってな」
馬を御するベルムが、振り向きながら大きな声で言った。空気が大きく震えたような声に馬がびくつき車が大きく揺れた。モディが眉間に皺を寄せて口を開く。
「声がでかすぎるっての」
「あはは……でも、元気が出てきます、ベルムさんの声を聞くと」
「おぉ、おぉ、もっと言ってくれぃ!!」
ガッハッハと笑い声が響くと、モディも馬もフルフルと諦めたように首を振った。
リラと向かい合う形で座っていたアルが、ふと顔を上げてリラを見る。
「そういえば、元々着ていた白いローブはどうしたんだ? 荷物は随分少なく見えるが」
「この服を仕立ててくれた方にお譲りしたんです。私には、もう必要のない物だから」
「そのおかげもあって、結局タダにしてもらっちゃったのよねー。もっとも、元のローブの素材は中古とはいえ上質なものだったから、あっちも損はしてないんだけどさ」
「なるほどな。さすがはモディの交渉術と言いたいところだが、今回ばかりはリラが積んできた徳のおかげというところか」
そう言って、アルは濃い赤い目でじっとリラを見た。リラとしては、彼の顔立ちが整っていること、四人の中では一番自分と年齢が近そうなことも相まって、思わずどきりとしてしまう。
「あ、あの、何か?」
「いや。良い服だな、と思ってな」
「あっ……ありがとう、ございます……?」
どこかちぐはぐさを感じながら、リラは感謝を口にした。褒められたのは服であって、自分ではないと思いながら。
「見た目には刺繍も施されて作り込まれているが、縫製がいいのか、まるで動きにくそうな様子もないし――」
「女性が服を新調して、先に伝える言葉が衣装の評価のみとは。お姉さんが居ればなんというかしら」
「う……」
隣のトリステスに冷たい視線に送られ、口を一文字に結ぶアル。
そういえば、とリラは言葉を紡いだ。
「前にも、お姉さんを引き合いに出されていましたよね。アルさんとお姉さんとトリステスさんって、どういう……?」
「一言でいうのは、少し難しいのだけれど」
トリステスの青いポニーテールが風に流れ、視線が遠くに投げらえる。その表情は柔らかく、リラには当分出来そうにない大人の微笑みを讃えている。
「私にとって、彼女は命の恩人。その恩を返したいと思っているわ。でも、彼女はそういう関係性を嫌って、私のことは親しい友人だと言ってくれる。そういう間柄だから、私は彼女の弟であるアルをしっかり見守ってあげなげればならないの」
「見張るの間違いじゃないのか」
アルが口を尖らせる。その仕草のせいか、隣にいかにも大人らしいトリステスが座っているせいか、幾分幼く見える。
リラの隣で聞いていたモディが、ケラケラと笑った。
「アルって年の割に大人じみてるけど、そういうところはまだまだよねー。ま、妻がばっさり髪型を変えても一週間気付かないどっかの髭よりはずっとマシかもだけど」
「あー、聞こえねぇ、聞こえねぇ」
リラがクスクス笑う横で、アルが憮然としながら口を開いた。
「口さがなく女性の容姿を褒めて、軽率な男だと思われるのは不名誉だからな。ひとつ、それだけは弁解をさせてもらう」
「ふぅん。それじゃあらためて聞くけど、アルはリラちゃんの容姿についてどう思ってるわけ?」
モディが意地悪く笑ってアルを見る。
「それは――」
「あらま。その顔の赤さが答えってコトにしときましょうか」
モディとトリステスが声を上げて笑うと、アルはバツが悪そうに遠くに視線をやった。
四人ともそこまで年齢は離れていないように見えるが、まるで家族のようだ。大黒柱の父、おおらかな母、頼りになる姉、可愛い弟――そんな関係性が見えて、リラは不思議な居心地の良さを感じた。末の妹に、自分はなれるだろうか。実の親の顔すら知らない、こんな自分でも。
笑い声が収まり、トリステスがふとリラを見る。
「次の街までまだ道のりは長いし、少し私達の話でもしようかしら」
「ぜひ」
「私達は四人とも、ロクス・ソルスの生まれよ」
「北方の……」
リラがその名を聞いて思い出した事柄は、あまり良いものとは言えなかった。
大陸東のステラ・ミラ聖王国は聖女の輩出数が、西のテラ・メリタ共和国は霊銀の産出量が多く、南のアクア・ヴィテ連邦はそもそも瘴気の発生が少ない。四つある国の中で唯一、北のロクス・ソルス王国だけが瘴気に抗する恵みを持たず、小国という呼ばれ方を甘受している。森林資源は多いが、それだけだとも言う。気温の低さも相まって作物も豊かに実るとは言い難く、祖国を見限って東西の二大国へ移り住む者も多い。実際に、大聖堂に勤めている者の内、出身がロクス・ソルスであるという者も居た。
彼らがロクス・ソルスで生まれたということと、音楽団として各地を巡っているということは、リラの中ですんなり結びついた。
「生まれた街は違うけれど、不思議な巡り合わせで、こうして音楽団として時間を共有しているわ」
「不思議な巡り合わせ?」
リラの問いに、トリステスが微笑みながら頷く。
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