第一話 お暇を頂きたく存じます
「今期の功績評価で、ウチら金鹿聖騎士団は最下位でした~。ぱちぱちぱち~」
乾いた拍手を打って、金髪の女が言った。髪の手入れ具合、装飾品の数々、「ファルサ=ストゥルティ」というネームプレートに施された絢爛な細工――その他多くの品々が、彼女の出自が位の高い貴族であることを端的に示している。
ファルサの笑顔は嫌味に満ちて歪み、その視線はじっとりとした冷たさを込めて目の前の黒髪の乙女に向けられていた。
「これで新設以来三年、六期連続、堂々のビリッケツで~す。でも、おかしいな~。記録によれば、六つの聖騎士団で、魔物討伐数の差はほとんどないんだよな~。それなのに、なんでこんな結果になっちゃうんだろうな~。ねぇ、なんでだと思う、リラ?」
リラは強張った体の前で指を組みながら、相手が求めているであろう正答を言葉にまとめた。
「浄化した『瘴疽』患者の人数が少ないから……だと思います」
「あ~、そっか~、そうだよね~。そもそも、魔物を討伐するだけなら、通常編成の騎士団でも出来るもんね~。わざわざ聖女を編成に組み込んでいる聖騎士団の使命は、地方辺境で瘴気に蝕まれた哀れな民草を救うことだもんね~。じゃあ、どうしてウチらはその使命を満足に果たせてないんだろうね~、『半聖女』さん?」
氷のような視線の角度が下がり、リラは反射的に右手を包むように指を組み直した。彼女の左手の爪は五本とも美しい銀色を放っているが、反対に、右手の爪は特に変わったところがない。彼女が『半聖女』と揶揄される所以だった。
「……専属の聖女である私の『銀の爪』が五つしかないから、です」
「せいかーい」
吐き捨てるように言ったファルサは、表情を凍らせて続ける。
「ほんっと、マジだるい。出来損ないの半端者、たったひとりの落ちこぼれのせいで、聖騎士団全体が低い評価を受け続けるなんて。おかげで、団長であるウチの騎士団内序列もずっと低迷中。これじゃ、この聖騎士団がなんのためのものなのか、意味わかんない」
聖騎士団がなんのためのものなのか?
そんなことは、はっきりしている。
瘴気に、そして瘴疽に苦しむ人々の力になるためのものだ。
個人の名誉のためなんかじゃない。
そう思いながらも、リラは声には出せずに唇を噛んだ。
三年前、新たな聖騎士団の設立が決まった際、大聖堂の聖女達は皆及び腰だった。聖騎士団の専属になることは、瘴気が拡大し魔物が跋扈する野に出ることであり、自らの命を危険に晒すことに他ならないからだ。ただでさえ浄化による反動で激痛を味わうのに、これ以上の苦労を受難するのは正気の沙汰ではないと皆が言った。実際、既存五つの聖騎士団に籍を置いていた先達は、五人とも多方面からの推薦によるものだった。
そんな中、リラは真っ先に立候補した。聖女の力を必要としている人が、ステラ・ミラ聖王国の端々に居る。そう思うと、居ても立っても居られなかった。生まれ持った慈愛の心と、強すぎるほどの使命感がリラの原動力だった。こうして、リラは最年少かつ史上初の立候補による聖騎士団専属聖女となったのだった。
だが、そんなリラを待ち受けていたのは、そういった決意や信念などまったく持ち合わせていない団長だった。
「ね~、パパ~。ファルサ、史上初の女性聖騎士団長になりたいな~」
リラが伝え聞いた話では、それが金鹿聖騎士団設立の顛末なのだという。瘴気に立ち向かい瘴疽を浄化するという聖騎士団の使命は、リラにとっては目的だったが、ファルサにとっては手段でしかなかったのだ。
「瘴疽を浄化した後の怪我人のケアまですべきです」「魔物の被害にあった人の予後を観察した方がいいです」「要請のあった街だけでなく付近の村の安全確認もしましょう」――リラの進言はすべて「だるい」の一言で切り捨てられた。
やがて、ファルサは露骨にリラを煙たがり始めた。こなせる浄化の数が少ないことを日常的になじられるようになり、衝動的に責められる日々が始まった。いつしかリラはひたむきさを失い、ファルサの怒りを買わぬよう彼女が求めているであろう正答をのみ述べるようになっていた。
「インユリアっていう名前の聖女を知ってる? この一年、大聖堂に詰めている聖女の中で最多人数を浄化した逸材なんだって。この前、ウチら聖騎士団の窮状を伝えたら、専属を引き受けるのはヤブサカじゃないって返事をもらったんだよね」
リラは、その名になんとなく聞き覚えはあったが、面識はなかった。思い返せば、聖騎士団に所属してからの三年は、実家とも言える大聖堂に一度も足を運んでいない。聖騎士団の一員として東奔西走し、遠征の合間はすべて鍛錬に当ててきたからだ。その甲斐あって、どんなに重篤な瘴疽でも完全に癒すことが出来るようにはなっていたが、浄化できる数は一向に変わらなかった。
「聖騎士団の構成は団長が一人、騎士が十人、そして専属の聖女が一人、っていう厳しい取り決めがある。ウチらだけ聖女が二人、っていうわけにはいかない。さてさて、どうしたもんかな、っと」
そう言いながら、ファルサは重々しい机の上に、ぱらりと一枚の羊皮紙を置いた。リラがサッと目を通すと、そこには退団を願い出る文面が整えられていて、あとは署名をするだけの状態になっていた。
「辞めろ」――ファルサが直接言わないのは、あくまでも自主退団という体裁を整えたいからだろう。政治的な思惑が見え透く。外面を整えることについてだけは、この聖騎士団長は常に熱心だった。
負の感情が渦巻く。でも、とリラは思った。このままこの立場に固執して、何になるだろう。ただ疲弊して、すり減っていくだけだ。ここに私の居場所はない。
「……お暇を頂きたく存じます」
深々と頭を下げながら、リラは両手をきゅっと強く握りしめた。手の平に爪が食い込む。この爪が、両方とも銀色だったなら、こんな思いをしなくて済んだだろう。あるいは、両方とも銀色でなかったなら。
ゆっくり頭を上げると、ファルサは羽ペンを放って寄越した。既にたっぷりとインクが含まれていたせいで、黒い液体が飛び散った。
リラが自分の名前を書きつけるのを見て、ファルサは満足そうに口元を歪めた。
「下がっていいよ」
下を向いたまま振り返り、石造りの執務室を出る。結成から今日まで、労いの言葉がかけられることは最後まで一度もなかった。