8《過去、あるいは未来》
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私は、飛んでいた。
懸命に翼をはためかせ、口笛で風を操る。
風にはたらきかける時は、口笛が一番うまくいくのだ。水は歌、土は紋様。それから、火は——。
今の私は体が重いので、飛び続けるには翼の力だけでなく、強めの上昇気流も発生させる必要がある。
だから、なるべく長距離は飛びたくなかったのだが、あの蛞蝓野郎が山じゅうを食い尽くしてしまったせいで、早急に代わりの住処を見つける必要があった。
やつは今こそ鳴りをひそめているようだが、いつまた動き始めるか分からない。
先々のことを考えると、可能な限り遠くまで離れておくのが望ましかった。
ここしばらく引きこもっていたせいで、頼れる知り合いがおらず、世界の情勢なども分からないのが痛い。
黄色みがかってきた陽の光を見ると、焦りがつのった。
背中と腰が痛い。
とにかくどこかで少し休むべきかもしれない。
『ママ。』
『なに?』
『人間の地図を調べたら、よさそうな場所が見つかるかもしれない。今の暦は分かる? あと、何か目印になるようなものはない?』
お腹の中で、息子が喋る。
竜の子は、産まれる直前まで魂の記憶を全て保持し、世界のあらゆる記憶を所蔵するというアカシアの図書館へ行くことができるのだ。
私がもうすぐ産む予定のこの子は、特に聡明なようで、いつも母たる私を助けてくれていた。
『確か、聖龍王国暦1300年ごろ。
——いや、もっとかもしれない。
北に、塔が三つ見えるよ。
寺院。
——そう、確か、ユークレイア寺院。』
『わかった。行ってくるね。』
ふ、と息子の気配が遠くなる。
だが、アカシアの図書館に行けるのは魂だけだ。
彼の肉体とわずかな魂のかけらは、変わらず私の肉体の中で静かに眠り続けている。
昨日までの住処のあった山から、ずっと続いていた森が、もうすぐ途切れそうだ。
西へ向かって飛び続ける私の目の前に、巨岩に覆われた、乾いた大地が姿を現そうとしていた。
この水の少ない場所を越える前に、やはり一度休んでおくべきだろう。
危険な邂逅がないことを祈りながら、低く口笛を吹きつつ、ゆっくりと私は降下していった。
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