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魂の消滅。
なかなかに、衝撃的な言葉だ。
だが、それが意味するところが、私にはあまりよく理解できなかった。
「確か、私たちはもう死なないって言ってませんでしたっけ、さっき?」
「僕たちは、とは言ってないけどね。
普通は、の話だよ。
ものすごく単純に言うと、死っていうのは魂と肉体との分離だ。
今、この死の世界にいる多くの存在は、肉体を持たない。
肉体を持たない魂は、どんなに望んだところで死ぬことはできない。」
ん?
何だか、私たちが普通とは違うような口ぶりだが、違うのだろうか。
そちらの方に興味をひかれそうになったが、いや、今は順番に整理していくべきだと思い直す。
「死については、大体、私のイメージどおりですけど。
じゃあ、魂が、消滅するってどういうことですか?
私の感覚だと、死の世界でさらに決定的に死ぬ、みたいな感じなんですけど。」
「それも、大体合ってるんじゃないかな。
死は、魂が肉体から——生の世界から切り離されて、死の世界に帰ってくること。
魂の消滅は、その魂自体が消えて、死の世界のエネルギーに還元されることだよ。」
「——それじゃ、死ぬよりも、もっと重大なことなんじゃないですか?」
「そう。だから、僕も結構、切羽詰まってるんだ。」
言葉とは裏腹に、さらりとオブシディアンは言う。
わずかに差し込んでいた星明かりも、もう届かなくなってきた。
濃い闇に覆われた罅の底では、オブシディアンの顔はよく見えない。
「——僕ももう詳しいことは忘れてしまったんだけど、一説に、魂っていうのは流体の性質を持つそうだよ。
水、空気、砂みたいなね。
僕たちは、ある時は川の流れの一滴として、ある時は空に浮かぶ雲として、その場にはたらく力のままにあらゆる場所へと流れていく。
そして時折、生き物の中に取り込まれたりもする。」
「生き物?」
「例えば、世界樹とか。」
世界樹なら、昔、神話で聞いたことがある。
確か、世界の中心にあって世界を支える木のことだったと思う。
「水糸葉宮にも、水の世界樹があるよ。
世界樹はどれも宮の中で厳重に守られているから、なかなかお目にかかるのは難しいだろうけどね。」
まさか近くに、そんなものがあったとは。
だが、なにしろ、ずっと川の底にいたのだ。
それらしいものはなにも見ていない。
「世界樹っていうのは、それ自体が、ひとつの世界なんだ。
世界樹に取り込まれた魂は、その世界で肉体を与えられ、生まれて、生きて、また死んでここに帰ってくるんだよ。
たぶん、少し前まで、ケーシャの魂も水の世界樹の中にあったんじゃないかな。」
世界樹の葉っぱの中を流れる、水の一滴になった自分を想像してみる。
少し前まで、私は、こっちの世界から見ると世界樹の中にいたのだろうか。
なんだか、うまく想像できない。
「そういえば、死んだときに会った雲みたいな蜘蛛に、謝られたんですけど。
間違って生糸を切っちゃった、って。
生糸って、一体なんのことですか?」
オブシディアンの肩が揺れた。
「オブシディアン?」
「——いや、ちょっと驚いただけだよ。大丈夫。
たぶん、その生糸っていうのは、死の女神の蚕の吐く糸のことだろうね。
魂を扱うときに使われる糸だ。」
魂を扱う?
「神の領域の話だから、詳しくは分からないけど。
世界を守るために、さまざまに使われるそうだよ。
世界樹への水やり——追肥の方が合ってるかな?——にも使われてるって、聞いたことがある。
世界樹は、生の世界そのものでもあるけど、死の世界に根を張って、地固めする役割も担っているんだ。
だから、必ず一人は守り役がついて、念入りに世話をしているんだけど。
世界樹が弱ってくると、うまく魂を吸い上げられなくなる。
そうすると、守り役は、魂を生糸でくるんで繭にして、いわば肥料にする。
糸で直接世界樹に固定すると、世界樹が取り込みやすくなるんだそうだ。」
よく分からないが、点滴とか、胃ろうみたいなものってことだろうか。
でも。
「うまくイメージできませんけど、世界樹って、そこまでして延命しないといけないものなんですか?」
オブシディアンは低く笑った。
「さあ。それは僕ごときが答えるべき質問じゃないね。
ただ、ひとつ言えるとするなら、世界樹の新しい芽吹きは、もうずっと、ずっと長い間、確認されていないそうだよ。」
「っていうことは。」
「世界樹が枯れたら、生の世界も消える。
世界樹の支えを失った死の世界も、不安定になる。
不安定な死の世界に、行き場のなくなった魂が溢れて——、たぶん、いつか、みんな崩れて消滅してしまうんじゃないかな。」
◇◇◇
暗く、狭い、どこまで続くか分からない罅の中を、オブシディアンは歩いてゆく。その足どりは坦々と規則正しく、乱れを見せない。
つまづいたりはしないのだろうか。
それとも、オブシディアンの目には、しっかりと道が見えているのだろうか。
暗闇の中を、自分の足で歩かずただ運ばれていると、前後左右の感覚がひどく曖昧になってくる。
進んでいるのにずっと立ち止まっているような、時には後退さえしているような、まるで、ねじれた空間に囚われてしまったかのような、奇妙な感じがする。
突然、はっとするような冷たい風が、横から吹き付けた。
横穴があるのかもしれない。
「道?」
尋ねてみたが、オブシディアンは首を横に振ったようだった。
「道といえば、道だけど。僕たちのための道じゃない。」
それでは一体、誰のための?
聞きたかったが、急に立ち止まったオブシディアンに強く掴まれ、私は硬直した。
「静かに。」
オブシディアンの息が、耳をくすぐる。
しかし、言われなくても、声を出すことはできなかった。
凄まじい匂いだ。鼻も、のども、物理的に突き刺されたかのような激しい衝撃で、一瞬で感覚がなくなった。
しかし、その一瞬に感じた匂いが、私の全身を強力に麻痺させた。
——全く、動けない。
オブシディアンも、私を首の下に押しつけたまま、じっと体を丸く、固くしていた。
ずる、ずる、べた、べちゃ。
形容するのもおぞましい、何かぶよぶよしたかたまりが、地を這うような音がする。
その音を聞くたび、この世に存在しうる邪悪なものを、ワースト順に耳から流しこまれているような気がした。
人間だったなら、多分ずっと吐き続けていたと思う。
だが幸い、私はただの小さな亀だったし、ほとんど何も食べておらず、胃は空っぽだった。
永遠とも思える時間の後、やっと全てが通り過ぎたとき、私はすっかり疲れ切っていた。
懐かしい痛みと、重だるさ。
疲れが取れたと驚き喜ぶことができたのは、本当に一瞬のことだった。
「……今のは、一体?」
「忌々しい、害虫だよ。
この世界にどこからか入り込んで、喰い荒らしてる奴だ。
あいつがここに棲みついたせいで、ここは遺跡になった。
——誰も住むことのできない、不毛の地になったんだ。」
世界を喰い荒らす、というのがどういうことか、私にはよく分からなかった。
だが、口を開くのも億劫になってしまったし、何をどう聞けばいいのかすら、うまく考えられない。
水音がする。
オブシディアンが、水を飲んだようだ。
彼はそのまま立ち上がり、再び歩き始める。
オブシディアンの歩みのせいでなく、頭がぐらぐら揺れた。
「ごめんね、ケーシャ。つらいよね。もしできるなら、少し眠るといい。まだしばらくかかるから。」
オブシディアンの言葉に操られるように、私は朦朧としたまま目を閉じ、首を縮めた。