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 人間、できることとできないことがある。

 いや、人間だけじゃない。

 ミミズだって、オケラだって、はたまた亀や石だってそうだ。


 そして私の乏しい経験上では、できないことを頼まれたら、早いうちにはっきり断った方がいい。

 それが結局一番お互いのためになると、いつかどこかで誰かが言っていた。


「オブシディアン。」


 名前を呼ぶと、オブシディアンは苦笑混じりのため息をついた。首元に息がかかって、くすぐったい。


「分かる気がするよ、ケーシャの言いたいことは。

 でも、僕が頼みたいのは、ケーシャには本当に簡単なことなんだ。

 ケーシャがその気になってくれさえすれば。」


 オブシディアンには悪いが、私の抱いた感じを一言で言うなら、怪しいなあ、だった。

 昔、うっかり宗教の勧誘に絡まれてしまった時のことを思い出す。

 その時は早足でその場を離れさえすればよかったが、今の私は逃げることができない。

 言葉で納得してもらうしかないが、そもそもその余地はあるのだろうか。

 彼は、今も一方的に私をどこかへ移動させ続けているというのに。


「まず、そもそも、よくわかりません。

 危険、って、一体なんですか?

 私自身も、自分の状況が全然わかってないですし。

 本当に、なにも覚えてないんです。

 そんな状況で、あなたを助けられることなんてないと思うんですけど。」


 嘘はない。全て、本当のことだ。


 ふう、とオブシディアンが息をつく。


「僕だって、全てを知って、理解できているわけじゃないんだけどね。

 ——あなたの危険が分かったのは、これが割れたからだ。

 もとはケーシャのだよ。どうだろう、思い出せないかな?」


 ややあって、布の中にそっと差し込まれたのは、おそらくピアスだった。

 細かな金のレースが、緑がかった乳白色の石をくるみ、そのまま長い金色のフリンジへと続くデザイン、だったのだろう。

 しかし無惨にも、レースにくるまれた大きな石は、不揃いの大きさに割れてしまっている。

 残念ながら、見覚えはない。なにも感じることはない。

 だが、きれいなピアスだった。


「見た?」


「はい。」


 返事をすると、ピアスはゆっくりと引き抜かれた。かすかに、甘い香りが残る。


「——覚えてないだろうけど、別れるとき、ケーシャが僕にくれたんだよ。

 これにはもともと身代わりのまじないがかけてあって、ケーシャに死の危険が迫ったとき、代わりに割れるようになっていた。」


「死の危険。」


 オウムのように繰り返してみるが、正直ぴんとこない。オブシディアンは私を待たずに話を続ける。


「その衝撃で、僕は目覚めたみたいなんだ。

 過程はあまり大事じゃないから端折(はしょ)るけど、僕は、急いでケーシャを探した。

 そしたら、ケーシャは水糸葉宮(すいしょうきゅう)の奥庭なんかにいたから、焦ったよ。

 たぶん覚えてないだろうけど、あそこの川は禁足地だ。

 普通はまず近づけないし、近づいたとしたらただではすまされない。」


 本当だろうか。あんなにあたたかくてきれいな場所が、そんなに危険な場所だとは思いもしなかった。

 確かに、生き物の気配が全くないのはなぜだろうと思ってはいたが。


「それで、これも詳細は端折(はしょ)るけど、僕はいくつかの条件を満たして、さっきのオアシスと時止まりの川を繋いだ。

 そしてケーシャをここに連れてきた、ってわけだ。」


 離れた場所どうしを繋ぐなど、私の常識の範囲外のことだが、それもオブシディアンの言うまじないの力なのだろうか。

 そして、オブシディアンの言うことが本当なら、あの白い手は、なぜ私をそんな場所へ連れていったのだろうか。


 ——わからない。


「やっぱり、なにも思い出せません。

 私が覚えているのは、今ここに来る前に、人間として生きていたときのことだけ。

 本当は、まだ死ぬはずではなかったみたいなんです。

 でも、どうしてかはわからないけれど死んでしまった後、大きな蜘蛛の巣で白い手と会って、それであの川へ連れていかれたんです。

 その時は、確かに私は石だったはずなんですけど。」


「——そうか。」


 まとまりのない私の話を聞いて、オブシディアンは、はっとしたような声を上げた。


「ケーシャをあそこへ連れて行ったのは、もしかして、罔象(みずは)さまか。

 罔象さまなら、確かにあそこへ自由に出入りできる。

 それに、人間として生きていた、ってことは。

 ケーシャは、水の世界で生きていたってことかな?」


 水の世界とは、何だろう。

 地球は水の惑星とも言われていたが、そのことだろうか。


「——わかりません。」


 答えると、静かな溜め息が聞こえた。


「——そうだったね。今のケーシャにわかるはずがないのに。

 ごめんね。」


 まるで、小さな子供のように頼りなく呟いて、オブシディアンは沈黙した。


 なんだか、急に後ろめたくなる。

 私のせい、かどうかすら分からないのだが、オブシディアンの傷ついた声は、妙に私を動揺させた。


 思い出せないのは、やはり私が原因なのだろうか。

 白い手——罔象(みずは)さま?——も、私は3度死んでいると言っていた。つまり、3回分の生の記憶が、本来私にはあるはずなのだろうか。

 直近の1回が人間としての生なのだろうが、残り2回のことは、あったことすら覚えていない。


「ケーシャは確かに、ちょっと普通の状態じゃないみたいだね。記憶がないことも、他にも、色々。

 原因には心あたりがなくもないけど、確証はないから今話すのはやめておく。

 ただ、普通は、この世界に帰ってきたら、魂に紐づいた記憶は全部戻るはずなんだ。

 ——たとえ、その魂がどんなにすり減っていても。」


 体が傾いた。慌てて首を伸ばして布の端を噛む。オブシディアンの手が、外からそっと支えてくれた。


「そろそろ降りるよ。続きは後だ。」


 どこに降りるのだろう。布にくるまれているので、ここがどこだかさっぱり分からない。


「じっとしててね。少しうるさいかもしれないけど、気をつけて。」


 じっとしていても何も、文字通り手も足も出ないのでそうするしかない。

 それに、何に気をつければいいというのだ。


 文句を言う前に、ふわりとした浮遊感に包まれた。


 ——もしかして、私、また落ちてる?


 多分、そうなのだろう。

 オブシディアンの手が、私の甲羅を掴む。


「いくよ。」


 次の瞬間、遮られていた視界が急にひらけたかと思うと、凄まじい風切り音に包まれた。


 眼下に、無数の巨岩に覆われた、乾いた大地が広がっている。

 そのうちの、特に大きな双つの岩の隙間へ、私たちは凄まじい勢いで落下していた。

 ただでさえ暗い夜の中、その隙間はさらに濃い闇に沈み、何があるか全く見えない。


「ギャアアアアアアアアア!」


 我慢できなかった。恥も外聞もなく、私は絶叫した。


「あははははは! ケーシャ! いい声!」


 後で覚えてろよと涙目で振り返ると、オブシディアンは、白い布をまるでムササビの飛膜のように広げ、風の勢いを殺していた。

 風の音だろうか。高い音が耳元で聞こえる。まるで何かの歌のようだ。

 星明かりの中、ほんのりと光る白い布越しに、上空を旋回する巨鳥の影が見える。

 白い布のふちに縫い取られた複雑な紋様が、淡く光っている。

 おそらくこれも、オブシディアンのまじないのひとつなのだろう。


 オブシディアンの顔が、濃い影に包まれた。

 両側から迫る断崖が、夜空を細長く切り取ってゆく。

 まるで、星の川のようだ。

 いつくるか分からない着地に備えて目をつむる直前、巨鳥がその川の上を横切っていった。




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