【一週間前3】結局一週間で黄金の腹筋は手に入らないと悟った後のお話
夏にバイトしていてよかった。
交通費だけでも結構かかるからな、ここへ来るのは。
学校に行かずにこんな遠方まで来ていると知ったら、親は間違いなくカンカンに怒るだろうけども。
しかも、ここまで来ても何かを得られると言う保証があるわけではない。
だが、雄二には逃げられてしまい、周りで灯里以外の強い人と言ったらアテがそんなにあるわけではない。
そして、状況に理解のある人と言ったら…。
「やぁ、遠くからわざわざ良く来てくれたね。」
ちょうど稽古を終えたところだったのか、タオルで光る汗を拭いながら歩いてくる。
「いやいや、こちらこそお時間取っていただいてありがとうございます。」
一応、相手は年上なので敬意を表す。
「堅苦しいのは抜きにしよう。それに、君たちには返しきれないほどの大きな恩があるからね。」
そう言いながら微笑を見せる整った顔は、以前と比べると憑き物が落ちたかのようにすっきりとしていた。
その女性、椿はちょっと待てと言うと家の中に入り、手にアイスを持って帰ってきた。
「まぁ、アイスでも食べながら聞こうじゃないか。今日は灯里ちゃんは?」
チョコミント味のアイスの先端をかじりながら聞いてくる椿の質問は、ちょっと言いづらい内容である。
「今日は一人です。実は色々あって…」
遮るようにアイスが一部溶けて手に流れてくる。
慌てて舐めるが次々に流れてくるので一旦一気に口に放り込む。
一気に冷える口の中、キーンと痛むおでこを押さえる。
椿は落ち着くまで待っていてくれたようだ。
「慌てなくて大丈夫だから。」
笑いながら言う椿は、やはり何か以前よりすっきりした雰囲気だ。
こちらの様子を見て、落ち着いたことを確認すると改めて椿が尋ねてきた。
「それで今日はどうした?灯里ちゃんにフラれでもしたか?」
冗談交じりに言ってくる椿に、からかわないでくださいよー、なんて返しながら本題に入る。
「凄く不躾な質問なのですが、短期間で一気に強くなる方法ってありませんか?」
これまでに鍛練を積み重ねて強くなった人に対してはバカにしているとも取られかねない質問。
だが、椿は穿った捉え方をせず、真剣な表情へと変わる。
「…何かあったのか?」
「実は…」
それから、これまでの顛末を語ると椿はただ静かに聞いてくれた。
ひとしきり話し終えると、椿はスッと立ち上がった。
「…颯士君の戦い方は確か、相手の動きを見切るって類いのものだったね。」
シュッ…
一瞬の閃光が走ったと思うと、ピタリと颯士の頬に木刀が触れる。
「私の剣は見切れるかな?」
額から一筋、冷や汗が流れた。
この人は素手の素人を撲殺するタイプかもしれない…。
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とは思っていたものの意外にもその辺りの常識はあったようだ。
スポーツチャンバラ用のスポンジ素材の剣。
軽さ故に空気抵抗の影響も大きく、木刀や真剣に比べると速度は劣るが、椿ほどの達人が振るうとそれなりの速度が出る。
実際、全く痛くないわけではなく、鞭のようにしなるソレで叩かれるとまぁまぁ痛い。
「まずはこれを完全に防ぎ切れるようになることからだ。」
そう言った椿の攻撃は容赦がない。
縦横無尽にあらゆる角度から打ち込まれる。
「(初めて会った時、灯里は躱していたのにな。)」
いざ自分が対峙してみると滅茶苦茶に速く感じる。
「はい、目を離さない!」
スパパパパン!
一瞬で両腕、両太ももを叩かれた後、最後におでこを叩かれた。
「ほらほら、もう100回は死んでるぞ!」
スパルタモードの椿の猛攻は全く対応することができなかった。
結局、一発たりとも防げないまま、
「少し休憩にしよう。」
と温情をかけられた。
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「要するに、変化に弱いんだよ」
タオルで汗をふきながら椿が言う。
「普段、受けなれている灯里ちゃんの攻撃は確かに速度はあるだろうが、直線的なんだ。」
灯里の攻撃…得意の右ハイキックを始めとして確かにある程度型にハマった動きではある。
「だから、『なんとなくこのくらいのタイミングで来るだろう』と言う予測を無意識にしているのだろう。それが悪いことではないのだが、予想外の動きをされると脳の理解が追い付かないのではないか?」
確かに、細山の一撃は速度はそこまでではなかった。
だが、蛇のようにしなる軌道は予想できずに食らってしまったところはある。
「つまり、今までは100%動きが見えているわけではなく経験による予測で避けている部分も大きかったわけだ。」
ニヤリ…
椿が見せたことのない悪い笑みを浮かべる。
「数日で身に付けるのは地獄だぞ。」
地獄と言う割にはとても楽しそうな椿に、思わず背筋が凍るような思いがした。
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