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⑺『亡き資料からの、船の水没』
⑺『亡き資料からの、船の水没』
㈠
いくつかの、バラバラに寸断され、まるで落ち葉の朽ちたかの様な状態の、資料ならば、どこかで見かけた人生だったろうと、思い出すにも、全くと言って良い程、脳内には資料はない。ただ、言語の通過という、脳裏での状況があるだけである。
㈡
一応はそれでも、遡ってはみたのだ。船の行く先のために、自己は自己現像を追いかけるが、やはり、手元には水没の予感の写真の様な幻覚が残っているだけである。或る日突然、といった様な、不可思議さえ、予知出来たら、まだ救われるのに、という今である。
㈢
船の水没は、しかし、俺の動態に掛かっているとすると、船に搭乗したことが、やはり運命だったのだという気にすらなる。俺は、俺を見捨てはしなかった。しかし、俺だけを守ったかの如く、船の水没は、今も免れている、奇跡に近い、現状だ。