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⑴『亡き資料からの、船の水没』
⑴『亡き資料からの、船の水没』
㈠
たった今の俺は、一頻り、ただの飴をくわえては、天井を厭う厭世家になっていたとして、実際のところ、本質的な資料など何も持っていない、無創造者ではある。しかし、脳裏を掠める、言語があるのだから、一応は、亡き資料から、資料を創り出していると言っていい。
㈡
言葉は、現実には、無頓着である。云わば、意思疎通だけのための言葉なら、有るだけ有ったほうが良い、くらいの、現世体勢ではある。なめらかな、言葉の動きよりも、ただの伝達作用しか持たないなら、いつかの俺は、絶望していただろう。
㈢
つまり、ここに、一つの船があるとして、その船の乗組員が俺一人だとして、どこへ行こうと、構わないのであるが、それでも生きる指標を探しては、大昔の、出来事などを思い出しては、絵を眺め、船の水没を避けるのである、と言えるのである。