第九話 神使降臨
悠希は二時間待機した。
神符の再使用可能時間を経過させ、全てのカードを使用可能な状態にしたのである。
今回、最初の下界探索である。
戦闘は一回に済ませたいが、何が起こるか分からない。
念には念を入れて、今ある手札を全て使えるようにしておきたかった。
下界――人々が住まう大和――へ降りる手段は一つだけである。
普通に家の玄関から出ればよいのだった。
下界から帰る方法は、時間経過だった。
悠希が今いる場所を異界とされている。
悠希は地球から転移してきた。
そして、異界にて神使となった。
悠希の魂と肉体は、この異界に縛られている。
悠希が下界に降りて二時間が経過すると、魂と肉体が異界に引っ張られて帰ることになるのだった。
悠希は勝手に束縛するなと苛立ちを覚えたが、よくよく考えると今の状況は悪くない。
山札を使い切ってしまうとその後二時間は神符を使えない。
その状態で留まることも嫌だったし、邪神が蔓延る下界ではおちおち眠ることもできない。
それゆえに、悪くない。
もっとも、良くもない。
何かに縛られることは、嫌悪感が隠せない。
悠希は雑念を捨てて、玄関の前に立つ。
屋外には霧が立ち込めているが、引き戸を引いた先は真っ白だった。
濃霧と同様に、何も見渡せないという点では同じだが、見える先が純白の世界だった。
「……行くか」
悠希はリュックサックを背負い、覚悟を決めて先へ進む。
リュックサックの中には、戦闘で役立つものなどもちろんないのだが、空になったペットボトルに井戸の水を入れておいた。
どの道、悠希にはこの場に留まったところで、未来はない。
彼はどう足掻こうと、先へ進むしかない。
三歩ほど進むと悠希は動けなくなった。
しかし、自分の身体がどこかへ運ばれていることは感覚的に捉えた。
移動している感覚が終わると、不意に視界が開けた。
人造物が見つけられない。
見渡す限り大平原が広がっていた。
「おぉう!?」
悠希は大自然のど真ん中にいた。
ただし、彼の身体は宙に浮いていた。地面から三メートルくらいの高さだった。
手足をばたつかせても、状況は変わらない。
不可思議な力が悠希の身体を空中に固定していた。
(え、どうすりゃいいの?動けないんだけど)
悠希が困惑していると、徐々に高度が下がっていった。
(生き物がいないことを確認する時間を与えた?いや、邪神がいた場合に巫術を発動する猶予を与えたのか?ってか、高所恐怖症じゃなくてよかったわ)
悠希は念のために巫術を発動する。
「我が巫術、今ここに発現せよ」
神書から三十二枚の神符が飛び出す。
新たに加えた【神降ろし】矢乃波波木神も初期山札に加えている。
「我が道を示し給え。【神降ろし】道俣神」
白玉の輝きが薄れて無色透明になる。
まるで羽衣のような、白色のゆったりとした服を着た女神が現れた。
女神である道俣神は、悠希と視線を交える。
ただそれだけで、彼女から力を受け取ったことを悠希は直感で理解した。
(……これが、千里眼)
トレーディングカードゲームである神世大戦にはまり込んでから、悠希の視力は悪くなる一方だったが、千里眼を手に入れると一気に回復してしまった。
視線を先へ先へと意識を込めて向けると、どこまでも見通せると思えるほどはるか先まで見通せた。
悠希の前方には川が流れている。かなり大きな川だった。
彼の後方には山がある。
千里眼がなければどちらも知り得ぬ情報だった。
千里眼を試した頃には高度はだいぶ下がった。
悠希の足が地面に着くと、彼を固定していた不可思議な力が消えた。
千里眼に注目していた悠希は思わず前のめりによろけるが、何とか堪える。
四方を千里眼で見渡したが、邪神は発見できなかった。
しかし、いつ襲われるか分かったものではない。
悠希はやるべきことをサッサとやることにした。
「我が道を走れ。【神具】神気自動車」
悠希は移動手段の検証に入った。
六色の勾玉が一つずつ輝きを失い、彼の目の前に自動車が現れた。
目の前の自動車は五人乗りのコンパクトタイプだった。
ボディーカラーはダークブルーで、新車同然の光沢を放っている。
道の神のみ装備可能と説明文があったのだが、道の神がいつの間にか助手席に座っており、悠希へ手を振っている。
「あ、そういう感じですか。ま、運転席じゃなくてよかった」
悠希も早速運転席へ乗り込む。
車の鍵はなく、彼が近づくと運転席のドアが自動で開いた。
クラッチペダルはなかった。
シフトレバーは縦横に動かすマニュアルタイプではなく、オートマチックタイプだった。
(マニュアル車じゃなくてよかった。邪神に出くわして急発進する必要があるのに、エンスト起こしましたじゃシャレにならんし)
悠希はマニュアル車で免許を取得していたが、半年前に通っていた教習所では何度か車をエンストさせてしまったほろ苦い経験があった。
冷え切った関係の両親には頼りたくなかったため、悠希はバイトで生活費を稼いでいた。
高校時代からバイトして貯金を貯めていたため、何とか教習所も通えたし、十九歳ながら免許証も取得していた。
(ともあれ、教習所には行っててよかったわ、マジで)
眼前の計器類はこの世界では異質だろうが、悠希には見覚えがある。
ハンドブレーキはなく、アクセルペダル、ブレーキペダルの左にフットブレーキがあった。
「教習車より新しいじゃん」
悠希は呟いてしまったが、新しいのであればそれに越したことはないと思い直す。
電源ボタンを押すと、エンジンがかかる。
この音に気づいた邪神が近づいてこないかと冷や冷やしながら、彼はシフトレバーを「D」に移す。
物音に気付けるように、窓を少し開けておく。
ミラー越しではあるが、周囲への警戒は怠らない。
特に異常は感じられなかった。
いつでも発進できる準備ができた。
悠希はふと思い立って運転席と助手席の間を調べ始める。
目的のものを見つけた後に、悠希はポケットからスマートフォンを、後部座席に置いていたリュックサックからその充電器をそれぞれ取り出す。
USBケーブルを発見したのだ。
スマートフォンと接続してみると、画面のバッテリーが動いていることを確認した。
「スマホの充電ができる……!」
彼は少し感動した。
木造家屋にコンセントなどない。役立たずになりそうなスマートフォンの活路を見出した。
悠希は満足しながら、発進するためにカーナビを見つめた。
異世界でカーナビが見れるわけがないと思うところなのだが、思わず見てしまったというだけだった。
「これは……マジか」
彼は信じがたいものを目にしてしまった。
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