第二十七話 悠希の失態
最初から悠希に近づいていた黒之妖鬼が動く。
他の七柱の黒之妖鬼は悠希を標的にしているものの、夏月の阻害もあってまだ距離があった。
(大変助かります。そのまま全力で足止めお願いします)
最も悠希に近い黒之妖鬼は、悠希の予想通りの行動を起こした。
彼の女神が艶やかに微笑み、その瞳が異様な輝きを放つ。
黒之鬼が戦闘態勢に入ろうとしたところで、微動だにしなくなった。
(黒之鬼から動けないって念話が聞こえてくる。これが攻撃不可か)
悠希は黒之鬼が魅了にかかる直前に、【神具】銅剣を装備した緑之小鬼と黒之小鬼に念話で指示を出していた。
二柱の小鬼が左右から魅了を放った黒之妖鬼へ殺到する。
対する黒之妖鬼は両目を輝かせて黒之鬼を見つめながらも、緑之小鬼へ一顧だにせず攻撃を放つ。
(魅了を使ってる最中でも攻撃可能か。厄介だが、どちらかにしか攻撃できないみたいだな)
緑之小鬼は敗退して幽世へ堕ちる。
黒之妖鬼はひと時だけ生き残ったが、黒之小鬼の攻撃でこちらも幽世へ堕ちた。
黒之小鬼は攻撃を受けていないため生存している。
『邪神黒之妖鬼を討伐しました。固有能力【弱肉強食】が発動しました。神符を一枚獲得しました』
予想通りの声が響くが、その前に悠希は奥津日子神と夜刀神それぞれに【神降ろし】を発動しておいた。
その後に神符を確認してみると、【神降ろし】黒之小鬼だった。
『すでに所持しているため、神貨に変換されます』
悠希の手の中の神符が瞬く間に消えた。
「は?」
彼は間の抜けた声を上げてしまった。
その間に、黒之妖鬼がリポップする。
我に返った悠希は、心の中で絶叫する。
(やってられっかぁああああああああああああ!!)
神書を開けば神貨の枚数が増えているのだろうが、今の悠希にそんな確認をする余裕はまるでない。
すでに、逃げの一手に彼の心が傾いていた。
(夏月、知り合って早々恐縮ですが、お暇します。お達者で)
やれるだけのことはやる。
もしかすると、あと何手かで黒之妖鬼を神符化できるかもしれない。
だが、その可能性に賭けるのは希望的観測といえた。
そこに勝機を見出すほど、彼は楽観的にはなれなかった。
何度負けてもいい。最終的に勝てばいい。
それが悠希の戦い方だった。
悠希の心構えが変わっている間にも、戦況は常に変化する。
リポップした鬼神とは別であり、夏月に邪魔されなかった黒之妖鬼が夜刀神へ狙いを定める。
「其は万物のみならず、呪詛さえも映し返す。【神具】水鏡!」
黒之妖鬼の瞳が輝く。僅差で悠希の読みが勝った。
女神の魅了を水鏡が弾き返し、放った黒之妖鬼自身にかけられた。
(よし!これで一柱は当分動けない)
悠希はリポップした黒之妖鬼に対して、呪詛を発動する。
黒之妖鬼は黒之小鬼に攻撃を仕掛けていた。
「焼き尽くせ!【呪詛】鬼火!」
【呪詛】鬼火の効果は、自陣に陽属性がいる場合、敵一柱の防御力を「二」減少させる。
黒之小鬼を返り討ちにした黒之妖鬼だったが、防御力が《二》に減っている。
そこに鬼火を食らい、業火に包まれる。
次の瞬間、黒之小鬼はもとより、黒之妖鬼の姿は現世から消えた。鬼神の二柱は幽世へ堕ちたのだ。
『邪神黒之妖鬼を討伐しました。固有能力【弱肉強食】が発動しました。神符を一枚獲得しました』
得た神符は、【加護】大禍時だった。
黒之妖鬼ではなかったため、焼き尽くされた黒之妖鬼が何事もなかったかのように復活する。
まだ、打てる手は残っている。
しかし、悠希の攻勢はここまでだった。
埒が明かないと踏んだのか、【神具】水鏡の反射を受けた鬼神を除いた、七柱の黒之妖鬼の瞳が輝く。
十四の瞳による妖しい煌めきの内の二つに、悠希の視線が囚われてしまった。不覚にも一斉に輝き出したため、その一柱の眼差しと目を合わせてしまったのだ。
【加護】陽炎稲妻水の月に守られているため、問題ないだろうと高を括っていたのが失敗だった。
実戦経験に乏しいため仕方のないことであったが、その代償は大きかった。
(あ、ヤバい。これ――)
悠希の姿が見えず攻撃は通らなくとも、呪詛は通ってしまう。
悠希は黒之妖鬼の魅了にかかってしまった。
神世大戦というゲームでは、呪詛は神に対して使う。当然ながら、プレイヤーである巫にはできない仕様となっている。
(いや……違う)
悠希は思い出す。
プレイヤーは二十の体力が設定されている。
呪詛の中でも、直接ダメージを与える効果の神符はプレイヤーにも使えたことを悠希は失念していた。
神憑りした戦巫女は、自ら手駒の一つになったという認識でしかなかった。
人間でありながら、神に至るという事実は凄いことではあるが、自身が敢えて盤上の駒になる――盤上の駒が一つ増える――程度の認識しか持てなかった。
神憑りではなく神降ろしする自分には、無関係なことだと無意識に思い込んでいた。
その先入観が悠希の枷となり、仇となった。
攻撃できないではなく、黒之妖鬼から目が離せない。黒之妖鬼が心の底から美しいと思ってしまう。
悠希は文字通り、魅了されてしまった。
『さあ、私の可愛い坊や。あの子猫ちゃんを捕まえなさいな』
悠希の頭の中に、黒之妖鬼の猫撫で声が響く。
彼は抗えなかった。
(嘘……だろ……攻撃……不可……なんて……生易しい……もん……じゃねぇ……俺の……身体が……支配……されて……る)
黒之鬼は魅了されても、不屈の精神で不動を貫いたことになる。
しかし、悠希は神使という称号を持っていても、術士型の巫だとしても、彼自身は神に対する耐性などない。
不動どころか、言いなりになってしまった。
彼の身体は操り人形となり、大口真神の背中から倒れ落ちる。
立ち上がると、フラフラと夏月の下へ足を運ぶ。
悠希の意識はかろうじて残っているものの、身体の自由は効かなくなった。
彼は抵抗できないまま、魅了した黒之妖鬼に従う。
一柱の黒之妖鬼を倒して息をついていた夏月に、後ろから襲いかかる。
彼女が纏う斎火を意に介さずに抱きついた。
不思議なことに全く熱さを感じなかった。
「なっ!?なななっ!?」
ハスキーボイスだった夏月の甲高い声が上げる。
悠希は夏月を後ろから押さえつけようとしていた。
左手で夏月の腰を押さえ、右手で彼女の胸を押さえようとした。
しかし、左手はがっちり掴んだものの、右手は予想外に大きく柔らかい弾力で掴みそこなってしまった。
掴もうとして掴めない。何度もそれを繰り返した。
つまり、悠希は夏月の胸を揉みしだいていた。
夏月が悲鳴を上げるのは道理だった。
そして、彼女が激怒するのも自明だった。
「こんのっ、痴れ者がぁああああああああっ!!」
夏月は真紅の刀から手を離すと同時に、悠希の右手を素早く掴んで一本背負いした。
投げ終えた次の瞬間には、彼女の右手には再び刀が握られていた。一瞬の早業だった。
悠希の身体が天を舞う。
落ちる先には、夏月が戦っていた黒之妖鬼が両手の爪を鋭利に伸ばして待ち構えている。
(……死……ぬ?)
漠然と捉えられる事実に、悠希はぼんやりと受け入れる。
魅了状態の彼に、死への恐怖は感じられなかった。
しかし、彼は落下することなく、宙に固定される。
「あ、時間切れ……」
悠希の巫術が全て強制解除され、全ての黒之妖鬼が彼の姿をはっきりと視認する。
彼の身体が徐々に上空に浮かび始める。
夏月はその現象に動揺したが、すぐさま烈火の如く問い詰める。
「何だ!?その巫術は!?貴様、術士型の巫だろう!?なぜ、自分自身に巫術を使える!?いや、違う!その他諸々の前に、貴様!まず私に言うことがあるんじゃないのか!?」
本来であれば、謝罪を述べることが筋である。
しかし、悠希にかけられた魅了が解けていない。
彼は夢見心地のまま本心を伝えてしまった。
「結構なものをお持ちのようで」
ブチっと何かが切れる音が聞こえた気がした。
「こ、殺す!殺してやる!!貴様、戻ってこい!」
美人が怒ると鬼神より恐い。
悠希は夏月の背後に般若を幻視した。
彼女のあまりの形相に、巫術を発動できない状況に関わらず、黒之妖鬼にかけられた魅了が完全に解けてしまった。
武士の殺意は、神の魅了を軽く凌駕する。
悠希は一つ賢くなった。そして、顔には出さないが、心の底からビビった。
(ヤバい!恐い!関わりたくない!……でも、神託があるし、もう一度会いに来なきゃならないんだろうなぁ)
悠希は長い髪を振り乱して叫ぶ夏月を見下ろす。
「絶っ対に許さんからな!たとえ地の果てでも、是が非でも貴様にたどり着いてぶった切ってくれる!!」
怒り狂う夏月に、悠希は何と返すものか迷う。
全面的に自分が悪い。散々かき乱しておいて、自分だけとんずらする。
非の打ち所しかない現状に、暗澹たる面持ちになりそうだった。
(あーあー、貴殿が即貴様に格下げされちまった。そりゃ、そうなるだけのことしちゃったけども。前途多難だな)
悠希は無難な答えを返す。無難ではなく、ただの先送りの答えだったが。
「あー、明日、また来ます」
夏月に物凄い顔つきで睨まれて、悠希は即座に顔を背ける。
(ホントは二時間後にまた来れるんだが、夏月には冷却期間が必要だ。じゃないと、マジで殺される……)
悠希は夏月の心が平静を取り戻すように、心から神へお祈りしながら異界へ帰っていった。
夏月の怒声が聞こえてきたが、全力で聞こえない振りをしながら。




