第二十五話 三連戦
悠希を中心として半径五メートルくらいの半透明の半円が形成される。
その半円の中では、至る所で陽炎が揺らめき、稲妻が奔り、湖面に映る満月が輝いては歪み、消えては現れる。
(現実じゃ、こういう現象になるのか。こっちに突進してきてた鬼神たちが警戒して足を止めてやがる。しかも、これを発動してから、視線が俺に定まってない。つまり、奴らには俺が見えていない!)
ぶっつけ本番ながらも、悠希は検証を続ける。
「ば、馬鹿な……四属性持ちだと!?いや、黒之小鬼を使役しているのだから五属性ということになる。そんなことが……これを、信じろと言うのですか?姫様……」
戦巫女が驚愕の声を漏らしている。
(とても、いい気分だ)
悠希は顔には出さないが、愉悦に浸る。
鬼神たちに無双していた戦巫女が驚嘆する男がいる。それが、自分自身。
悠希が自画自賛するのも仕方のないことであった。
(――って、ちょっと待て。姫様って何だ!?)
至福の気分に陥っていたため、危うく聞き逃すところだったが、聞き捨てならない単語だった。
(そもそも、この女は何で独りで戦っている?っていうか、何かを、あるいは誰かを守っているのか?守るべき対象があの社の中にいるのか?)
神託に書かれていた戦巫女を見つける必要があったが、そもそもその巫女がなぜ孤軍奮闘しているのか悠希には全く分からなかった。
「この戦いを乗り切れば、分かるかもしれないな」
悠希は独り言を口にした。
悠希が考えをまとめているうちに、己に害がないと判断して再度突き進んできた黒之鬼が先着する。
黒之鬼の攻撃力、防御力はともに《二》のはずである。
大口真神については万が一の保険に、逃走手段として残しておきたい。
悠希は手早く緑之小鬼の神降ろしを発動した。
これで最悪の場合でも、緑之小鬼と黒之小鬼で黒之鬼とは相討ちに持っていける。
巨体を揺らして全速力で駆けつけてきた黒之鬼とは対照的に、黒之妖鬼は優雅に歩を進めている。
悠希までたどり着くにはまだ時間がかかる。
悠希の姿が視認できないのか苛立たし気に咆哮する。
(恐っ……あの女、よくもまぁ平然とこいつと戦れるよな)
悠希は若干ビビりながらも、気圧されないように気を引き締める。
夜刀神と戦った経験だけでは恐慌していたかもしれない。
八岐大蛇をその目に焼き付けたからこそ、何とか平常心を保てていた。
己が魂へ畏怖を刻み込んだ八岐大蛇と比べれば、黒之鬼はただ狂暴なだけの悪鬼でしかない。
怖いと感じても、身を竦ませるほどではなかった。
黒之鬼が何かを見定めたかのように、拳を振り上げる。
そこには誰もいない。
悠希は当然ながら、彼が跨る大口真神も黒之小鬼も緑之小鬼も、黒之鬼が狙いを定めている場所にはいない。
(俺の幻でも見えたか!?)
悠希は既に攻撃態勢に入っている黒之鬼に対して、二柱の小鬼に心中で指示を送る。
拳を振り抜いた黒之鬼は盛大に態勢を崩す。
つんのめる黒之鬼の左右から、黒之小鬼と緑之小鬼が攻撃を仕掛ける。
何の障害もなく、二柱の小鬼の攻撃は黒之鬼に届いた。
一時的な死の世界――幽世――へ黒之鬼は堕ちる。
『邪神黒之鬼を討伐しました。固有能力【弱肉強食】が発動しました。神符を一枚獲得しました』
悠希は急いで神符の内容を即座に確認する。
取得した神符は、【勾玉】黒玉だった。
神符を確認した次の瞬間、黒之鬼がリポップした。
(やっぱりか!)
悠希としては、予想していただけに動揺はなかった。
「……何が起こっている?」
戦巫女は自身も戦いながらも、悠希の戦いぶりもしっかり観戦していたようだった。
黒之鬼が幽世へ堕ちた際、他の黒之鬼がまとめて一時的に硬直したためである。
(同一神の個体名違いってことはなさそうだな。完全に同一。どういう理屈かさっぱり分からんが、敵には神を増殖させる方法があるってことか)
リポップした黒之鬼は迷わず、緑之小鬼に向き直る。
一度攻撃されたら視認されてしまうのかと焦った悠希は、己が手札で最善を模索する。
「【神具】銅剣!【加護】鉄壁!」
ギリギリで間に合った。
緑之小鬼の右手に片手剣が装備され、その全身を薄い緑色のベールに覆われる。
緑之小鬼に銅剣を装備させて、攻撃力が《二》に上昇した。そして、鉄壁をかけられたことにより、緑之小鬼に対する攻撃は二回無力化できる。
『邪神黒之鬼を討伐しました。固有能力【弱肉強食】が発動しました。神符を一枚獲得しました』
お互いを潰し合ったが、緑之小鬼は生存する。
悠希はまたしても神符の内容を確認した。
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【神具】黒金棒
属性《荒魂》
黒玉《一》消費。翠玉《一》消費。
攻撃力《二》。防御力《零》。
《荒魂》の鬼神のみ装備可能。
この神具による攻撃を受けた《和魂》の神の攻撃力を《一》下げる。
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(いるかいらないかで言えば、いるけどもっ!)
属性相克の効果もある神具を手に入れることができた悠希は喜ぶどころではなかった。黒之鬼以外の神符を取得するということは、戦いが終わらないことに直結するからである。
黒之鬼が再びリポップした。
「さっきから何をしている?貴様、ふざけているのか?」
「大真面目っ!」
戦巫女から疑いの目を向けられていることは無論承知しているが、悠希は言葉通り大真面目かつ余裕が一切なかった。
黒之鬼は自身が蘇ったことに関してまるで頓着せずに、緑之小鬼へ拳を振り上げる。
黒之鬼と緑之小鬼が三度激突した。
黒之鬼は幽世へ堕ち、緑之小鬼を守っていたベールが剝がされる。
役目を終えた【加護】鉄壁もまた幽世へ移行した。
幽世へ移ってしまった神符は基本的にその戦闘ではもう使用できない。
幽世から手札へ戻す効果のある神符が存在するが、悠希はまだその類の神符を所持していない。
『邪神黒之鬼を討伐しました。固有能力【弱肉強食】が発動しました。神符を一枚獲得しました』
(そろそろ頼むぞ!まだ敵はいるんだから、使える手札を残しておきたいんだ!)
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【神降ろし】黒之鬼
神格《鬼神》
属性《荒魂》
黒玉《二》消費。
攻撃力《二》。防御力《二》。
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悠希の願いは届いたのだった。
戦巫女の戦況はまだ黒之鬼を三柱残していたが、それらは悠希が神符を確認している間に身体が徐々に透明になり、やがて消えていった。
「何っ!?」
黒之小鬼もこうやって消えたのだろう。
戦巫女が大禍津日神と黒之妖鬼を警戒しながらも、悠希へ視線で問いかける。
大禍津日神も狼狽えながらも、悠希へ険しい眼差しを送っていた。もっとも、こちらは悠希に視線を向けているようで、的外れな場所を睨んでいたが。
(戦巫女には俺が見えてる?後で確認する必要があるな)
悠希はひとまず手に入れたばかりの黒之鬼に神降ろしを発動した。
筋骨隆々の黒之鬼が現世に顕現した。
先ほどまでの荒ぶる威勢が嘘のように、両腕を組んで静かに近寄る黒之妖鬼を見据えている。
「ふざけてないって、分かってくれたか?」
「馬鹿な……そんな容易く神符を手に入れることなどできるはずが――」
ないと続けようとしたが、目の前の鬼神を認めなければならないと思い直した戦巫女は否定の言葉を飲み込む。
「私は恍月の守護を任じられている巫、名は夏月と申す。貴殿の名をお聞かせ願いたい」
(貴様から貴殿に格上げした!疑いが少しは晴れたかな?)
「俺の名は悠希。神代の悠希。以後、よろしく」
悠希は戦巫女の名を知り、また自ら名乗りを上げた。
この世界に苗字がなさそうだが、悠希だけでは味気ない。地名でも二つ名でもどちらに捉えられても問題ないだろうと判断したのだった。




