第十四話 八雷神
悠希は神気自動車を運転していた。
悠希は下界へ降りる際、行ったことのある場所ならどこにでも降りられると植え付けられた知識から学んでいる。
悠希は荒狂河に唯一存在する神社に一番近い場所へ降臨し、即座に巫術を発動した。
道俣神を神降ろしして、神気自動車を装備させ、すぐに運転を開始したわけである。
車が発進してからは、目的地へ着くのに十分もかからなかった。
悠希は運転席から出ずに、慎重に目的地の状況を確認する。
予想できたことではあったが、問題の神社周辺はすでに騒然としていた。
その原因は一目瞭然だった。
一柱の邪神が、暴虐の限りを尽くしていた。
巨漢の男が邪神と対峙していた。
筋肉質な体の持ち主で両腕は丸太のように太かった。
対する邪神を視認した悠希は、顔を引きつらせた。
「八雷神……また、厄介な神が相手だな」
悠希は心中を吐露する。
その姿は一見すると、一柱の神に見えるのだが、八雷神はその名のとおり八柱の神が一つの肉体に宿っている特殊な雷神だった。
頭部に大雷神、胸部に火雷神、腹部に黒雷神、陰部に拆雷神、左腕の肩に若雷神、右腕の肩に土雷神、左足の膝に鳴雷神、右足の膝に伏雷神にそれぞれの顔が存在する。
八雷神は人型ではあるが、人間のような風貌ではない。
その証拠に、それぞれの顔は悪鬼のような形相であり、またそれぞれの顔にはまさに鬼のごとき黄色の角が生えている。
地球の子どもが見れば、泣き叫ぶだろう凶悪な外見だった。
八雷神は神世大戦では対処法を間違えば、ターンが経過する度に強化されていく能力を持つ。
ターン制の概念がなく、時間経過するだけで強化されてしまう八雷神は誰の手にも負えない。それは自明の理だった。
悠希は名前も知らないが、巨漢の男が生き残っているという事実だけで称賛に値する。
はっきり言ってしまえば、今の悠希には絶対に勝てない敵だった。
(荒狂河の巫は、水属性が多いってことか。そりゃ、属性の相性で苦戦は必須ってわけか)
水属性は天属性に弱い。
悠希は現状を鑑みて、明らかに消極的になる。
救済せよと神託が下ったところで、彼は自滅する気はない。
名も知らぬ人間が何人死んだところで、それに付き合う義理もない。
男の背後に恐れ戦いた負傷者が何人も見て取れる。
だからこそ、その光景は悠希に少しの勇気も与えず、冷静に冷徹に撤退する方針へ心を傾ける。
(無理だ。絶対に無理だ。悪いけど、共倒れする気はない。誰だか知らないが、さよなら――)
『……誰か、誰か、助けて……私は死んでも、このまま未来永劫囚われ続けてもいい。ただ……誰か、娘たちを助けて……』
悠希が決断しかけた時、悲嘆に満ちた女性の声が響いた。
深い絶望に包まれながらも、それでも力を振り絞って願い続けているような声音だった。
「……」
悠希は沈黙した。
朝起きる際の目覚まし代わりとなっている、脳内に直接響く無機質な声とは明らかに異なっていた。
無念さを滲ませる紛れもなく人間の声だった。
その声はなぜか神書から聞こえてきた。
「ホラーは好きじゃないんだけどな」
悠希は訳も分からず、若干身震いしながら呟いた。
聞こえてきた声はとりあえず放置することにした。
巨漢の男が苦悶に顔を歪ませていた。
戦況が悪くなってきたようだ。
しかし、悠希には疑問が湧いて出た。
(どういうことだ?あの男はさっきから巫術を発動せずに、自力だけで戦ってないか?)
巫でなければ、邪神とは戦えない。
神世大戦というゲームの設定ではあったが、悠希は昨日の経験からそれが事実であると悟っている。
彼の拳や蹴りでは、邪神の防御力《一》を絶対に破れない。
そうであるはずなのに、巨漢の男は体当たりなどして着実にダメージを与えているように見受けられる。
「いやいやいやいや……」
悠希はその光景を容易に受け入れられない。
(……冗談だろ?ここは、カードゲームの世界じゃないのか!?アクション、しかもデスゲームになってるじゃんかよッ!)
彼の頭の中は大混乱だった。
悠希が混乱している間にも、戦況は変化していく。
「重兵衛!」
後方に待機している若い少女の声に、巨漢の男が険しい顔色のまま頷きを返す。
「――まだ、大丈夫だ。【神憑り】天手力男神!」
巨漢の男――重兵衛という名らしい――が叫ぶと巫術が確かに発動した。
神々しい半裸の男性が現れたからと思うと、重兵衛の中へ入るように消えた。
悠希は未知の現象に戸惑ってしまう。
(何だ?神降ろしじゃない。神憑り?勾玉じゃなく、自分自身に神を宿したってのか?――まさか!あいつに神の攻撃力と防御力が付与されたっ。だから、邪神と渡り合えるっていうのか!?)
悠希は思い至った推測に驚愕する。
トレーディングカードゲームである神世大戦では当然ない巫術だった。
しかし、悠希の知らない戦う術があったとしても、強化された邪神には及ばなかった。
天手力男神は地属性の神であり、属性では相性がよいはずなのだが、八雷神は強化され過ぎていた。
何度か攻防を繰り返した後、重兵衛という男は地面に膝をつく。
(潮時か)
悠希が決断しようとした時、荒狂河の陣営から援軍が二人加わった。
しかし、荒狂河の面々は誰も喜ばない。
誰もが悲痛な顔をして、声を押し殺していた。
援軍は双子の少年少女だった。
十歳にも満たないであろう子どもたちが恐怖に震えながらも、前に出る。
「待て!やめるんだ!飛鳥!遊馬!」
巨漢の男が悲鳴のような絶叫を上げる。
双子は構わず、泣きそうな顔で男に近づいていく。
一連の流れを見た悠希の思考は停止した。その顔から一切の表情が消えた。
彼は何も考えず、アクセルペダルを限界まで押し込んだ。
タイヤの摩擦音がうるさく感じられる。
このままでは八雷神に気付かれてしまう。
(知ったことじゃない)
直前までの考えとは真逆なことをしているというのに、悠希は落ち着いていた。
小学生の時に仲が良かった双子を思い出してしまった。
大学生になってからボッチだった悠希だったが、それでも時々その双子は連絡をくれた。
思い出してしまった以上、見捨てる選択肢が彼の中からごく自然と失われた。
もはや、悩むことはない。
やることはただ一つだった。
悠希は自身に与えられたもう一つの固有能力をぶっつけ本番で試すことにした。
ダメならダメで、さっさと撤退すればよいと彼は思っている。
巨漢の男と邪神それぞれの中間地点へたどり着く。
神気自動車をすぐさま解除して、地面へ降り立つ。
どちらも突然の乱入者に戸惑っていた。
荒狂河の面々は困惑していたが、八雷神は獲物が追加されたくらいに思っているのだろう。すぐに愉悦の表情を浮かべた。
(その余裕、いつまで持つかな?)
悠希は思い切りよく声を上げた。
「強制回帰!」
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