三十九話 皇妃④
「……あれ?」
気が付くと、シリカは横になっていた。
しかし、目が覚めても自分がはまだ現実には戻っていないのを理解する。いや、理解できてしまった、というべきだろう。
何故なら、今、彼女は皇妃に膝枕された状態で横になっているのだから。
「……ええと、これは一体どういう状況なのでしょうか」
『気を失っていたのよ。全く、こんな場所で気を失うって、貴方、どうなっているのかしら』
やれやれと言わんばかりの皇妃。
そして、シリカは思い出す。自分が皇妃が全力で放った炎と感情の嵐をまともに受けながら、ずっと耐えていたこと。しかし、それも永遠とは続かず、いつの間にか意識を失ったこと。
その結果、皇妃に膝枕をしてもらうはめになった、ということなのだろう。
というか、だ。皇妃の言う通り、ここは精神世界。普通なら、意識を失って、ここにやってくるというものだ。そんな世界で、気を失うとは、珍しいどころの話ではない。
いや、そもそも精神世界にやってくること自体が、珍しいのだが。
『起きたのなら、どいてくれるかしら』
「は、はいっ! すみません!!」
言われて速攻で飛び起きる。流石のシリカも、皇妃の膝の上で寝ることがどれだけ畏れ多いことなのかは分かっている。
やってしまった感と羞恥心が同時にシリカを襲う中、皇妃が口を開く。
『何というか、面白いわね、貴方』
「は、はぁ。何故かよく言われます」
『そして、とんでもなく変わってる。普通、私のような人間、放っておくか、倒すかのどちらかでしょうに。他人を、それも子供を呪い殺そうとした女なんて、救う価値がないっていうのにね』
皇妃の笑みは、自嘲のそれであった。
「……何の事情も知らない人なら、そうすると思います。多分、私も何も知らなかったら、ただ皇妃様の怨呪を消そうとしてたと思います」
通常なら、それが当然の判断だ。
魔獣が村を襲っていれば、誰だってそれを退治しようとするはずだ。その魔獣がお腹をすかせた子供のために荒らしていた、村の人間に狩られたことへとの復讐だとか、そんなことを気にする人間はまずいないはず。加えて言うのなら、事情を知ろうとする者も少ないはずだ。
それを悪だ、と言ってしまえば、この世にいる人間全員を悪と言ってしまうようなものだ。
けれど。
「でも……私は見てしまいました。皇妃様がどうしてこんなことをしでかしたのか、その理由を、想いを、見てしまったから、私は一方的に皇妃様を消すべきだとは思えなくなったんです」
それを人は同情というのだろう。
相手が悪人であっても、事情を知れば一方的に責められなくなる。それは、よくあることであり、今回のシリカの場合もそれに類するものだ。
そして、その選択は、何よりも甘い。
そのこと自体はシリカも流石に自覚はある。どんな言い訳を並べたところで、皇妃がやったことは歴とした犯罪行為であり、到底許されるものではない。普通の裁判にかけられれば、極刑ものだろう。
分かっている。分かっているのだ、そんなこと。
けれど、ならば皇妃の気持ちはどうでもいいのか? 彼女の絶望は、苦しみは、悲しみは、知られなくてもいいもので、そもそも知る必要のないもの。そんなものに価値はないと?
そんなことはないとシリカは思う……いいや、思いたい。
『全く。本当に強情ね……そして、そんな頑固な貴方だからこそ、怨呪を払いのけることができたんでしょうね』
さらっと。
皇妃は今、重要なことを口走った。
「え……それは、どういう……」
『言葉通りの意味よ。十年溜まりにたまった私の怨念を耐えきるだなんて、全くどんな精神をしているのかしら。魔術に疎い私にだって、あれだけの炎を食らえば精神が持たないくらいのことは分かるわ。だっていうのに、貴方は全くあきらめなかった。おかげで、こっちが培ってきた怨念やら何やらを全部使い果たしてしまった。まさか、私の全部を受け止めてくれるなんて、思ってもみなかったわ。……本当に、馬鹿な子ね』
本当に呆れると言わんばかりの口調。
けれど、そこにあるのは嘲笑やら罵倒の類ではなかった。
「怨呪が無くなったって……それじゃあ!!」
『ええ。あの女の子供も、怨呪から解放されるわ。安心しなさい』
その言葉に安堵するシリカ。
これで何とかパリスの命を救うことはできた。
一件落着……などと思っていたその時。
ふと、皇妃が足元からゆっくりと消滅していているのに気が付いた。
「っ!? 皇妃様、これは……」
『別に驚くようなことじゃないわ。言ったでしょう? 私の怨念を全部使い果たしたって。今の私は怨念の塊のようなもの。その元が無くなったんだから、私が消えるのは当然よ』
それはあまりにも淡々としていた。消滅、すなわち死が迫ってきているというのに、皇妃の口調と態度はどこまでも落ち着いている。
一方のシリカはというと、突然の出来事に動揺を隠せない。
確かに、皇妃の言う通り、怨呪が無くなることはつまり、皇妃の魂も消えるということ。それは分かる。分かるが……納得できることではなかった。
「でも……でも、私、まだ皇妃様に何もできてません! 助けるって言っておきながら、何にも……!!」
『何を馬鹿なことを言っているのかしら。貴方はもう、十分に私を助けてくれたじゃない』
呆れたと言わんばかりに、皇妃は優しい笑みを浮かべながら、続けて言う。
『私の思いを、怨念を、その全てを受け止めてくれた。傷つきながら、苦しみに耐えながら、それでも貴方は私の痛みと思いを理解してくれた。それだけで……私は、もう救われたの』
その笑みに、その言葉に、シリカは何も言い返すことができなかった。
そして、彼女はかつて師に言われたことを思い出す。
生かすことだけが、救いになるとは限らん。
その意味を、彼女はここにきて、今一度理解させられることとなったのだった。
『最後に一つ、聞いてくれるかしら。もしもあの子に……フロイドに会ったら、言っておいて。こんな母親でごめんなさいって。そして―――』
皇妃の言葉を最後まで聞き、シリカは強く頷いた。
「はい……はいっ。必ず、絶対伝えます!!」
『ええ……お願いね』
既に皇妃の体はほぼ消えかかり、残っているのは顔だけ。
そして。
『さようなら。優しい魔女さん―――私の思いを聞き届てくれて、ありがとう』
最後にもう一度笑みを浮かべながら、一人の皇妃は旅立っていったのだった。
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