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三十七話 皇妃②

「……貴女が、皇妃様、ですか……」

『ええ。そうよ。正確には、怨呪に囚われている魂だけれど』


 長い黒髪の女性。整ってありながら、どこか影を感じさせる表情。そして何より、この世の何もかもに疲れ果てたと言わんばかりの瞳。

 それらは、先ほど見ていた記憶の中で見た、皇妃その人だ。

 そして、本人もそれを認めているのだから、間違いない。 


「……貴女には、その、色々と聞きたいことがありますけど……どうして、側室の方ではなく、パリス様を呪ったんですか?」

『簡単な話よ。あの女には、苦しんでもらう必要があった。自分の子供が決して解けない呪いにかかり、絶望してもらうために』


 その返答に、シリカは拳を握りしめる。


「そのために……そんなことのために……」

『ええそう。あの時の私は、そんなことのために、生まれたばかりの子供を呪った。そして―――死んだ。自分がそうなるとは知らずに』

「え……」


 自嘲する皇妃に、シリカは思わず言葉を零す。

 自分がそうなるとは知らずに……つまり、皇妃は、自分が死ぬということを知らなかった、ということなのだろうか。

 けれど、言われてみれば、確かにそうだ。記憶は断片的過ぎて、曖昧ではあったが、確かに自分が死ぬことを皇妃は知らされていなかったように思える。


『全くお笑い草よね。相手を呪っておいて、自分がただで済むわけがないのに。あの時の私には、そんなことにすら気づくことができなかった。結果、本当に大事な人や守りたい者と永遠に分かれることとなってしまった……』

「皇妃様……」


 語る皇妃に対し、シリカは言葉を挟めない。要は、彼女はあの妙な男に騙され、自分の命を知らぬまま対価として使ってしまったのだ。それを自業自得、と言う者もいるのだろうが、しかしシリカはその点について、何も言えることはなかった。

 ゆえに、彼女が口にすることは、別のこと。


「もうやめてください。これ以上パリス様を恨んでも、何にもならないじゃないですか」

『ええ。そうね。これ以上、あの女の子供を苦しめても何にもならない。貴方の言う通りだわ』


 でもね。


『どうしようもない。どうしようもないのよ、これは。恨みや憎しみっていうのはね、理屈じゃないの。たとえそれが無意味なものだと頭では理解していても、心が、魂が、決して憎悪を消すことができない』

「……、」

『怒りや憎しみなんてものは一瞬のもの。焚火を放置していればやがて消えてしまうように、時間が経てばそれらも収まっていく……以前、そんな言葉を言われたことがあるわ。けれど、どうやら私にはそれは当て嵌まらないみたい。十年も経っているっていうのに、私は未だ、あの女への憎しみを忘れることができずにいる……』


 十年。それは、人にとっては長い月日と言える。そして、その長い間、皇妃はずっと、パリスのことを呪い続けているのだ。

 それは、怨呪の効果かもしれない。が、しかしそもそも怨呪を発動させるには、それだけの怨念が必要になる。だからこそ、十年の月日が経とうと、彼女の憎悪は消えていないのだ。


『私は、陛下のことが好きだった。お互い政略的な意味合いで結婚することになったけれど、それでもあの人のことが好きだったから、結婚できた時は、本当に喜ぶことができた。そして、あの人も私のことを愛していると言ってくださったわ。たとえ、それが偽物の言葉であったとしても、ただの建前であったとしても、それでも私は嬉しかったの』


 かつての思い出を語る皇妃は、どこか笑っていた気がした。

 表情は全く変わらず、声音だって明るいものではない。しかし、それでもシリカは目の前の女性が、昔の記憶を思い出し、それが大切なものだと言っているように思えたのだ。


『でも……あの女がやってきた途端、あの人の愛は移り変わってしまった。当然よね。だって、あの女に心を奪われたからこそ、陛下は側室にしたのだもの。それに、皇帝が側室をとるのは当たり前のこと。何の不思議なことでもないし、問題もない。自然であり、当然のことなのだから、それを受け入れるのも、皇妃の務め。最初はね、そう言い聞かせてたの』


 しかし。


『けれど、息子を……フロイドすらも、見捨てられそうになって、私は絶望した。陛下は、皇妃の子供ではなく側室の子供を次の皇子にする……それだけの覚悟を、あの女のために持ったという事実が、私は何より悔しかった。そして、同時に思ったの。フロイドを、あの子を守れるのは私だけ。なら、どんなことだってするべきだって……』

「そんな貴方の心に、あの男の人が付け込んだ」


 あの漆黒の男は、傷心し、絶望している皇妃の心の隙をついてきたのだ。その目的は、シリカにも分からない。だが、怨呪を提案したり、その結果皇妃がどうなるのか説明をしなかったりなど、明らかに悪辣な相手であることは確かだ。

 それは皇妃も理解している。

 理解しているうえで、彼女は首を横に振った。


『いいえ。違うわ。確かにあの男の言葉がきっかけだったのは事実。でも、あの男がいなくても、きっと私はあの女や子供を排除するために、あらゆることをしていたはずよ。そして、その結果はきっとロクでもないことになっていたはず。今のように、ね』


 きっかけや要因が何かと言われれば、確かにあの漆黒の男なのだろうが、しかし彼がいなくても、きっと自分は似たようなことをしていただろう、と皇妃は話す。


『そして、何より救いようがないのが、それらを全て理解していても、未だ私の憎悪の炎は消えないということ。自分がどれだけ愚かなのかも、この行為に意味がないことも、重々理解しながら、私はあの女の子供を呪い続けている。そして、これからもずっとそうするでしょう』


 分かっている。理解している。けれど、それでも消し去ることができない。理屈云々でどうにかできるほど、感情というものは簡単なものではないのだ。

 それは時に素晴らしいことでもあるが、今回の場合、それが最悪な方向へ傾いてしまっている。


『故に、私に同情する必要はないの。そして、諦めなさい。貴方では、あの子供を救うことはできないのだから』


 激怒するわけでも、侮蔑の言葉を向けてくるわけでもない。皇妃はただ、静かに淡々とした口調で言い放つ。

 一見、落ち着いているように見える彼女ではあるが、きっと心の中の憎悪は、彼女自身が言っていたように未だ健在なはず。それが正しいか間違いか、そんなものは関係ない。

 皇妃は既に、自分の怨念を自分自身でどうこうできる状態ですら、なくなっているのだろう。


「……貴方の苦しみや悲しみが全部、分かるとは言いません。多分、それは誰にも言えないことだと思うから」


 他人の不幸や悲劇を知ることはできても、それを全て理解することはできない。何故なら、それはその人間が感じる不幸や悲劇であり、本人以外が分かった気になるのは論外だ。

 だからこそ、シリカは皇妃のことを理解できた、分かったとは思わない。

 けれど。


「それでも……私は、貴方をこのままにしておけない。パリス様をこのまま見捨てることなんてできない。きっと、それをしてしまえば、私の中の何かが崩れてしまうから」


 だから。


「だから、私は救います。パリス様を。そして―――貴女も」


 それこそが、シリカ・アルバスという少女の我儘なのであった。

最新話投稿です!!

面白い・続きが読みたいと思った方は、恐れ入りますが、感想・評価の方、よろしくお願い致します。

それだけで、作者に元気が湧きます。励みになります。そして、もっと構ってほしい愚かな作者が続きを書こうとします。

なので、みんなで馬鹿な作者に餌をやりましょう!!


今後とも、何卒よろしくお願い致します。



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