三十八話 元聖女の我儘①
敵は吸血鬼。そして、街の人間も全員グールと化したこの状況下。
全方向で敵に囲まれた中、ナインがとった行動は明快だった。
「―――ふんっ」
瞬時に放たれた無数の楔は、ナイン達を囲むように地面に突き刺さる。
そして、次の瞬間、それが一斉に光り輝く。
閃光がやむと、そこには既にナイン達の姿はなかった。
「……転移の魔術、ですか。即席で発動できるとは、中々やりますねぇ」
転移の魔術は発動するのに時間がかかるもの。それを一瞬の内にやってのけるなど、本来ならばありえない所業だ。
「しかし、私の【赤い夜】の中では、街の外に出るのは不可能。結論、この街のどこかにはいるはず」
どれだけ実力があろうとも、ユーリッドの【赤い夜】の中では逃げ出すことはできない。仮にできたとしても、逃げられたと彼女自身が感知できる。そして、現状において、【赤い夜】の外に出た者はいない。
「くふふ……なら、じっくりと愉しまないと」
不気味な笑みを浮かべながら、吸血鬼は己の刃を舐めたのだった。
*
気が付くと、シリカ達は路地裏にいた。
恐らく街のどこかというのは理解できるが、流石に正確な位置は分からない。だが、一時的にではあるが、どうやら敵を撒けたことに安堵するシリカ。
一方のナインはというと、再び、楔をどこからともなく出現させ、円状になるよう、周りの地面に打ち込んだ。
「楔で陣を作った。しばらくの間は探知されることはないだろう……にしても、吸血鬼とは。また厄介な奴が出てきたものだ。しかも、街の人間を全員グールにしていたとは。加えて、この夜」
「夜?」
「この赤い夜は、奴による結界の魔術だろう。中の者を外に出さないような仕組みになっている。おかげで、街の外に転移しようとしたら、このざまだ。全く、手の込んだやつめ」
「でも、どうしましょう師匠」
「どうもこうもない。やることは決まっている。あの吸血鬼を殺す。それだけだ」
即答である。
けれど、それが一番の方法であることは、シリカにも理解できる。ナインの言葉通りなら、街の外に出ることは不可能。いいや、そもそもこの街を放っておくわけにはいかない。ならば、元凶たる吸血鬼を倒すのは当然。
なのだが……。
「まぁ、その場合、この街の人間を全員殺してしまうことにはなるが」
「っ!?」
「え……師匠、どういうことですか……?」
ナインの言葉に、セシリアは目を見開き、シリカは思わず問いを投げかける。
「吸血鬼にとって、グールはいわば分身であり、使い捨ての駒だ。逆に、グールにとっては己の全てであり、存在そのもの。ゆえに、吸血鬼が死ねば、連鎖的にグールも死ぬことになる。吸血鬼を殺すということは、そういうことだ」
「っ!? そんな……」
「でも、それじゃあこの街の人たちは……」
「だから言っただろう。全員死ぬ」
淡々と。
冷酷な事実をナインは告げた。
「何か、方法はないんですか?」
「ない。人間がグールになるのは、呪いや精神汚染といった一時的なものではない。根本的に、人間ではなくなるのだ。言ってしまえば、種族そのものを書き換えられる。故に、元に戻すことはできない」
だから殺すしか方法はない、と再三に渡って、ナインは言い放つ。
彼女は千年以上も生きている魔女。そんな彼女が方法がないと断言するのだ。つまり、それが現実であり、真実。
結論。街の人間はもう助からない。
ならば。
せめて、グールとなっていることから救う他ないだろう。
「……わたしがやります」
「セシリアちゃん……」
「彼女の目的はわたしです。この状況を作ってしまったのもわたしということになります。なら、そのケジメをつけるのも、わたしの役目……」
「阿呆が」
覚悟をもって言葉を口にしたセシリアに対し、ナインは一蹴する。
「お前は聖女だろうが。聖女が街の人間を殺してどうする。そして、それもまた、奴の狙いだと何故分からん」
「あの人の狙い……?」
「言っていただろう。奴は、何が何でも聖女を殺す、と。それは命を刈り取るという意味だけではない。もしも自分を殺すために街の人間を犠牲にしたとなれば、聖女の地位は一体どうなる?」
「……確実に地に落ちます」
人々を守るべき聖女が、人々を犠牲にした。そんなことが触れ回ってしまえば、聖女の存在に疑念を持つ者が出てきてもおかしくはない。
非難の嵐は目に見えている。
「奴は単独犯ではない。恐らく、今回、お前が受けた依頼も奴と手を組んでいる者の差し金だろう。でなければ、色々と偶然が重なりすぎている」
聖女への依頼。その場所に偶然、聖女に恨みを持つ吸血鬼がやってきた……そんなこと、本来ならばありえないだろう。
考えられるとすれば、ナインが言ったように、誰かが最初から仕組んでいたという事実。そして、それはあの吸血鬼一人でできることではない。
少なくとも、教会関係者に、仲間がいると考えるべきだ。
「もしもお前があの吸血鬼を殺し、この街の人間を犠牲にしたとなれば、奴の協力者が事実を言いふらすはずだ。聖女は敵を倒すために街一つを犠牲にした、と」
「で、でも、そんな……」
「そんなことまでするのか、と言いたげだな。するさ。あれはそういう輩だ。殺しを楽しみながら、敵を徹底的に追い詰め、自分が死んでも禍根を残し、相手を苦しめる……そんな連中をオレは幾度も見てきた。そして、アレはその類だ」
人の苦しむ様を愉しむ鬼畜。そういう連中を見てきたナインには、ユーリッドの異常性をよく理解していた。
だからこそ。
「故に、オレがやる。聖女が敵を倒すために街を全滅させたのと、魔女が敵を殺すために街を巻き込んだのとでは話が違うからな」
「しかし、それではナイン様が……」
「安心しろ。オレを誰だと思っている? 『楔の魔女』ナインだぞ。今更風評が悪くなろうと、問題は……」
「ダメです」
ふと。
ナインの言葉をシリカは強く遮った。
まるで、それだけは認めないと言わんばかりの口調で、彼女は続けて言う。
「師匠が全部背負うなんて、そんなのダメです。別の方法を考えましょう」
「阿呆が。人の話を聞いてなかったのか。一度グールになった者は……」
「聞いてました。理解もしてます。でも、それでも考えるべきです。皆を助ける方法を」
「だから、そんな方法は……」
「分かってます。けど、何も考えずに実行するのは、違うと思うんです。ましてや、それがセシリアちゃんや師匠が汚名をきるような真似になるなんて。そんなの、私絶対に嫌です」
シリカは馬鹿だが、無知ではない。この状況下で、誰も死なずに解決できる、なんてことが難しいことくらいは承知している。
けれど、だ。それでもセシリアやナインが罪を背負うことは認めることができなかった。
「絶対に嫌って……子供かお前は」
「かもしれません。こんなのが、私の我儘だってことくらい自覚してます。でも……このまま諦めてしまったら、それこそあの人の思う壺になっちゃうじゃないですか」
誰かが汚名をきてしまう。それだけで、ユーリッドの目論見はある意味達成してしまうのだ。
ならば、それを覆すにはどうしたらいいのか。
決まっている。誰も汚名をきずにユーリッドを倒すほかない。
「……はぁ。お前、考えろ考えろと言うがな。解決策はあるのか?」
「ありませんっ! そこは師匠がなんとかして閃いてくれればと!」
「よし分かった。とりあえず、そこ四つん這いになれ。もう一度、その尻を痛い目にあわせてやろう」
静かな言葉。しかし、ナインの瞳は全く笑っていなかった。
その表情を見て、シリカは「ひぃっ!?」と奇妙な声をあげながら、自分の尻を両手で抑える。無論、何も知らないセシリアは首を傾げるのみだった。
「……全く。この馬鹿弟子は。オレとて、別の方法があるのなら、そちらをとるに決まっているだろう。だが、こればかりは本当にどうしようもない。呪いの解除や異常精神の正常化ならまだしも、根本の部分で変わってしまっている。それに対抗する方法があるとすれば、同じようにグールであるという事実を根本から覆すほか……」
と、そこでナインの言葉が止まる。まるで、何かが頭をよぎったかのような、そんな状態。
指を顎に当て、考えにふける師に対し、シリカは思わず声をかけた。
「師匠……?」
「……おい馬鹿弟子。お前……自分の我儘のためなら命を張る覚悟はあるか?」
真剣な眼差しと共に放たれた問い。
それに対し、シリカが出した答えはただ一つ。
「―――もちろんです」
迷いなき言葉。
そして、己の弟子の答えに、ナインは不敵な笑みを浮かべたのだった。
四十一話目投稿です!
そして、祝900P&ブクマ数200人突破!!
ありがとうございます!! 先日、奥歯の方が欠けてちょっと落ち込んでいましたが、おかげで元気になりました!!
今後とも、何卒よろしくお願い致します。