二十二話 森の中のドラゴン③
「ううぅ……」
涙を瞳に貯めながら、尻を片手でさするシリカ。
「ひどいです、師匠……まさか、本当にお尻を延々と叩くなんて……」
「何だ。まだしてほしいのか。なら、その希望に応えて―――」
「け、結構です。ほんと、もう勘弁してください……」
両手で尻を抑えながら、シリカは言い放つ。
ナインが自分と比べることのできない程、年上なのは理解している。
が、見た目が幼女なのには変わりない。そして、そんな小さな女の子相手に何の抵抗もできず、魔術で四つん這いにされ、挙句尻を叩かれ続けるというのは、肉体的、そして精神的にもきついところがあった。
「それにしても、ここまで騒いでいて、全く微動だにしないとは。本当に体力が底を尽きているらしいな」
あれだけ激怒していた中、しかしナインは警戒を緩めなかった。それこそ、いつ何時、目の前のドラゴンが牙を向けても反撃ができるように。
が、それが全て杞憂だったらしい。
(さて、どうしたものか……)
傷つき、瀕死の状態なドラゴンを見ながら、ナインは思案する。
正直、このまま放っておいても、このドラゴンは直に死ぬ。いくらドラゴンが不死に近い生命力を持っていたとしても、この傷ではどうしようもない。しかも、通常なら傷が再生するというのに、全くしていないところを見ると、それだけ体力がないということなのだろう。
いや、傷が再生しない原因は、体力だけではない。
(何か特殊なモノで斬られているな……)
この世には魔術を使用した様々な特殊な道具が存在する。その中には、傷つけた相手の傷を癒せなくする能力を持つものもある。
恐らくは、そういった類の何かで翼を斬られ、体もボロボロにされたのだろう。
だとするのなら。
「結論など、一つしかない」
言い終わると同時、ナインの手から大きな『何か』が出現する。
それは、V字型の長い鉄の塊。大きさは、大体三十センチといったところか。真っ白なそれが出現したと同時に、ナインの周りの霧が一気に晴れていく。
それは、ナインの異名の所以であり、彼女を示す代物。
すなわち、『楔』であった。
「せめて、楽に逝かせてやろう」
ナインは『楔』の根本を掴み、そして先端をドラゴンに向ける。
そして、そのまま『楔』をドラゴンに叩き込もうとした瞬間。
「ちょっと待ってください」
シリカがナインの前に立ち、待ったをかけた。
「……なんのつもりだ、弟子」
鋭い眼光を放ちながら、ナインは言い放つ。
その、あまりの威圧に、シリカは思わず崩れ落ちそうになるも、何とか踏みとどまった。
自分は未だ、魔術のド素人であり、難しいことは分からない。
だが、そんなシリカでも、目の前にある『楔』がとんでもないモノであることはすぐさま理解できた。そして、それを叩き込まれれば、このドラゴンはその一撃で即死するでろうことも。
ゆえに。
シリカはナインの前にたったのだ。
「師匠、あの……私、このドラゴン、助けたいです」
「……何?」
シリカの申し出に、ナインは眉を顰める。
「お前……突然何を言い出すんだ。自分の言っていることが分かっているのか?」
「分かってます。自分がとんでもないことを言っていることも、師匠が言いたいことも理解しているつもりです」
そう。シリカとて、自分があまりのも馬鹿げたことを口にしていることは、分かっている。自分たちはここへ毒の霧の原因であるドラゴンを退治しにやってきたのだ。
そして、そのドラゴンが目の前にいる。
故意ではないにしろ、このドラゴンが巻いた毒の霧のせいで、大勢の村人が倒れ、中には重体になった者もいる。それだけでも、ドラゴンを退治する理由には十分だ。
分かっている。理解している。
けれど、それでも。
シリカは、このドラゴンを死なせたくなかった。
「……お前。倒れた際、何か視たな?」
流石は魔女、というべきか。弟子の様子が変化していることを察したうえで、何が原因なのかを瞬時に解明した。
「多分、このドラゴンの記憶だと思います。断片的でしたけど」
「記憶……? まさか、共鳴したのか、お前……」
「共鳴……?」
「他人と自分の存在が重なり合い、心を読んだり、記憶を見たりする現象のことだ。まぁ大量の魔力を持つお前なら確かに可能ではあるが、まさか無意識のうちにやってのけるとはな」
どこまで規格外なんだ、と言いたげな表情を浮かべながら、ナインは続ける。
「それで? お前はそのドラゴンの記憶を見て、可哀そうだと思ったから、殺してほしくないというわけか?」
「はい」
「阿呆が。そこで迷わず断言するな、馬鹿者」
あまりにも正直な言葉に、ナインは怒りを通り越して呆れてしまう。
可哀そうだから死なせたくない。そんな道理が通用するほど、この世は甘くない。ましてや、それが大勢の者に危害を加える存在なら、尚のこと。
そもそも、だ。ナインたちがここに来た理由からして、殺さないという選択はありえない。
「オレ達の仕事はドラゴン退治だ。そのドラゴンを助けるだと? そんなふざけた話があるか」
「それでも!」
正しく、そして筋が通っているナインの言葉を聞いたうえで、シリカは言い放つ。
「それでも、私はこのドラゴンを助けたいんです。もし、このドラゴンを……この子をこのまま見捨てたら、私はきっと私のなりたい魔女になれないから」
きっと多くの人間がここにいれば、ナインの言葉に賛同する者がほとんどだろう。そして、一方でシリカに対し、批判する人間も多数いるはずだ。
彼女が口にしているのは、甘えであり、我儘。シリカはドラゴンの記憶を見た。その生い立ちを知り、そしてだからこそ、救おうとしている。けれど、そんなものは他の人間からしてみれば、知ったことではない。それこそ、村人たちに言わせれば、関係ないの一言だ。
だけど。
それでも、シリカは聞いたのだ。
死にたくない、と。
生きていたい、と。
その叫びを、願いを。
細やかな、しかし決して誰にも認められず、邪魔者としてしか扱われなかった者の望みを、彼女は確かに耳にしたのだ。
ならば、やるべきことは一つ。
たとえ甘いといわれようが、たとえ愚かだと罵られようが、必ず助ける。
それこそが、かつて、いいや、今現在も尚、彼女が目指す魔女の在り方なのだから。
「……一つ聞く。お前が目指す魔女とはなんだ?」
「目の前で困っている誰かを助ける。そんな魔女です」
即答された答えは何ともシンプルなものであった。そして、それはナインの知る魔女とはあまりにもかけ離れた内容。
言ってやればいい。現実はそんな甘くはないのだと。魔女などというのはロクなものではないのだと。
けれども、だ。
ナインの口から出たのは、諦めに近い、まるで根負けしたかのような溜息だった。
「……いいだろう。ただし、助けるのはお前自身だ。殺したくないのなら、お前が救ってみせろ。それくらいの覚悟があっての言葉なのだろう?」
「はいっ」
「ふん……まぁ、最低限のフォローはしてやる。思うようにやってみろ、この馬鹿弟子が」
「っ!! ありがとうございます!!」
これでもかと言わんばかりに、喜びながら頭を下げるシリカ。
そんな弟子の姿を見て、ナインは呆れながらも、苦笑していたのだった。
二十五話目投稿です!!
そして、祝400p&ブクマ100人突破!!
ありがとうございます!! このままの調子で頑張っていきます!!
今後とも、何卒よろしくお願い致します。