二十七話 エピローグ②
早朝。
未だ朝日が出ない時間帯に、シリカは荷物を整理していた。
『本当によろしいのですか、シリカ様』
そう問いかけるのは、肩にヤモリの姿で乗っているスミレ。
そんな彼女に、シリカは苦笑しながら答える。
「うん。魔女じゃなくなった私が、これ以上師匠のところで厄介になるのは筋違いでしょ」
シリカは魔力を失った。それは、彼女自身が誰よりも理解している。今まで自分の中にあった何かが欠如している。最初は違和感を覚えたが、生活には何ら支障はない。
そう、生活には。
魔力を失った者は、魔術師どころか、魔女にはなれないことくらい、稚児でも分かること。そして、そんな状態にシリカはなってしまったのだ。
『ですが……ならば、ナイン様に一言挨拶をしていっては?』
「うーん……それは、やっぱやめとく。もしかしたら、師匠は魔力が無くなってもいてもいいって言ってくれるかもしれないから。そしたら……私の決心、揺らぎそうだし」
理解していた。
決意していた。
そして、納得した上で、彼女は力を手放したのだ。
……はずなのだが、やはり今考えると、どこか寂しさのようなものを感じてしまう自分に、少し嫌気がさした。
未練がましい。そう言われれば何の反論もできない。
そして、今、きっと何か優しい言葉をかけられれば、甘えてしまう。
だから、ナインには会わずに出ていくと決めたのだった。
「それより、ごめんねスミレ。私の我儘につき合わせちゃって」
『いいえ。とんでもありません。私はシリカ様の隣にいたいのですから』
シリカの言葉に、使い魔は微笑みながら、そんなことを口にする。
二人は魔力ではなく、契約で繋がった身。そして何より、スミレは己からシリカに契約を持ちかけている。だからこそ、離れることはできないし、そもそも彼女にそんな意思は毛頭なかった。
そうして、出ていく準備を整えると、シリカは玄関の前で振り返る。
数か月間という短い間、世話になったこの家に対し、一礼しながら、彼女は出ていく。
そうして。
玄関を開けた瞬間。
「―――どこへ行くつもりだ、馬鹿弟子」
そんな言葉を投げかけられる。
無論、それを口にしたのは金髪の少女。
つまりは。
『楔の魔女』ナインが、玄関の前で仁王立ちしていたのだった。
「し、師匠!? い、いつからそこに……」
「お前の行動など手に取るように分かる。しかし、本当に出ていこうとするとはな。単純馬鹿もここに極まれり、というやつか」
やれやれと言わんばかりな表情を浮かべるナイン。どうやら、彼女には本当にシリカの行動が筒抜けだったらしい。
次いで、ギロリと目を光らせる己の師に対し、シリカは背中に冷や汗をかいていた。
「誰が勝手に弟子を辞めていいと言った? 少なくとも、オレはそんなこと、一言も口にしていないが?」
「だ、だって、師匠。私は、もう魔女には……」
「ああ、そうだな。お前は先日の件で、魔力を……正確には、魔力に相当するものをなくした。結果、魔女ではなくなった。それは事実だ」
しかし。
「なら―――魔力を手に入れればいいだけの話だろうが」
言い終わると同時、ナインの右手に小さな楔が出現する。
そして。
有無を言わさず、そのままその楔を、シリカの腹に叩き込んだのだった。
「いったぁぁぁぁああああ……く、ない? あれ? これ、どうなって……」
「それはオレの魔力を注ぎ込んだ楔だ。打ち込んだ相手に、魔力を与えるという効果を持ったな」
言われて、気づく。
確かに、打ち込まれた楔からは痛みを感じず、むしろ活力が湧いてくるようだった。それはつまり、ナインの魔力を注ぎ込まれているということではあるのだが。
「っ!? 師匠、それは……!!」
「うるさい黙れこの馬鹿。どうせ、今回のことは全部自分の身内のせいだとか、だからオレに魔力を貰うことなどできないとか、責任取って弟子をやめるとか、そんなことを言うつもりなのだろうが、一切聞かん。というか、お前にそんな権利はない」
「え、えぇ……」
反論しようとしたシリカだったが、半ギレ状態のナインに何も言い返せない。
どうやら、何も言わずに出ていこうとしたことが相当頭にキテいるらしく、顔からも態度からも苛立ちが垣間見える。
「言っただろうが。オレの弟子である間は一応の尻拭いはしてやる、と。この程度はその範疇内でしかない」
だから、出ていく必要はないのだとナインは言う。
それは、シリカにとって、願ってもないこと。元々、彼女が元聖女という事実は変わりないため、魔力があれば、確かに彼女はまた魔女になれる。それは確かだ。
だが、しかし。
「いいん、でしょうか。私、もう一度、夢を追いかけても……」
不安を抱くシリカ。
そんな彼女に対し。
「阿呆。そんなもの、いいに決まっているだろうが」
『楔の魔女』ははっきりとそう言い切った。
「もしお前が自分はどうしようもなく罪深い存在だと思っているのなら、それは全くの見当違いだ。お前はオレの下で何人の人間に手を差し伸べた? 救おうとした? そして、実際に何人助けた? 普通は手を差し伸べることも、救おうとも思わん。ましてや実際に助けることも」
「でも、それは……」
「あの力があったから? 違うな。それだけは断じて違うとはっきり言ってやる。確かに、もしも今のお前が同じ問題に立ち向かった時、同じように解決できるかどうかは分からん。だが、同じように、手を差し伸べ、救おうとすることだけは絶対に変わらない。そうだろう?」
「それは……」
確かにそうである。
シリカは力があろうがなかろうが、困っている人間を放っておけない。助けられるかどうかではなく、自分が助けると決めたら絶対に助ける。そのために、何とかする。
そして、だからこそ。
「そういうお前だからこそ、オレは弟子にしたんだ。そして、その行く末を見てみたいと思ったんだよ。お前が一体、どんな魔女になるのか。それをオレは確かめたい」
「師匠……」
ナインの言葉に、シリカの決意はやはり揺らいでいた。いいや、最早揺らぐどころではない。木っ端微塵となっていた。
そして、それに追い打ちをかけるように、彼女の使い魔も言葉をかけてくる。
『シリカ様。私からも一言。どうか、シリカ様の好きなようにしてください。貴方は、それをしていいのですから』
「スミレ……」
師と使い魔。二人からの言葉に、シリカは思う。
自分のしたいこと。やりたいこと。
そんなものは昔からたった一つであり、それは今も変わらない。
ゆえに。
「……師匠。私、もう一度、魔女を目指したいです。目の前で困っている誰かを助けられるような、そんな魔女に。だから、どうしようもない我儘で、身勝手なお願いですけど……どうか、もう一度、私を弟子にしてください!」
頭を下げながら、自分の願いを口にするシリカ。
そんな彼女に対し、呆れたように、しかし笑みを浮かべながら、魔女は言う。
「ふん。阿呆が。もう一度も何も、お前を破門にした覚えは一度もない」
そんなナインの言葉に、シリカは大きく目を見開いた後、「ありがとうございます!」ともう一度大きく一礼した。
「そら。さっさと中に入れ。オレの魔力とお前の体の調整をするぞ。大丈夫だとは思うが、念のためだ」
「はいっ……あ、師匠!」
「ん? 何だ」
振り返るナイン。
すると、そこで丁度日の光が出てきたようで、彼女はその光を浴びながら、言い放つ。
「改めて、よろしくお願いしますね、師匠!」
まるで、本当に太陽のような笑みを浮かべ、そんな言葉を口にするシリカ。
そして。
「ああ。よろしくされてやる、馬鹿弟子」
ナインもまた、不敵に笑いながら、そんな言葉を口にしたのだった。
これにて、物語は終わりとなる。
一人の少女は、己の宿命を知り、そして乗り越え、ただの少女となった。
そして、その上で、自分の夢に向かって一歩を踏み出す。
彼女が今後、どのような人生を歩むのか、それはまた別のお話。
ただ、一つ言えることがあるとすれば。
後の世に、『簪の魔女』という、とんでもないお人よし、かつ歴代の中で最も優しい魔女が、世界各地で様々な事件を解決し、人々を救っていったのだとか。
そして。
その傍らには、いつも『楔の魔女』がいて、頭を抱えていたのは、言うまでもないことだろう。