二十三話 師弟④
光が徐々に闇を蝕んでいく。
それは、比喩ではなく、文字通りの光景。
先ほどまでナインの周りに広がっていた暗闇は、ゆっくりと光へと変換されいった。
いや、変換、という言葉は誤りか。
それをもっと、正しく言うとするのならば。
―――なんだ、これは……!! 俺の存在が消えていく……!!
いいや、それ以前に。
―――『上書き』の力、そのものが消失していっているだと……!! 馬鹿な、ありえない!!
それは、『上書き』の力を奪われた、ということよりも驚愕の事実。
『上書き』の力は、自分の思い描いた通りに事象や物質を書き換えてしまう能力。そして、それは力そのものにも言えること。
『上書き』の力をもってして、『上書き』の力を消すという、まさに自分殺しも可能である。
だが、それはあり得ない。
絶対に、あり得ないこと。
「そうだろうな。お前からしてみれば、これはあり得ない選択だろう。今までその力にずっと頼っていたお前には、それを捨て去るという決意など、絶対に選ぶことはできないからな」
ここに入って、過去を見たナインは知っている。
目の前の敵が、ずっと『上書き』の力に頼っていたという事実。自分の好きな女を手に入れようとした時も、それを阻む宿敵と相対した時も、『上書き』の力という、ご都合主義に頼っていた。
そして、だからこそ、それを捨て去るという行為ができない。いいや、そもそも考えもつかなかったのだろう。
この力は自分のもので、だからこそ自分がそれを手放すなんてありえない。
それこそが、致命的な弱点だった。
「いくら、『上書き』の力を使おうとも、力そのものが無くなってしまえば、意味がない。加えて、お前はこちらの条件に嵌った。自分以外が力を扱えてしまうと自覚してしまったがために、馬鹿弟子にも『上書き』の力を扱える権利を与えたからな」
―――くっ、だが、まだだ。まだ、この程度で……!!
「もう何をしても遅い。人間、一度指摘されてしまえば、どうやってもそれが気になってしまうもの。そして、それはつまり、意識してしまうという意味でもある。お前が抵抗すればするほど、その意識は高まっていく。そして、ただの残骸でしかないお前には、それが何より致命的だ」
意識、というのは自分ではどうすることもできない代物。それこそ、自分は気づかないものの、他人に言われて理解してしまえば、どうしても人はそれを意識しないわけにはいかない。
そして事実、このように『上書き』の力が消えているのだ。実際の現象として起こっていることで、よりそれは顕著となり、「この力は相手に奪われた」「このままでは消される」という想いが、そっくりそのまま現実のものとなる。
それこそ、必死になって否定すればするほど、火に油を注ぐような行為だ。
―――馬鹿な。馬鹿な、馬鹿な、馬鹿な……!! お前、これがどういう意味なのか、分かっているのか!!
絶叫の如き問いかけ。
シリカが『上書き』の力を消そうとしていることは理解した。だが、それはできない。できないはずなのだ。
何故なら、その行為の結果、彼女は大事なモノを失うのだから。
「分かっている。馬鹿弟子の膨大な魔力……あれはつまるところ、『上書き』の力とやらが、魔力に擬態していたのだろう。いや、正確には、擬態させていた、というべきか。『上書き』の力が世間に出回れば、ロクなことにはならない。それなら、膨大な魔力ということにすれば、幾分かはマシになる……『紅の聖女』がもしもの時のためにとった対処法の一つということだろう」
『上書き』の力は、聖女の力によって抑えていた。だが、ロクに聖女の力が使えなければ、聖女の座から降ろされるのは目に見えている。故に、『紅の聖女』はシリカが聖女ではなくなっても、『上書き』の力が膨大な魔力だと周りに認知させるよう、手を加えた、というわけだ。
「まぁ、そんなことはどうでもいい。要は、『上書き』の力をこのまま消せば……」
―――そうだ!! あの子が持っていた膨大な魔力も消失することになる!! それはつまり、彼女が魔女でなくなるということなのだぞ!!
つまるところ、疑問はそこにあった。
シリカの膨大な魔力と『上書き』の力は同じもの。そして、それを消し去るということは、あれだけの魔力を一気に失うということだ。
その問いに対し、ナインは表情を一切変えずに答える。
「言っただろう? 分かっている、と。無論、それはあの馬鹿弟子も同様だ。承知の上で、あれはこの作戦に乗ったんだ」
―――あり得ない……有り得ない!! 娘にとって、魔女になるというのは、夢だったはず!! 彼女の記憶を見た俺には分かる!! それをどうして……!!
シリカはずっと、魔女になりたかった。
箒で空を飛び、動物とお喋りし、人を助ける薬を作る―――幼い頃から、そんな魔女の話を聞いて育ったシリカは将来は魔女になりたいと夢見ていた。
一度は、無理やり聖女にされたこともあって木端微塵となった己の夢。
だが、ここに来てようやくそれが叶おうとしているのだ。
しかも、誰も持ちえていない、膨大な魔力。実際は違うが、しかしそれに相当するモノを持っているというのに。
それをどうして、こんなにあっさりと放棄できるのか。
「どうしてだと……ふざけるなよ、阿呆が。お前を止めるために決まっているだろうっ」
怒号の如き叫びに、暗闇が震える。
「自分の父親を止める。そのために、あれは自分の夢を差し出したんだ。自分の、家族のせいで世界が崩壊するかもしれない。それを阻止するのは、同じ家族の義務であり、責任だと言ってな」
故に、自分の力を、夢を捨てるのも当然だと、シリカは言ったのだった。
その決断に後悔はあるだろう。本当は魔女になりたいという気持ちもあるだろう。
だがけれど。
決意した彼女の目に、曇りは一切なかった。
―――家族の義務だと……責任だと……そんな、そんなもののために……
「そうだ! そんなもののために、自分の命を懸けられる。夢を差し出すことができる!! それがあいつだ。シリカ・アルバス!! この世で最も優しい魔女であり、オレの一番弟子だ!!」
他人の苦しみを放置できず、他人の傷を癒したいと願う、どうしようもないお人良し。目の前で困っている存在がいれば、それが何だろうが手を差し伸べる。救って見せる。助けると言い放つ、愚か者。
そして、彼女は実際にこれまでに多くの者に手を差し伸べ、救い、助けてきた。
それがシリカ・アルバス。
『楔の魔女』が唯一弟子だと認めた少女。
ゆえに、理解しろ。
それこそが、お前の敗因であり、お前を負かした相手であると。
「詰みだ、『魔星』。己の力とともに消え去るがいい!!」
その言葉を言い終わった刹那。
深淵の暗闇、その全てが、輝かしい光に飲み込まれていったのだった。
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