十七話 親子①
記憶の幻は、そこで終わった。
そして、訪れた暗闇と沈黙。
その中で、シリカは戸惑いを隠せずに言葉を呟く。
「今のは……」
間違いなく、自分の母親と『紅の聖女』、そして父親にまつわる過去。
あまりにも新しく出てきた情報に、頭が追い付かない。『紅の聖女』と母親が双子であったり、父親が異世界からやってきた存在であったり、しかも、その父親と『紅の聖女』が戦っていたりなど。
そして何より。
己の出自についての真実を前にして、シリカは言葉を失っていた。
―――ようやく自覚したか? 自分が何者であるのか。何のために生まれてきたのか。
刹那、彼女に何かが語りかけてくる。
何か、と表現したのは、周りには誰もいないから。人影どころか、気配すら感じない。だというのに、その言葉ははっきりとシリカの耳に聞こえてくる。
……いや、姿かたちを把握できなくても、この状況で自分に囁いてくる人物など、一人しかいない。
「貴方は……お父さん?」
―――そう警戒するな。娘にそんな反応をされると些か困る。いかにも。俺がお前を作った男であり、父親だ。
淡々とした言葉。しかし、それは別段、感情がない、というわけではない。どちらかというと、感情の起伏があまりない、というべきだろう。
こちらを害そうとする意思はなく、無論敵意も殺意も存在しない。ただ、娘に対し、父親が語りかけているだけのように思えた。
そして、だからこそ。
―――そして、お前がこれから『成る』存在でもある。
その言葉は強烈かつ、あまりにも歪なものだと言えるだろう。
先も言ったように、向こうはこちらに敵意も殺意もない。本当に父親として話しているような雰囲気だ。
そんな状況で、この男は、自分の娘に対し、成り代わると言い放ったのだ。
「……私の体を乗っ取るってこと?」
―――そうだとも。正確には、お前という存在を俺に書き換える、という意味だが。
まるでさも当然と言わんばかりの口調で説明をしていく。
―――あの女……『紅の聖女』によって、俺は死んだ。だが、その力はお前に受け継がれている。今、ここにいる俺はその残骸のようなものだ。
そうだ。記憶の最後で、シリカは確かに見た。自分の父親が、『紅の聖女』の炎によって、止めをさされ、燃やし尽くされたところを。
―――だが、たとえ残骸であろうとも、『上書き』の力をもってすれば、完全な姿になることができる。
『上書き』の力は、強大だ。たとえ、石ころだろうと、それを黄金に変えてしまうことなど朝飯前。時間や空間すら超越するのだ。ならば、残骸である自分を元通りにすることなど、容易い行為だろう。
それこそ、『聖女の力』による妨害がなければ。
―――今まではあの女によって邪魔をされていた。が、それがなくなった今、最早俺を邪魔するものはなにもない。
「邪魔って……聖女の力のこと?」
―――ああ。あの力は『上書き』の力でもどうすることもできない。だから、お前の体に『聖女の力』がある限り、『上書き』の力は抑えられていたのだ。
それも、エルノの計算の内だったのだろう。
だからこそ、彼女はシリカに『聖女の力』を与えたのだ。
―――加えて、あの女は、生まれたばかりのお前に催眠術を施した。そして、それをもって、お前の記憶と認識を封じたのさ。自分の力に目覚めないように。そして、俺のことを探らないように、な。
『聖女の力』で押さえつけ、かつ催眠術で『上書き』の力を発動しないよう暗示をかけた。二重の封印をしていたゆえに、今までシリカは誰にもその力を知られることはなかったのだ。
―――だが、どんな封印や催眠術であったとしても、それを解く方法はある。まぁ、奴はそれを徹底して隠してたわけだから、お前は今日まで何も知らずに過ごしてきたというわけだ。
「それを……あの人が、解いたってこと?」
―――そうだ。あの男が、どこで催眠術の解除方法を知ったのかは分からん。いや、そもそもなぜ俺のことを知っているのかも、分からない。ああ、無論これは偶然が重なった結果だ。だが、偶然だろうが何だろうが、俺はようやく己の願いを成就させることができる。
この状況は全て、彼が導き出した答えではない。ホプキンスという謎の男がもたらした結果。
だが、そんなことはどうでもいい。
何故なら、それで自分が復活できるのだから。
そんなことを言い放つ父親に対し、シリカは言う。
「……あのね、お父さん。聞いて。お母さんは、もう……」
―――知っている。残骸とはいえ、俺はずっとお前の中にいたからな。ゆえに、俺がこの世で唯一愛したと言える女性……ラムダはもうこの世にはいないことも承知している。
「お父さん……」
記憶の中で、シリカは確かに見た。
自分の父親が、いかに母を愛していたかを。
やり方は間違っていた。考え方も論外である。
だが、それでも、母親を愛していたという事実は本物であり、嘘ではないことは確かなのだ。
ゆえに。
―――だが、それがどうした?
「…………え?」
思わず、そんな言葉が漏れ出てしまう。
それはあまりにもあっさりとした反応。
愛する人間がもういないというのに、何故そんな態度でいられるのか。
その答えは、単純明快だった。
―――確かに彼女が死んだのは悲しいことだ。許せんことだ。嘆きたい。だが、俺の力をもってすれば、それも簡単に解決できる。彼女がいる世界に書き換えればいいだけの話なのだから。
その言葉に、嘘偽りはない。
彼は、シリカの父親は、本気で言っているのだ。
死んだから? いなくなったから? だからどうした。
そんなものは、また新しく作ればいいのだ、と。
その、あまりにも超越的な考え方に、シリカはついていけなかった。
―――故に、お前も心配するな。今ここにいるお前は消えてなくなるが、それも今だけの話。怖がることも、苦しむ必要もない。ただ今は己の役目を果たせたことを喜べばいい。
これもまた、本気の言葉だった。
そう。彼にとっては、世界はいくらでも書き換えらえる。自由にできる。時間も空間も、人の命すらも、簡単に、平気で、どうとでもできる。
ゆえに、だ。
彼は自覚していないのだろう。
自分のどうしようもない歪さを。
そして、だからこそ、愛する人に受け入れてもらえなかったということを。
―――では、また次の世界で会おう。我が娘よ。
「っ、待―――」
まだ話したいことがある。
そう思っていたシリカだったが、そんな言葉は通じない。
何故なら、彼にとってはどうでもいいことだから。
ゆえに、シリカの言葉は届くことなく、彼女はさらなる深い深い闇の底へと落ちて行ったのだった。
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