第7話
宮殿から出ると、日は暮れていた。
結局、雨は今もまだ降り続いている。
寒さにも負けず、門番は無表情で警備している。
馬車を呼ぶのも面倒なので、サトルは歩いて帰ろうとした。
「おいおい、雨が降ってるのに歩きか?」
背後から図体の大きい男が姿を現した。
手入れしてないであろう灰色のたてがみを鬱陶しそうに払いのけながら。
「おまえ、いい加減に髭剃れよ」
「俺のトレードマークにケチつけるな。貴様こそ、よれよれの髭を剃ったらどうだ」
二番隊大将、オオガミ。
サトルの同期にして、20年以上の古いつきあいである。
水の魔法使いとして名を馳せており、魔法スキルにおいて右に出る者はいない。
『蒼のライオン』、オオガミの通称である。
「歩きで悪いかよ。たまには雨音も聞いてみろ」
「ハッ、ハックション!!」
「うっ…、汚ねぇ」
「俺は寒いのが嫌いなんだ。雨だってジメジメして気持ち悪いもんだ」
「ったく、水使いの男だというのに」
と、ここでサトルは疑問を抱いた。
ここは正面玄関、馬車の停車場は別口にある。
わざわざここまで足を運んでくる必要もない。
「全く何しに来た。おまえの好きな馬車はあっちの」
「サトル君にひとつ忠告だ」
「ん?」
オオガミはサトルの頬まで顔を寄せながら声を出した。
首元で囁いた言葉に冷たさを感じる。
そしてライオンが獲物を定めるような、鋭い目線。
「この先、王の前で不届きなマネはするな」
「なんのことだ」
「とぼけても無駄だ。一体何を企んでいる。口を割らなければ、王に忠告してもいいんだぜ」
「…、」
「ウハッ、ハクション!!」
「だからキタねぇって!口を塞げよ」
サトルは腕を振り回してオオガミを突き飛ばした。
左袖に彼の飛沫が付着する。
鼻をすすりながらじっとサトルを凝視していた。
「グシュ…、悪かったグシュ。忠告は、グシュ。冗談だ」
「とりあえず鼻をかめ。笑えない冗談だ」
ポケットからハンカチを取り出し、彼に渡した。
フンと鼻をかむと、鼻水が滝のように溢れ出た。
サトルの顔が険しくなる。
「おう、すっきりした。礼をいうぞ」
「この後も忙しいんだ。では、失礼」
「ま、待て!」
傘を開いて白い段差を降りるサトルを、オオガミは大声を出して呼び止めた。
鼻穴からはまだ水が流れている。
「立場をわかってるのか。貴様はこの国の大将格、『紅のトラ』だ」
「それが?」
「憲法13条。【軍は王のために忠誠を尽くすべし。破らん者は」
「極刑に処す】。この国の絶対的命令」
「そうだ。我々は王のために身を挺して仕えるべき存在。謀反なんてもってのほかだ」
オオガミは拳を握りしめる。
手の甲には、サファイアの宝石がきらきらと輝いていた。
「オオガミ、私からも一つ忠告だ」
「聞いてやろうではないか」
「その憲法は、何年前に成立したものか分かるか」
「ん?それは、何十年も前のことだろうが」
「歴史は絶えず動く。その動きに我々人間は適応していかなければならない。文明が絶えず変化するように」
「一体、何が言いたい」
カイロ代わりに、サトルは手から炎を発火させた。
溢れ出す火の玉がメラメラと揺れ動いて温かい。
「なぁに、決まりは守る。私たちは歳だ。もう時代を動かす者ではない」
「ふざけるな!俺はまだピチピチだぞ!」
「ならば、まず咳と鼻水を何とかしろ」
「それをいうな!ま、また咳が。ウハッ、ハックションン!!」
大きなくしゃみが空間に響き渡る。
サトルは振り返ることなく歩き続けた。
「おいコラ!話はまだ、ヘックシ!」
「そのうちわかるさ。そのうちな」
冷たい雨の中、炎を強めながらサトルは帰路に向かうのであった。